アニメ映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の劇場公開が終ると聞いて観てきました。実は2回目。一緒に行ったヨメさんは3回目。熱狂的なファンか?と問われると、そうでもない。エヴァンゲリオンを劇場で観たのはコレが初めて。

 TV放送もリアルタイムでは観ていなかった。きっかけが何か忘れたけど、ビデオを借りてひと通り観たのも随分後のことである。その時少し間盛り上がったもののその後はプッツリ。別な映画で流される新作公開宣伝フィルムを観るたび、なんだか前より映像凄そうよね〜なんだか前より面白そうだよね〜と気になりながら結局素通りしてきてしまった。

 庵野監督に注目していたわけでもなかった。むしろ得体のしれないオタク臭さ(失礼!)を避けていたかもしれない。奥様・安野モヨコ氏の漫画「監督不行届」をヨメさんが買って持っていたのだが、手に取らずまま。今ごろになって、そう言えば庵野監督の漫画無かったけ? ん、アンタ興味を示さなかったから古本屋に売ったよ、ヨメさんは結構あっさりしている。

 ゴジラ目当てで行った「シンゴジラ」を観て、作品よりも監督自身を改めて気になり始めたと言ったほうがむしろ正しい。庵野監督が取り上げられた某テレビ局のプロフェッショナル番組を観て、なんかわがままな建築家だなあ、スタッフご苦労様。と監督がさらに気になってしまった。エヴァの話の筋は正直忘れたけど、25年もの間、ずっと人を惹きつけてきた話の完結をどう締めくくるのだろう?何をするのか?しでかすのか?やっぱり観ておきたい。と正直思った。

 ありがたい世の中である。最終版公開前のネット配信でこれまでの劇場版3作を観て、予習を始めた。あ〜こんなお話だった〜気がする。2回ずつ観たぐらいでは「にわかファン」の装いにも充分でないが、真面目に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に臨んだつもりである。

 劇場版を観た1回目。正直何を書いて良いのか分からなかった。2回目。やっぱりよく分からない。
 ん、なんなんだろう?でも確かに面白い。
 どうなるの?どうなるの?と思わせておいて、さらに終っても、どうなるの?どうなってるの?と思わせる。イヤな監督である。
 でも25年を経て消化不良も便秘とも思わせなかった。凄い監督かもしれない。

西宮神社・赤門と大練塀の修復見学

 しばらく前から、西宮神社の赤門や周囲の土壁の塀やらを何やらゴソゴソ工事してるな〜と思っていたところ。先日参列した夏越の大祓の際に「重要文化財保全事業・現地説明見学会」のチラシをいただいた。へ〜そうだったのか。コレは面白そう〜。すぐさま申込。本日、その見学に行ってきたところです。

 参加者は30〜40人くらい。見学の前に、正式参拝をさせていただきました。普段は本殿の閉まった門の外からの参拝ですが、本日は本殿の中、祝詞やお払いをして頂いての二礼二拍一礼。普通に参拝に来られてた方の賽銭の入る音を背中で聞けました。これも初めての経験です。


 始めに廻ったのは、大練塀の修復現場。西宮神社を取り巻く土壁の大練塀はご存知の方は多いでしょう。幾度の修復ありながらも、最初の建造は室町時代だそう。この土壁は版築工法と言うもので、石灰やニガリを土に練り合わせ型枠の中でただただ突き固めただけ、芯のような物はないのだとか。言ってみれば、でっかい土レンガ?です。その上に瓦の屋根が掛かっていますが、元来風雨に弱いので、時代と共に風化します。
 全長は247M。高さは2.5M。根元の厚みはなんと1.5Mもあるそうですが、大震災には耐えられず、南北に建っていた塀の一部が長い間崩れていたのを改めて思い出しました。

 今回の修復では土の配合を念入りに検討し、出来るだけ初期の姿に戻すように検討されたとのこと。突き固めた後、壁の側面に板目がはっきり確認できるよう、型枠板にも浮づくり(うづくり)を施してありました。修理をされていない塀の屋根直ぐ下のところは雨風に耐え、以前からの板目が確かに見られます。なるほど、遠目でしか見ていなかったので、それにはずっと気付かずおりました。
 実は以前、事務所が西宮神社のすぐ側にあり、毎日のようにこの壁を見ていたのです。なのに、、、私の目はとんだ節穴だったことが分かります。


 次に廻ったのは、赤門前。今年は中止されてしまいましたが、年始の福男で有名な表大門です。こちらの創建は、1604年豊臣秀頼の寄進と伝えられています。それから417年?の間に幾度の修理はもちろんあり、今回は全面の赤色塗り替えを中心に、破損の扉を修復。工事時の状況など解説いただきました。

 念入りに塗り直す方針から、これまで外さなかったところも外しながらの作業。そうすると、外した部材の裏側に以前の修復時の墨書が残っているのが新たに発見されました。そこに年代が記されていたことで、寛文4年(1664)には存在していたことが確実な記録として改めて分かったとのこと。

 さて、塗り替えられた赤色は少しばかりオレンジ気味。こうした神社の赤色はみんな「朱塗-しゅぬり-」としか覚えていませんでしたが、施されたのは「丹塗-にぬり-」という物だそうです。材料成分が違うのだとか。とは言え、創建当時は素木のままだったとの調査記録もあるようです。

 会の後にネット検索で確認すると、日本の「朱」は少なくとも材料違いの3種類が主にあるのだと知りました。

  • 辰砂(しんしゃ)銀系 ・・・本来の朱塗の材料で、希少で高価。
  • 鉛丹 (えん た ん)酸化鉛系 ・・・丹塗の材料。
  • 弁柄(べ んが ら)酸化鉄系・・・一般的に朱塗と呼ばれることも多い。さび止め塗料の材料。

 よくよく読むと他にもありそうで、調べ始めるとキリが無さそうです。今回は保護のためにもアクリル樹脂を混ぜ合わせたと聞きました。ただどれも、身体に悪そうな材料です。作業の方々は、取扱にも気を使われたことだと思います。


 参加費無料と言うのにシッカリした資料を頂き、各所で丁寧な解説でした。最後には冷たい甘酒のおもてなし付、福々しい親切な見学会にホッコリしました。
 修復作業に携われる皆様、ご苦労さまです。作業はまだしばらく続くでしょう。夏場の作業に気をつけてください。

朝来市旧生野鉱山職員宿舎

 朝来市に行く機会があれば、行ってみたいと思っていたのが此処。朝来市旧生野鉱山職員宿舎です。以前に生野銀山へ訪れた時は車で横を通り過ぎてしまい、そのままずっと気になっていました。
 ですが今回、昼ご飯を食べ損ねたまま辿り着き、施設近くで食事を先に済ませようと目論んでいたところ、閉館時間まで後一時間ほどと告げられ、そのままお腹を空かせ慌てて見て廻る事になってしまいました。

