吉村家住宅/寺内町・杉山家住宅

富田林 寺内町

富田林 寺内町

日曜日は、すまいをトーク2回目でした。羽曳野と富田林まで、重要文化財になっている民家と江戸時代の住まいが残る街並を見学に行きました。


羽曳野 吉村家住宅

羽曳野 吉村家住宅(重要文化財) 提灯箱

羽曳野 吉村家住宅(重要文化財) 提灯箱

午前中は羽曳野の吉村家住宅。昭和12年に民家として始めて重要文化財に指定された住まいだそうです。当時は国宝住宅(旧国宝住宅とも呼ばれる)としての指定になります。現地に向かう街並にも古そうな住まいが多く点在していますが、吉村家の門をくぐって始めて見たその外観は、茅葺きの屋根が重く見えず、民家というよりも洗練されたモダンな数寄屋と思えるシャープな印象です。水平に伸びたプロポーションに、思わず恰好いいと呟いてしまいました。納屋・土間、住居、接客のスペースが3分の1ずつ並び、東西に伸びる直線状の間取りになっています。

中に入るとダイナミックな天井の土間に黒漆喰で固められたかまど、宙づりになった使用人部屋があったり、と現代建築にも通じそうな構成が見られます。機能的に使い勝手も考えられた細かな部分が、外観と同じく自分が思う民家と違ったモダンな印象を醸し出していました。


富田林 寺内町・杉山家住宅

富田林 杉山家住宅

富田林 杉山家住宅

午後は、富田林に移動。食事後、寺内町(じないまち)にある杉山家を見学。こちらも重要文化財で、現存する町家のなかで最古のものだそうです。

先に、江戸時代からの古い民家が建ち並ぶ富田林寺内町という街ですが、1560年頃に浄土真宗のお坊さん証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が、庄屋さん8人とともに、戦乱の世で平和な街を作りたいと願い建設されたと言います。その後も幾度かの危機を乗り越え、今もその姿を多く残しています。もちろん、民家の改修は時代とともに行われ江戸・明治・大正・・・の建物が混在し全てが当時のままではありませんが、その様式を伝えようと今も街の方々が大切にされている、街全体が歴史博物館と言えるかもしれません。街の歴史を伝えるボランティアの方々の解説を伺いながら、杉山家住宅の見学の後に散策を楽しみました。

杉山家住宅はこの寺内町を創設した8人衆の内の庄屋さんのお宅になります。寺内町のなかでも一番立派な住まいの様です。こちらも玄関をくぐると太い大黒柱に囲まれた立派な土間になります。造り酒屋をされていた最盛期に70人ほどの使用人がここで当時は、カマヤ(台所)に9連ものかまどが並んでいたそうです。

また与謝野晶子と同人の詩人・石上露子(本名・杉山孝子)の生家でもあり、時代の変遷の中で増改築を繰り返す中、力強い民家風な表から奥へ進むと、洗練された数寄屋風な座敷も備わり、床の間には狩野派の壁画がありと盛りだくさんな住まいです。文化財に指定され改修に当たり石上露子が願って作られたと言う少し洋風な螺旋階段が残されているのも、また多様さを感じさせます。


 

話が戻りますが、初めの吉村家住宅の見学前に、現在の所有者である吉村さんから伺ったいくつかの話がとても印象的です。もちろんその当時もそこに住まわれていました。

文化財に指定された後に改修事業になった際、どのような姿に戻すか専門家方の意見が大きく分かれたそうです。昔の姿に復元するのか。継承されて来た今の姿を修復するのか。長年の生活の中で改修や修繕が進んで行くと建設時の棟梁の意図(設計趣旨)が失われて行く、仮定ではなく検証できる中で建物の原型・オリジナルのデザインに戻す復元こそが本来のあり方だ。という改修担当者の言葉に感銘を受け復元事業へと踏み切ったそうですが、いざ完成してみると、外観こそはスッキリとしたのですが、今まで使っていた住居部分はスッカリ変わってしまい、もうこれは住まいでは無い。ここにはもう住めない。と感じられたそうです。結果吉村さんは、長年住み親しんだこの家から住まいを別に移されたそう。

先日、友人の世界遺産についてのシンポジウムで聞いた話と、少し重なりました。文化財を残すと言う事はとても大切はことに違いありませんが、特にこうした民家など今もまだ実際に住まわれる環境を、昔の姿のまま維持を続けると言う事の難しさが、少し伝わって来た気がします。

最後に、寺内町にある富田林市道6号(城の門筋)は「国土交通省・日本の道100選」に選ばれています。

 

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