 朝来市旧生野鉱山職員宿舎は、生野銀山が繁栄した明治から昭和初期にまたがる官舎・社宅5棟が復元保存されている一画になります。行ってみたいと思っていながら、分かっていたのはその程度。
 見学の後からパンフレットを見直すと、一様に復元されている訳ではなく、明治期・大正期・昭和初期を想定した復元になっていると分かりました。しかも形状の近い3棟はそれぞれ違った建て物と思われていましたが、調査によって元々は同じ間取りの住まいであることが判明。時代につれ改修を施されていたのです。その過程を丁寧にくみ取り、それぞれの時代に相応しい修復を行ったとのこと。
 そんな裏話に気がつかず、見学の時は単にそれぞれ違った建物と思っていました。

 始めに分かっていればも少し頭を動かし、時代時代の変遷を感じ取りながら見て回れたと思うのですが、なんとも勿体ないことです。
 なにも分からずとも、もちろん充分に雰囲気を楽しめます。元々は上級技官などの住まい。素朴に見えながらも、とてもゆったりとした贅沢な時間を感じる住まいです。解説には、今見れば特別な建物ではないかもしれないが当時にすれば斬新な建物であっただろう、とありました。ですが、むしろ今の時代だからこそ、此処にはしつらえや空間の豊さがあるように感じます。

 地元ボランティアと思われるおじさんが掃除の合間に時折現れ、口達者にイロイロ説明をしていただきました。が、実は半分も聞き取れなかった。スミマセン!。頭にもう少し知識があれば、楽しめたと思われます。機会があればちゃ〜んと下準備してから、何度でも訪ねたいと思える施設でした。

 棟の一つは、朝来市出身の名優・志村喬記念館にもなっています。この甲社宅が生家なのだそう。

 見終った後、お腹を空かせて近所のお好み焼き屋さんに駆け込みました。これがまた美味しかったです。
 この地域、冬は寒いだろうと思いましたが、聞くところ零下が続く日もあるのだとか。お好み焼き屋のおばさんは、ここの冬は好きになれない。と断言。冬の訪問には、根性も要りそうです。

あさご芸術の森美術館と多々良木ダム

 石の彫刻家・牛尾啓三先生から個展のお誘い頂き、ヨメさんと朝来市の山のなかにある美術館へ行ってきました。西宮から約2時間。気晴らしにドライブがてらの気持ちだったのが、着いてみるとちょっとばかり驚きの連続でした。

 到着したあさご芸術の森美術館へは初めてです。朝来市出身の日本を代表する彫刻家・淀井敏夫氏(1911~2005)の作品を館内と屋外に多数展示している施設ということも、実は着いてから知りました。その作品のひとつひとつが美しくそして面白く、これまで知らずにいたのがちょっと恥ずかしい感じさえしました。

 また、それ以上に驚いたのは美術館の正面からも見えるド迫力な石積みの丘? ダムのすぐそばにあることを下調べで知らなければ、目を疑うばかりの風景が拡がっています。荒々しく積まれた石積みは、どこか外国の風景にも見えます。雄大な公園でゆるりと過ごせるは、とても贅沢な時間に感じます。

 ダムへも少し行ってきました。ちょうど美術館を見下ろすことができます。これも迫力満点ながら山間の風景がなんとも牧歌的です。お誘いいただいた牛尾先生に感謝です。

夏越の大祓

 昨日、西宮神社で執り行われた「夏越の大祓 – なごしのおおはらえ – 」に行ってきました。ほぼほぼ毎年行きますが、去年はコロナで中止になってしまったので2年ぶりの茅の輪ちのわくぐり。参列に思ったよりも多くの人が集まっていました。お天気も良かったです。

 大祓は6月末12月末の半年毎にあり、罪穢れを祓ってもらう儀式になります。夏越の大祓では茅の輪をくぐって廻るのが特徴的。

 いつもの年なら本殿前に集まった参列者全員が、長蛇の列になって大きな茅の輪を廻ります。3回廻るので境内を右に左に皆で尻尾を振るようにぞろぞろ移動するのですが、今年は様子が違っていました。広場に密にならぬよう列になって集められ、神主さんの祝詞奏上のあと数列ずつ小分けにされて廻るようにされていました。

 毎回、長い長い行列で黙々と廻る様子がどことなく神事っぽくて良かったのですが、グループ分けされて小規模で廻っている様子を眺めていると、ちょっと旅行者っぽくも見えてきます。

 要らぬことを考えつつも3回無事にくぐってきました。これで半年分の罪穢れをリセット、このままコロナも退散してくれることを祈るばかりです。

アニメ映画「トゥルーノース」

 この映画を「アニメえいがのひとつ」と思って通りすぎてしまうのは、なんとも惜しい気がします。1週間前に観てきましたが、未だ衝撃的な印象が残っています。北朝鮮の収容所で生き抜く家族の物語。そうひと言で片づけるのは心許ないですが、実情をさして知らない自分がツラツラと語ることは憚られる。そんな映画でした。

 清水ハン栄治監督は、在日コリアン4世。現地取材をはじめ脱北者や元看守の方々へのインタビューを重ね、10年を費やして完成させたそうです。人々の心に留めてもらう為にもエンターテイメントとして観られるものに仕上げた、と言う監督自身の言葉ですが、正直とてもそんな気分だけで観終えることはできません。
 ストーリーそのものもありますが、ひとつひとつのシーンが非常に洗練されていることが分かり、表現として慎重にバランスの取れた抽象化がされています。それでもなお、重層な現実をオブラートに包んでいることがつぶさに感じられるのです。
 アニメーションとしてもとても素晴らしい作品だと思いましたが、この映画はドキュメンタリーなのか?しかも現在進行形なのか? そう思いにかられながらエンドロールを眺めていました。

 近くて遠い国。そこには同じ時間を生きているとは思えない衝撃とともに、自分となんら変わらない人々が生きている事を確信することも出来た気がします。

オープンハウスのご案内( 終了 )

 設計者グループ「くらすま」を介して進めてきました市街地に建つ、2階建ての住まいが近々完成となります。
 施主様の御厚意により、内覧会を催そう事になりましたのでご案内いたします。

日時:5月8日(土)〜9日(日)
最寄り駅:阪急電鉄神戸線 塚口駅

 内覧ご希望の方は、是非ご連絡ください。

内覧予約申込 > くらすまサイト「オープンハウスのご案内」

松花堂庭園の茶室とライトアップ

 ひと月ほど前のことですが、京都府八幡市「松花堂庭園」で催されるライトアップイベントに行ってきました。少し明るい内に、庭に建ち並ぶいくつかのお茶室を併せて見学もしてきました。

 お茶室を拝見していると、気持ちが落ち着くような不思議な感覚があります。現代建築などを見学したときに、そうした感じを受けることはなかなかありません。立派な和室に入ると、背筋を伸ばしたくなるような凛とした空気を感じる人は多いのではないでしょうか。
 それを、日本人の遺伝子?みたいに括ってしまうのは、どこか違う気がします。外国の方はどんな風に感じるのでしょう。お国によって感じ方も異なるかもしれません。なにの予備知識なしに、もし同じように感じるのだとしたら?
 これは様式と呼ぶことのできない、日本建築の持つ何かに違いない気がします。

 残念ながら海外旅行の経験も少ないので比較ができませんが、そうした感覚を他国で受けたことはありません。大学の授業で受けた海外の建築史などを思い返しても、類似したものを思い出すことはできません。近くのお国ならありそうですが、韓流ドラマや中国ドラマを観ていてもなかなかそうしたシチュエーションにまだ出会えていません。

 お見せできませんが、わが家のささやかな和室でさえも、その感覚はほのかに感じます。なぜ? 最近ヨメさんが香を楽しんでいたりするのでなおさらです。
 「日本建築の持つ何か」をどなたかにご講義お願いします。

 八幡市は「松花堂弁当」の発祥の地だそうです。なので、庭園横には日本料理「吉兆」もありお食事も楽しめるのですが、そちらはまたいずれ。

野口哲哉展〜いちにち高松市めぐり

野口哲哉展(高松市美術館 )
野口哲哉展(高松市美術館 )

 しばらく前、日曜の美術番組で紹介された彫刻作品の展覧会が目に留まり、こりゃオモロいな〜と思ったら、すぐ横にいたヨメさんが、コレイキタイ!と叫んだ。
 え!?どこでやってんの?と探したら、香川県の高松市美術館。巡回でコッチに来ないの?調べてみると、残念ながら関西を飛び越えて愛知県。。。どっちもどっち。とうとう、勢いで香川県まで行ってしまった。

 車で休憩はさみ約3時間と少し、高松市に来たのはずいぶん昔に一度きり。大した下調べもしないまま昼前に着いて、まず向かったのは香川県立ミュージアム。「うどん県」に行くのだからとグルメサイトで見つけておいた近くのうどん屋に行く時間つぶしのつもりが、このミュージアムの企画の展示も、常設の展示もイチイチ面白いから困った。

 カガワケン面白いかも。。。なにも分かってない二人が同じことを呟きはじめだす。

 時間も無いのでミュージアムの観賞は小走りに、うどん屋に向かいました。
 うどん屋に着いてみると暖簾が掛かっていない。やってるのかな〜?と戸を開けてみると、お客さんはそこそこいらっしゃる。早速肉うどんを注文して食してみれば、うどんもお肉も満足感大。

 タカマツシ楽しいかも。。。満腹になって、いざ目的の高松市美術館「野口哲哉展」へ。

 番組で観ていたので作品がどんなだか分かっていましたが、実際に観ても期待を裏切らず面白い。展示室に足を踏み入れて直ぐ、自分の顔が緩みはじめてきました。
 甲冑姿の人形?は、写真の通り一人一人なんとも言えない表情。どこか冴えない様でいて、どこか夢心地な不思議な眼差し。表情も立ち振る舞いもどこまでもリアルで、どこにでもいそう。なのに、どこにもいないだろうと思えるギャップが心地よい感じです。
 作品はなかなか凄い数がありましたが、最後まで飽きずに観れるというのにも驚きです。補助車を押しながら、ひとつひとつ丁寧に観ているお婆さんの姿がありました。どうされました?なにやら話し掛けていそうで、聞き耳を立ててしまいそうになります。きっといろんな想像をされているのでしょう。

 作者の野口哲哉さんは、1980年香川県高松市生まれ。作品に掲げられたキャプションには、どこかしらユーモアありつつ鋭い視点。作品にも感じられる聡明な不思議感。

 美術館を退散した後は、すぐ側にある喫茶店「城の眼」へ。
 開業50年のレトロなお店です。設計・山本忠司。インテリアは石彫作家・空充秋。これまた趣のあるお店でした。今は人も少なめ、お客さんも入れ替わり2組ぐらいで、ゆっくりさせて頂きました。
 その後、海辺沿いの倉庫を改装したおしゃれな本屋さんやらカフェに立寄り、美味しいピザを頂いて、満足感満杯で帰路に着きました。

 カガワケンタカマツシのファンになりそう。懲りずにまた来そうです。

堤防の解体工事

堤防解体の様子
堤防解体の様子

 通勤途中で通り過ぎる堤防解体現場の移り変る様子を、年末年始のころから楽しみに見ていました。ごっついコンクリートの固まりが、日に日にゴソッと無くなってしまうのです。建築現場では見たことのないダイナミックさに圧倒されます。

 ですが、ガンガンガンガン響き渡る掘削音はなく、ヴュイ〜ィ〜〜ンてな感じで、なんとも静かに事が進んでいます。しかし通行できる道路側から作業の様子が全く見えず、作業箇所はブルーシートに包み隠されながら進むので、気がつけばチーズのように孔が開けられ、羊羹のようにスパッと刻まれ。巨大遺跡のように変貌する姿に一体どうなっているのかナゾナゾでした。

 運び出しの作業が始まり、はじめてその切り口を見たとき、でっかい円盤カッターで切ったかのような切断跡。いやいやしかし、堤防根元の厚みは1メートルも越えます。そんなもん円盤カッターで切るとなると、めちゃめちゃでかいやん??? そんな巨大ロボットマシンを隠し通せるはずもない。作業員さんは隠すつもりはないと思いますが、こっちは気になる気になる。

 何度も見ているうちに、これはきっとワイヤーみたいなカッターじゃないか?と気がついたのですが、その切断作業を見ることが出来ません。ずっとナゾが続いていました。が、作業も終盤、ようやくその作業現場に遭遇できました。
 おぉ〜素晴らしいタマゴ切り器なことか。小さい頃オヤジが、ゆで卵を糸で切っているのを思い出しました。

堤防解体の様子
見事な切り口!しかもこの厚さ! 奥に見えるのが新設の堤防。
堤防解体の様子
初めて見つけた切断作業の様子。 めっちゃコンパクト!

 うひょひょ、正解。ネットで探れば、分かりやすい動画ありの工法紹介サイトを見つけました。なるほど〜。運び出し作業の段取り良さにも、ただただ感心するばかりです。

堤防解体の様子
それにしても、この大量のコンクリートの固まりは一体どこに行くのだろうか?

映画「モンテッソーリ 子どもの家」

 機会があれば、こども園・保育所や幼稚園などの児童施設の設計に関わりたいと思っているものの、実のところ幼児教育についてほとんど無知に近い。どことなく聞き及んだことがあったのは、シュタイナー教育と言った単語ぐらいだろうか。それさえも、教育内容についてなんとなく勝手な想像をしているだけ。
 保育所計画に実際関わって知ることになった単語には、モンテッソーリ教育、レッジョエミリアなどがある。それぞれの違いを答えるにはまだかじり読みだけで理解が乏しく、もう少しぐらい答えられるようにしておきたい。

 そんなところで、先日公開された「モンテッソーリ 子どもの家」を観てきました。
 大口を叩けば、保育・幼児教育に限らず、小・中・高・大、教育に関わる方はもれなく観ておいて損は無いに違いない。が、観終わった直後の感想です。
 というのも、大学の非常勤講師をさせていただいた経験もあるのですが、その時分に学生とどう接していたか、映画の中の先生と比べてしまうのです。もちろん、6歳に満たないコドモと接するのと、20歳前後のオトナ?に接するのでは違って当たり前と言えますが、根本は同じはず。もう少し、こんなふうにしていた方が良かったんじゃなかったかな〜、思わず回想してしまうのです。

 映画の中で現れるキーワードに、自発性や集中があります。ある事物に興味を持つことで遊び「仕事」に集中力が高まる瞬間があります。自分自身の成長のためであり、且つ無意識なものです。簡単に言ってしまえば、夢中になっている訳です。達成できたり、興味が薄れるまでそれは続けられるものです。
 夢中になることは、幾つであっても大事なことです。今、自身の仕事においても同じ。学生時分に何かに打込む時も同じ。講師時分なら、教えている学生が夢中になれば、放っておいても良い仕事をしてくるものです。
 どうやって、夢中になれるか、夢中にさせるか。もちろん自発的に。

 映画に映し出される小さな子どもの教育現場を、ええ歳になってしまった自分の成長を促すネタにするのは、いささか恥ずかしささえもありますが、知識のために観にきたつもりが、観終わると、自分のために観ておいて良かった。とさえ思える素晴らしいドキュメンタリー映画です。見始めは子どもたちのかわいさに惹かれますが、観終わるころには自分自身を振り返ることでしょう。羨ましささえ感じます。
 監督さんは、自分の娘の成長を考え始めたなかでモンテッソーリ教育を知り、2年半の取材を重ねた上にモンテッソーリの教師資格も取られたそうです。子どもに寄り添った膨大な撮影時間を、短時間で垣間観られる贅沢な映画です。

 この映画、題材も題材なのでメジャー館ではやはり伸びなやみでしょうか。嫁さん二人の貸し切りで観させていただきました。お陰で映画途中に気兼ねせず会話も多少できて良かったですが、もっと多くの人に観てもらいたいと思います。
 観賞後に買ったパンフレットには、保育師の先生のインタビュー、監督のインタビュー、など解説がとても良く、映画そのものだけでなくモンテッソーリ教育の入門ガイドとしても読む価値ありでした。

リビングの収納家具

リビングの収納家具
リビングの収納家具

 リフォーム工事のお手伝いさせていただいている住まいに、テレビボード兼収納家具の取付けが終わりました。リビングでの過ごし方、使われ方を細かに伺いながらのオーダーメイドの家具になります。
 一点ものの家具は、たとえ小さいものでもそれなりの値段になりがちです。取付け後、これは値打ちあるわ。と施主さまにお褒めいただけたのでひと安心。末長く愛用いただければ何よりです。

長年使われているお手持ちのテーブルにどことなく揃うように、デザインを考えてみました。
長年使われているお手持ちのテーブルにどことなく揃うように、デザインを考えてみました。

リモコン生活が当たり前

 わが家の自宅リビングにある常駐リモコンは4つ。テレビに、エアコンに、照明。さらにAxxzonのスティックリモコン。

 去年の暮れ頃から、テレビリモコンは音量を小さくできても大きくできない。照明リモコンは電源が入ったり入らなかったり。徐々に過激になるお仕置きに反して、段々と言うことを聞かなくなっていった。
 テレビは買って6年は過ぎているので、まあ仕方なしかと思える。ネットで調べれば、同じタイプのリモコンがまだ売っていた。諦めて買い替えたので今は快適に使えている。

 問題は照明リモコン。2年ほど前にネットで買い揃えたシーリングライトだけど、リモコン単体がネット販売で見つからない。メーカーサイトの案内も不親切。仕方なし直接問い合わせてみたら、え、そんなにするの!?。値段がエライする。高機能なテレビリモコンならまだしも、送料含めるとガッカリする値段である。しかも、まだ2年ほどしか使っていない。。。
 比べてもどうしようも無いことは分かっていても腑に落ちない。ON/OFF だけなら壁付けのスイッチがまだ使える。ちょっと悔しいので、本当にどうしようも無くなるまで粘ることにした。便利なはずのリモコン生活なのに、なにをしてるやら。

 改めて考えてみると、いまやほとんどの生活機器はリモコンで動いている。クルマのドアしかり、玄関ドアでさえキーレスで開けたり閉めたりできてしまう。(わが家は違いますが。。。)トイレで噴水も出せる。
 今や音声認識で、テレビを付けたりエアコンの温度を調整したり。ニュースも聞けるし、ことわざも早口言葉も言ってくれる。身体を動かさずとも、いろんな事が魔法のようにできてしまうのである。
 ついつい便利に思っているが、リモコン生活が当たり前の毎日になると、何事にも無精になりそうだし、ややもすると人をアゴで使ってしまう事になりそうだ。

 今はコロナで無いだろうけど、夜中に酔っぱらって帰ってきたオヤジが、アXXサ、玄関のカギ開けて! 嫁さんのスイッチ切って! なんて、大声を張り上げる光景も近いことだろう。

レストラン改装案

レストラン正面

 レストランの改装案。海沿いに建つマンションの一室になります。

 元々飲食店では無かった店舗内装を部分改装した上でずっと使われていました。客席数に比べ調理室が狭く、冷蔵庫置場や事務スペースが分散して使いにくい。なによりも、一番海に開けた位置が入口部分で占められ、海を前にゆっくりしてもらえる食事スペースが無い状況がもったいない。などを解消したい要望からの計画となっています。

 調理室やトイレなどのバックスペースを整理し、半屋外のテラス席を設けて海に向かった客席とする事がメインの改修計画となっています。

 計画は諸事情にて一旦休止となりましたが、計画時のプレゼンに作ったパースなどを一部ご紹介させていただきます。

 レンダリングソフト Twinmotion を使って初めて作ってみた動画。
 出来の程はともかく、それらしき映像が思うよりも手早く仕上げられることに、正直感激してしまいました。嫁さんに褒められたので、気を良くして公開。
 モデリングは SketchUp。 Twinmotion 読み込み後のテクスチャー加工はせず動画のみ作成しています。

オイルヒーターの置場について(わが家の場合)

 ひと月ふた月前、嫁さんが義姉さまからオイルヒーターをもらって帰ってきた。モダンな暖房機に嬉々とする嫁さんに、いやいや待って、どこ置くの? って話になった。

 わが家は築そこそこ年の木造住宅。天井裏、屋根裏から見える断熱材はぺらっぺら。寒暖をものともしない高気密高断熱省エネ住宅にはほど遠く、寒暖を楽しむ気概のいる季節共生型住宅なのだ。もうお分かりの方はいらっしゃるだろうが、まともに使えばアッと言う間に電気代は跳ね上がり、立派な暖房機は押入れの奥へお蔵入りとなるに違いない。エコモードなんてスイッチも役に立つあろうはずもない。

 トイレにでも置いとくか?

 わが家で一番小さな部屋である。試しに使うにしても、電気代を気にせずいられるだろう。安易な発想。

 輻射熱暖房機のなかでもオイルヒーターは特に、寒いからと言って入り切りしながら局所的に使うものではない。基本はつけっぱなしにして、床壁天井四方八方にくまなく熱を伝え部屋全体を暖める。なんとなく「ほんのり暖かく」寒くない環境にすることが一番の理想である。手をかざしながら正面を陣取る石油ストーブのような使い方は、基本的に向かない。というかフルパワーにしないと満足できなくなる。
 そういう暖房の考え方だから、断熱材のしっかり効いた省エネ住宅でないと床壁天井の熱がどんどん外に逃げてしまう。結果、季節共生型住宅だと電気代がいくらでも掛かるうえに満足できない事になり、お蔵入りは必然。

 鉄筋コンクリートマンションで、オイルヒーターを使ってみたが思うように暖かくならないのは、冷たさを蓄えたコンクリートの床壁を暖めるにはそれなりの熱量が必要になってくるから。外気にさらされたコンクリートから伝わる冷たさと、輻射熱で伝える暖かさの対決のようなものである。部屋の位置などいろいろ条件が絡んでくるので、マンションが必ず寒いわけではもちろんない。外気に面する部分が多いほど暖まりにくいのは、体感でもよく分かる。
 外断熱で外気の冷たさを遮蔽したコンクリート建物ならゆっくり蓄熱させながら使うことができる。きっと快適な環境にもなるに違いない。それでも日中を留守にして節電のためにヒーターを切ってしまう生活だとうまくいかないのである。

 冷暖房の機種選定というのは、建物の構成に断熱方法や性能、そして生活スタイルとのバランスが考えの要になってきます。うまく機能させるには、多少の試行錯誤が必要と思うほうがよい。

 さて、オイルヒーターに占領されたわが家のトイレ。実に快適。
 夜中や起床すぐ、トイレに入って身震いする必要がなくなったのは、正直嬉しい。オイルヒーター据付け前、嫁さんの後に追いかけトイレに駆け込んだら、アッチアチのフルパワー暖房便座にビックリしたことも度々でしたが、近頃はありません。一畳ほどのトイレ空間で最低温度の設定にしながら使っているので、電気代に目をむくことも無さそう。もちろん、つけっぱなし。トイレにオイルヒーター? もったいないと思うなかれ。

 わが家のトイレは、現在もっとも居心地よい空間になりました。

コロナ禍えべっさん

 毎年えべっさんに通って30年近くになりますが、これほど閑散としたえべっさんは初めてです。

 コロナ禍で密なところに行くことは控えめに。。。と思うものの、商売繁盛を願うのも大事。本宮のお昼にお参りに行きました。事務所の行き帰り、通りに屋台が並ばない様子は予め分かってはいましたが、当たり前に思っていた賑わいを見ることが出来ずやはり残念。一年後の復活を祈るばかりです。

 さてさて今年も「鯛みくじ」。なんと、大吉ならぬ「大福」!? を引き当てました。なんだこれは? と思いきや、今年からの鯛みくじの最上位に加えられたのだとか。
 幸先よい。めでたや。めでたや。
 今年一年はこの「大福」を財布に忍ばせ、お守りにすることにします。

謹賀新年2021

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

 納まらないコロナ禍のまま、こころ落ちつかない一年の始まりとなりましたが、明るい未来のためには、いま自分の出来ることをしっかり見据え、ひとつひとつ丁寧に過すことだと思います。
 仕事始めの前に、施主さま、友人知人、仕事仲間から届いた年賀状をめくりつつ、懐かしい顔を思い浮かべたりしていました。こうして便りを頂けるのは本当に有難いことですね。

 本年もよろしくお付き合いください。

西宮廣田神社の干支

眼鏡レンズの交換

 2年前、大阪で定評ある眼鏡屋さん「谷町眼鏡店」で眼鏡レンズの交換をしてもらいました。すでに遠近両用を使っていましたが、どことなく合わないよな〜と思っているところ、義理姉からの紹介がはじめで、今は家族みながお世話になっております。

 そもそも予約制の眼鏡屋さんってなんだ?と思って訪れましたが、眼科医でも見たことない測定器械に、ん、なんだこれは?と驚いたり、視力で姿勢も崩れるんです。ん、なるへそ、と言った話を聴きながら一時間ほど対応してもらえます。

 2年前は、遠近両用を止めて、遠い用と近い用に分けて使いたい。と伝えたところ、むしろこのまま遠近両用を使って行くほうが良いですよ、視力こそはそれなり悪いですが、眼の状態・使い方はそうでもないです。

 遠近両用レンズを歳を取りすぎてから使おうとすると、脳味噌がレンズの度の変化に着いて行けなくなるそうです。なので、適当に若い内から慣らしておくのがベターなのだとか。
 左右の視力が悪いと、良いほうの眼ばかり使おうとする癖が知らぬ間について、肩が凝ったり、姿勢をくずしたりするそうです。そのところ、私は均等に使えているとか。

 今掛けてるレンズがキツいんです。少し度を緩めましょう。
 その言葉を信じてお願いした遠近両用レンズを掛けると、ん、なんか違う、しかも今回のレンズは遠近の境目が気にならず以上に分からず、眼を上下に遠くを見ても近くを見てもなんだか自然に見える。ほ〜こりゃスゴイ。と感動してしまったのです。

 で、そうこう2年が経つと、今も掛けごこちは悪くはないが近くが見えづらく感じていました。近くのものを見ると焦点が合わず、眼鏡を頭に引掛けてオヤジな姿勢になってしまうのです。で、また診てもらお。と谷町眼鏡店を再び訪れました。
 再び測定器械に向かった後、あはは、老眼が進んでますね〜の一言。なんとまあ!。
 でも、眼の状態は悪くはないですよ。遠近の「近」が合ってないんです。と教えてくれました。あ、この眼鏡、遠近両用だったんだ。そうなのです、2年経って自分が掛けていた眼鏡が、遠近両用レンズであることを忘れていた!?。ことに驚きました。

 そんなことで、少しばかし矯正してもらって、眼鏡レンズを新調。本日は、視界ヨロシク過せて快調です。
 しかしこの調子だと、2年ごとに相談に行きそうな気がしてきました。そこはガックリです。

映画「ホモ・サピエンスの涙」

 ロイ・アンダーソン監督(スウェーデン)の新作。分かってはいたけど、なんや不思議な映画でした。

 少し前、この監督の前作「さよなら、人類」と言うのを、Amazonの無料配信にみつけ見入っててしまった。セリフは少なく、カメラもほぼ固定。計算されつくした画面の中で、人々の悲喜劇を切り取って映し出します。ショートストーリーの繋ぎ合わせで知的なコントとも思えるような可笑しさがあり、なにがあるわけでもないのに笑いがこぼれてしまう。
 新作公開を見付け、これは大きな画面で観てみたいね。とヨメさんと行ってきました。

 パンフレットの製作記事を読むと、ロケはほぼ無くほとんどがスタジオ撮影。遠景に見えるのは製作された模型であったり、巨大な背景画のようだ。3Dはほとんど使わずアナログな製作にこだわってるとのことだが、映像で見ると虚像とも実像とも判断のつかない不思議な遠近感に惑わされる。目を凝らしてもつくり物に見えない。リアルとシュールの境界のような絵画のなかで、人物が演じている風に見えるのです。

 ネットに「神の目」と評したコメントがありました。監督の目から見た人々の可笑しな行動を、愛おしくもどこか覚めた目で丁寧に観察し、ひとつひとつ拾い上げて箱庭の物語にしてみた。そんな感じがします。

 ここまでの説明でお察しの通り、好き嫌いありそうな映画。しくじらなくても?気持ちよく寝てしまえそうな映画です。観客は20人いたかどうか。三席向こうに座っていた男性は映画が終わっても気付かず、そのまま気持ちよく寝つづけていました。映画館の方に起こされる様子が、まるで映画の続きを観ているかのようでした。

しまりすエコバッグ

 キャラクターデザインをお手伝いさせて頂いたケーキ屋さんから、10周年記念のノベルティグッズが届きました。突然のなんだか嬉しいお知らせです。

 しまりす「ピカソ」は一年遅れの生まれで9歳かしら。とても大事にされて、生みの親?としては感慨無量。お客様にも愛されているとのお話伺い、涙が出そうです。

 10周年記念の「しまりすごろく」は、ケーキ屋さん人生ゲーム?のよう。ご主人さまとピカソの歩みを勝手に想像しながら、コマに書かれた一言一言を楽しく読ませていただきました。しかも、すごろくのイラストを描かれた谷口りりこさんは、私と同じ精華大学出身なのだとか。ゆるやか〜なご縁を感じてしまいます。

ランマ付の掃き出し窓

 わが家の間取りはすこし昔風なところがあります。内縁(うちえん)とも言える1間の廊下を挟んで、食事も就寝もしている主室のタタミ8畳間があります。8畳間と廊下とは障子で区切られ、廊下には掃き出し窓がついています。そして、障子と掃き出し窓にはそれぞれ小窓の「欄間(ランマ)」が付いています。

 朝起きると最初の仕事は、掃き出し窓の雨戸を開けて、ランマの小窓を開けること。廊下の奥は台所とつながっているので、朝食の用意や、弁当の支度を始めて換気扇を廻し始めれば、小窓を開けないと排気がうまくいきません。小窓を閉めたまま魚を焼き始めようものなら、たちまち家中に焼き魚の匂いが立ちこめてしまいます。

 なぜそんな事になるかと言えば、今ごろの住宅では必ず付ける24時間換気などの給気のための開口がないからです。ですが、ブロロロロッと廻る換気扇の風量を思うと、直径10センチの換気穴が一つ二つで給気は足らないのでは?と正直思うところ。朝夕の食事準備の前、小窓必ず開けて新鮮な空気を入れる行動が、わが家では当たり前の日常になっています。

 掃き出し窓の向こうには、小さな庭を挟んですぐ公道です。しかしランマは目線の上にあるので、全開しても道行く人の視線は気になりません。向かいのお宅の2階からだとどことなく覗けなくもありませんが、ほとんど気にならないぐらいです。ランマのお陰で、心地よい季節なら気持ちよく窓を開けて過ごすこともできるのです。
 エアコンを掛け始める前の初夏なら、掃き出し窓と8畳間障子の両方のランマを開ければ、主室にも適度な風が入ってきます。こうした季節なりの使い方ができるのは、どことなく家と共に暮らしている感じがします。

 そんなこんなで、わが家の「ランマ付の掃き出し窓」をとても気に入っているわけですが、なぜだか、人様の住まい設計に取り入れたことがない! 昔風のすこし野暮ったいイメージが無くはありませんが、窓のカタログでは何度も目にしていたはず。なのに、これまで図面に落とし込んだことが無いことに、今更気がつきました。
 しかし、最近の窓カタログでは見た記憶が乏しい。改めて確かめてみると、昔からある窓シリーズにこそあれ、最近のシリーズ(特に断熱性を謳う窓)には記載が見当たりません。

 気になって某メーカーのHPから問合せてみると、「誠に恐縮ですが、ランマ付引違い窓はご用意が無いのが現状です。販売量が減少した為、廃番となってしまいました。」との回答。別メーカーで問い合わせても、「(××シリーズであれば)装飾引違い窓を段窓して頂く事にてランマとしてご使用頂けます。採用して頂く予定の窓サイズによって制作可否が変わってまいります。」との回答。
 んんん、ともかくほぼ標準では無いということだ。回答の通り需要がないのか。はたまたメーカーサイドの製品絞り込みなのか。それとも断熱性能が確保しづらい形状だからなのか。採用においては不用意に描けず、確認と注意が必要にならざるを得ない。

 これまで自分の設計にセレクトしなかったとは言え、定番商品な気がしていました。それが、無くなるとは思いもしなかったことです。設計上で替わりの工夫はあるでしょうが、自分が実際、便利に思っているので寂しいばかりです。
 わが家のランマ付引違い窓はいずれ遺物となるのでしょうか? 換気の事がコロナ関連のニュースで毎日取り沙汰されるこの時勢に、復活はないのか? 密かに期待するばかりです。

砥峰高原

砥峰高原

 先日の日曜日、思いつきで久しぶりの自然散策に行ってきました。ススキで有名な砥峰高原です。

 昼前に出発。コロナ禍だから人出は少ないだろうと勝手に思っていましたが、有料道路を降りて下道を走り出すと少しずつ車が増えてきました。少しずつ車間がつまり、高原の駐車場手前2キロあたりからは1本道の車列に並ぶ羽目に。高原に着いたら食堂で昼ご飯と思っていたのに、腹を空かせたままトボトボと、うねった山道だからもう引き返す訳にも行きません。

砥峰高原

 一時間弱ほど行列に並び、ようやく高原の気配が。誘導員に促されるままようやく駐車場に到着。車を降りて立ち上がると、目の前にススキの野原が拡がっておりました。

 砥峰高原はもともと茅葺屋根材の茅の伐採地だったそうです。その環境を維持する為に山焼きが行われていました。茅が使われない今はススキの大草原に替わりましたが、山焼きは現在も続いているそうです。ということは、自然に生まれた風景ではなく人の手に支えながら続いている風景なのだと、後で知りました。
 遊歩道もきっちり整備され湿地には板敷きの通路が設置されているで、砥峰高原は観光地として地元の方に大事にされているのだと感じます。アクセスもしやすいほうなので高原と言うよりも、カップルや家族連れが楽しみやすい大きなススキ公園でした。ススキだけでなく春や夏の風景も楽しめそうです。

 併設されている自然交流館の食堂は蕎麦が人気だったようですが、残念ながら売り切れ。山かけ丼を頂きました。美味しかったです。

 ドラマや映画のロケ地にもよく使われているようです。この日もテレビの撮影隊がいましたが、ちょっとお天気具合が残念でした。

 7年前に同じくススキで有名な曽爾高原へ行きました。その時の記事はコチラから。

映画「ムヒカ」

https://jose-mujica.com

 おおむね5ヶ月ぶり随分久しぶりの記事アップです。はじめはどことなく自粛っぽくなっていたのですが、有難いことに慌ただしい日が続き、記事を書こうがなかなか実行に移せず、どことなくそのまま書きそびれていました。観に行った映画だけでも、最近ではジブリアニメがリバイバルされ、何十年ぶり「ナウシカ」を劇場で観て改めて感動し、つづけて「ゲド戦記」まで観て宮崎吾郎監督にエールを送りたい気持ちは、ヨメさんとの共有にだけ終わっておりました。

 で今回、映画「ムヒカ〜世界でいちばん貧しい大統領から日本の人へ〜」です。たまたまTVで紹介されているのを見つけ興味を持ったのがきっかけですが、実は全く分かっていなかった、気に留めていなかった自分が恥ずかしくなる映画でした。南米の小国ウルグアイの第40代ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ氏を追ったドキュメンタリー映画です。2016年には来日し、講演もされている。見覚えがあるような気もしつつも、まったく記憶から抜けていることに少し後悔さえ感じました。

 若い日本人監督は、たまたまTV番組の企画でムヒカ氏をインタビューにウルグアイまで行ったことがきっかけに、彼をもっと知りたい、彼の言葉を伝えたいと思うようになり、この映画を作ったと言います。確かに波乱に満ちた人生を歩んできたムヒカ氏の言葉は、とても分かりやすく、とても哲学的。2012年リオ会議(国連持続可能な開発会議)でのスピーチは世界で絶賛され、日本では絵本にもなり出版されています。それも知らなかった。気に留めていなかった。なんともったいないことか。

 彼の哲学、生き方は決してマネできるものではありませんが、その言葉を聞くと、無頓着になっている身近な環境、流される普段の生活に立ち止まるきっかけをもらえるような気がしました。

コロナ禍のわが家では

わが家の宝物のひとつ?

 新型コロナから来る世間の自粛ムードに押されてか、その必要もないのにしばらくブログ記事を書き損ねた感じでいます。当事務所は業態的に、休業と言うことなく基本的にほぼいつも通り。工事現場では材料の手配うんぬんと遅れ気味なことはありますが、ほぼほぼ普通に稼働。むしろお付き合いさせて頂いている施主様方々のほうが、直に影響を受けられている様子も見られ心配です。
 我が身に影響を感じるのは、もう少し先の事になりそう。

 それよりも影響を受けているのは、わが家庭事情。ステイホーム以前からではありましたが、嫁さんの「家の片付け熱」に拍車が掛かっている今日この頃です。

 先に申しますが、建築士が必ずしも片付け好きとは限りません。

 倉庫化していく衣裳部屋。雑多な物置場(しかもほぼ平置き)に化した普段使わない和室、その奥にある押入のさらに奥に追いやられた開かずのままの色褪せた段ボール箱。とうとう爆発!
 このまま放置すると気が滞るの!と、どこから仕入れて来たか断シャリやらミニマリストやらのYouTube動画を流しながら、家のおお片付けが始まったのです。
 当然のことながら、日曜日毎にその日の片付けメニューを渡され駆り出される始末。

 これをわが家の「非常事態宣言」と呼んでいます。

 お陰で日曜日毎に、懐かしい思い出の品?に何十年ぶりに出会い、驚いている日々。それを自慢すると、冷たい視線を浴びせかけられます。
 こちらの宣言解除は、まだまだ掛かりそう。。。

完成写真が届きました。

 完成写真の届いた「NURIKABE/XX-PLUS」をようやくアップしました。

 もちろん施主さんは既に引越して新居に住まわれています。今月初旬に手直しなところもあって訪問。気持ちよく住んでいます、の声を伺いようやく安堵しているところです。

 計画紹介ページにも書きましたが、今回の住まいでは敷地の条件もあり将来的な採光に気をつかいました。街中の住宅にはありがちですが、数年後に目の前に背の高い建物が建ってしまい、光も入ってそれまで気持ちよく過ごせていたリビングが台無し。そんな事態にならないよう設計では3Dも使いながらの検討もしています。便利な時代です。
 計画場所をGoogleマップと連動してプロットできるので、太陽の光が四季を通じてどんなふうに当たるのか?(おそらく)いい具合に検討ができます。頼りに作ったモデルにできた明暗の様子は、現場にいる間もほぼ同じように陽が当たっていました。将来想定外の事が無い限り、気持ちよさが確保できるはず。

 そのほか計画で考えた工夫など都度ご紹介できればと思います。まずは、写真家さんに撮っていただいた素敵な完成写真をご覧下さい。

検討中の3Dモデル内観(2階の窓から吹抜けの壁に光の当たる様子・秋分の正午ごろ)
検討中の3Dモデル外観(実際はここまで建物に囲まれていません。)
検討中の3Dモデル内観(朝のリビング。11月下旬の10時ごろ)

セミナー「江戸時代の大工さん」- 大工頭中井家と大工組 –

江戸時代の作事願書
昔の確認申請書。墨の印鑑がなにやら恰好良い。

 大阪くらしの今昔館館長・谷直樹先生の講座を聴きに行きました。

 江戸時代に活躍する中井家という大工頭の系譜や実績を1時間半、憶える間がないほど次々と紹介された濃密な講義でした。スライドも盛り沢山、興味深い話もいっぱい聴けたのですが、情報量の多さにナニがナンだったか既に分からなくなってます。(笑)
 なんとか思い出せるところをいくつか。。。

 まず中井大和守(やまとのかみ)初代・正清という人物。徳川家康に抱えられ二条城・江戸城・名古屋城など名だたるお城を次々と建てた大工棟梁の親分です。そして、十万石大名と肩を並べる従四位下と言う役職を授かっていた事は、大工という職業人では前代未聞。
 時代も時代、城郭を建てるにはスピードと技術が必要、ひと声掛ければ全国のスゴ腕大工を集められる、今で言えば大工協会会長?です。話によれば、急を要した名古屋城の天守閣は、集めた大工で3ヶ月の突貫工事で建てたのだとか。現代ではそこまで技術ある大工さんが揃わないので、1年や2年間違いなく掛かるそうです。もし建てられなかったら打ち首になったのかもしれませんが、想像するだけでも驚愕な話です。

 その後も繁栄続く中井家は、お城だけでなく寺社仏閣・御殿も次々仕事をこなします。数もあるだけ技術も上がりゼネコンさながら、日本の文化遺産の多くは中井家無しにあり得ません。またそうした仕事の資料が今の中井家に数多く残され、それらを読み解くことで歴史も辿れます。いわゆる施工図が残っているので、それを頼りに史跡を探ることも度々。そこから新たな歴史の解釈もあり得る訳です。
 建築士に身近なところでは、江戸時代の作事願書(今で言う確認申請書)の実物を拝見しました。当時の贅沢禁止令から庶民は必要以上に大きな建物を建てさせない規制がありましたが、そうした規制から逃れたどうみてもサイズオーバーな違反建築も資料から推測できるとか。

 他に面白いところで、渡来した象を将軍さんが見物するときの設営図とか。(余談では、その後の像のエサ代が偉いことになっていたそうです。)。。。などなど、谷先生は話が尽きない様子でした。

 講義最後にオマケ話もいただきました。谷先生はNHKドラマなどの風俗考証などもされているそうです。今、放送中の「スカーレット」も。
 ドラマに現れる街の風景には、突き当りのT字路セットが多く観られる筈。普通の十字路交差点では、ずっと先までセットを作るのが大変だからです。江戸の風景には本来T字路は少ないはずなのだけど、もろもろ諸事情から。。。
 ほ~、なるほどなるほど。

山下和美 著「数寄です!」

山下和美 著「数寄です!」
古いiPadが、今はコミック専用機になってます。。。

 昼食に、ヨメさんが用意してくれる弁当を事務所で頬張りながら、電子コミックを読むのが実は最近の楽しみになっています。お行儀よいとは言えませんが、食事の間に2~3話ぐらいを読みます。たまに面白くなって続けて読んでしまうことも。

 最近は、山下和美の「数寄です!」3巻+続2巻の計5巻をようやく読み終わったところ。ご存知の方も多いかと。

 作者さんが、数寄屋の自宅を建ててつつ数寄者を目指す奔走エッセイコミック?。和風好きな若い建築家と偶然に出会うことから、数寄屋づくりをはじめるのは一般的な家作りから見るとちょっと特殊かも。けれど読み進めると、ちょっと気負って設計士と家作りを目指す方には取りかかりのイメージになります。数寄屋である必要はなく、今風な建築事務所との付き合い方の参考にもなると思います。

 作者自身の個人的な経験を元にしているため、万人向けではないかもしれません。
 ですが、家作りをする本人の視点だけでなく、設計者サイドのことやその付きあい方、住まい作り周辺・その後の様子も描かれ、一般的な家作り本では見ることのない個性的な家作りのプロセスが、幅広い視点で描かれているように思います。また各話ごとに設計者のコラムやインタビューが用意され、建築のことだけでなく和風入門書にもなりそう。実は結構、感心しながら読んでおりました。

 以前に「漫勉」と言うNHK番組で、この山下邸が映し出されていました。
 うわ何!?、この漫画家さん、エラい渋いところに住んでんナ~、なんて思っていたのですが、そのタネ明かしを教えてもらった気分。設計者(作中では蔵田さん)も実在の方で、山下邸をきっかけに数寄屋建築家として活躍されるようになっています。

 これから住まい作りを考え始める方に是非、参考に読んで楽しんでいただけたらとご紹介します。

 そういえば、読み途中になってしまった山下和美の「ランド」。その後が気になり始めました。。。

展覧会「大工さん展」と「建築と社会の年代記」

建築と社会の年代記―竹中工務店400年の歩み―神戸市立博物館

 ようやく冬らしい寒さになり、ほんのチラっとですが、この冬はじめて雪を見ました。寒空の中、大工さんと竹中工務店にまつわる展覧会を観てきました。

 まずは、竹中大工道具館で開催中の「大工さん展」近世の職人文化とその伝統。

 解説の中に書かれていたことですが、特に関わりの無い方でも何気ない会話の中に「大工さん」とさん付けで呼ぶ習慣があります。なぜか親しみ深い。映画やドラマの時代劇には、必ずと言ってよいほど「大工さん」が現れます。登場人物としては外せない職業。展示に紹介もありましたが、落語には人情もろい大工さんが沢山出ているような気がします。
 昔々から建築工事は日常茶飯事な身近なもの。それだけ就労人口も多く、当たり前にある職業のひとつに感じていたのだと思います。しかし今は3Kやら言われて大工さんが減っているのが実情ですし、出来上がりのマイホームに移り住むだけで工事過程を覗くこともない施主さんも増えているでしょう。親しみを込めて呼んでいた「大工さん」は、だんだんと過去のものになりそうな気もします。

 その足で、神戸市博物館で開催中の「建築と社会の年代記」 竹中工務店400年の歩み  も観覧に。

 竹中工務店と聞くと、ゼネコンの一社ぐらいだけに思っている方も多いのではないでしょうか? 建築に携わらなければ、私もその一人。ですが建築士を目指す学生時分は、建築家を多数輩出している竹中工務店の設計部は憧れの一つ。才覚あるなら行きたいぐらいに思うのは当然でした。
 展覧会の見出しにもありますが、竹中工務店は400年の歴史になるそうです。明治の終わり頃に、工匠・竹中藤右衛門が神戸の地に創立、とあります。町の工務店の一つだった訳です。当初から施工技術だけでなく、建築意匠にも拘る社風があり、今では建築界のエリート集団なイメージさえもあります。
 展覧会は400年を一堂に会するとさすがエライ物量です。じっくり見たわけでもないのに3時間近く費やしました。厳選し展示された昔の青焼き図面が美しく、手書き図面の設計者の苦労が偲ばれます。これらは氷山の一角。このとんでもない資料群を保管するだけでエライ事になりそうです。とは言え何もかもがコンピュータになり、モニタに映されるCAD図面で展示が済まされるようになると、間違いなく寂しさを憶えてしまうだけでなく、そこに人が介在していることさえ気付かなくなりそうです。

 ふたつ展覧会を観ながら、「大工さん」に及ばずとも「設計屋さん」を知ってもらい、さらに過去のものにしない為には、今をもうちっと頑張らんとアカン気がしました。

竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統
竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統
竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統

琵琶本語り|片山旭星演奏会

琵琶本語り|片山旭星演奏会

 嫁さんの誘いで「琵琶」の弾き語り演奏?を、京都市内のひっそりと佇む和楽器屋さんへ聴きに行きました。

 琵琶の演奏? 珍しい楽器だな~。頭に浮かぶのは昔話な「耳なし芳一」か、つい最近放送していたリメイクアニメ「どろろ」。盲人のお坊さんだか、アンマさんだかが背中に背負って、死者の弔いやらなにやら物悲しい音で語り継ぐ。このぐらいの貧困なイメージしか浮かばない有り様です。
 実際に聴いた印象はやっぱり暗かったのだけど、それは語りの内容からかもしれません。琵琶の音色自体はとても自由な感じです。失礼な話すごくイロイロな表現力を兼ね備える楽器だと初めて知りました。ビヨヨ~~ン、ボヨヨ~~ン。とインド楽器のシタールのような音を奏でれば、ジャカジャンジャン。三味線にも似たような音も響かせる。幅広い抑揚のある音色で場を盛り上げたり、鎮めたり。。。
 座敷で座布団に座りながら聴衆も15人ほどの小さな演奏会がさらに良く、とても楽しめ満足しました。

 帰ってからネットで琵琶のことを調べてみたら、勝手に思っていたイメージはどうやら間違いでもなさそうです。7、8世紀ごろに中国から入って以来、日本の中で独自の派生変遷がありますが、平家物語を語り継ぐ盲人音楽家に占有されるやら面白い歴史が原因っぽいです。勝手な解釈で言えば、琵琶はちょっとマニアック感が過ぎて、全体的には琴や三味線に地位を奪われた感じがします。
 語り物の伴奏に使われることが多かった琵琶ですが、平家物が中心で内容がやや暗め。江戸時代になって合戦物で勇壮なものや、町人文化の優美なものなど幅広く発展はしたものの、残念ながら現在に向かう間は下火になってしまったようです。

 自分自身もこれまで勝手なイメージを持っていましたが、琵琶の生演奏を聴けば、若いアーティストも興味を持つに違いありません。琴や三味線よりも柔軟でワールドワイドな気さえします。琵琶がもっとポピュラーな楽器になれば面白いのにと思いました。

引渡しまであと少し。

ガレージ引き戸

 昨日オープンハウスが無事終了しました。
 お越し頂いた皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。大学時代の友人にも声掛けしていたので、久しぶりに会った懐かしい面々。気持ちはやや同窓会気分になりました。

 ただ、外構工事が終わるにはもうしばらく掛かりそうです。クリーニングも済んで奇麗になったところで気付く手違いもあり、お引き渡しまで少しばかり手直しが必要になりました。

 完成写真の撮影も控え、今週になって天気の崩れにヤキモキしているところです。

1階リビング。オープンハウス終了後。
2階居室。オープンハウス終了後。
夜景。庭側からの外観。