
ひさしぶりに鉄骨物件。本日は配筋検査でした。特に問題無く終了し、ひと安心。
仕事のほとんどが木造になっていたので、地中梁の配筋を見るのも久しぶりです。出来上がってしまうとほとんど見えない部分ですが、上屋と同じ様に実はこうして地面の下に梁があるのは、不思議な気もしつつもむしろ安心感があります。重量の軽い木造の基礎は一般に梁が曖昧な感じですが、ここまで大きくなくとも、本当はこんなふうに明解にあった方がいいのではないかと思えて来ます。

画像やらCADなんかのアプリケーションがとても高価でインテルマックの移行はためらうののですが、正直なところ仕事にはまるっきり差し支えない。だけど、やっぱり iPad やら超薄い macbook は魅力的でよだれが出ます。前回の続きではないが、そんな事の出費が増えていては仕事だか趣味だが分らないままナンニモ残らないのです。
真面目にコピーソフトは一切排除して、足らずの部分をフリーソフトでなんとか切り盛りしている。仕事で使う最近のお気に入りはやっぱり Google の SketchUp で、これはホント良く出来ていると思う。フリーで使う機能だけ見れば無論市販のものに遠く及ばずだけど、これだけの事がダウンロードひとつで出来てしまう3Dソフトを他に知らない。言い訳でなくバキバキの3Dをするよりもずっとイメージも湧いて楽しいから十分満足。
世の中ハイビジョンやらメガネのいらない3Dやら技術が進化することになんの異存も無いが、立体調のアイコンにさえ馴染めず、わずわざ平面調アイコンにカスタマイズしている僕にとっては、何が良いのか訳が分らんと実は思っているのです。
今日も設計の友人が SketchUp を教えてくれと電話あり。やっぱり3D行き着く先は、今のところ財布次第でしかないのだ。なんて書いておいて、来年はすっかり言う事が変わっているかも知れませんが。
建築家ってなんぼのもんじゃろ?、建築家がなんぼのもんじゃろ?
が、昨晩の設計士仲間(建築家と言えるか皆怪しい・・・)の会話の酒の肴だったのではないだろうか?
結局のところ、食えるか食えないか?に行き着くのだが、まじめにやればやる程に首を絞めて行く。好きこそナントカと言える内は良いが、このままじゃイカンとほとんどの仲間が思っている。本来、そうでは無い筈。
華やかなる建築家はごく僅か。クリエイティブな世界は建築に限らず皆厳しい。いろんなメディアの影響で身近になった感はあるにせよ。正しく伝わっているとは思えない。このままじゃイカンとほとんどの仲間が思っている。本来、そうでは無い筈。
( 〜 繰り返し 〜 )
こんな会話は、知らないだけでどの世界にもあるのだろうな。と実は思うし、いつまでも変わらず永遠と繰り返されるのだ、とも思う。けど結局のところ、みんな建築が好きなのよね。と思う。世の中が酔っているのか、自分が酔っているのか。どちらにせよ悪酔いが覚めるに、時間が掛かりそうです。
これから計画を始めさせて頂く施主さんが、結婚するまでずっと過ごしたという住まいにお邪魔した。築40年を少し越える。土間あり、おくどさんあり、畳の続き間があり、祖母の家を思い出す様なとても懐かしい感じがする。そして家の奥、離れになった浴室の中を覗かせてもらったら五右衛門風呂だった。見る事はもう無かろうと思っていた純和風浴槽にしばし感激です。壁面のタイルも見た事のない柄のモザイクタイル。とても暖かい感じがします。
普段から椅子の上でもアグラをかく姿勢の悪い生活が日常になっているからなのか、実は脚を伸ばせる大きな浴槽にあまり憧れがありません。施主樣方にエ!?と言われそうですが、決して風呂嫌いで無く、むしろ、ノボせるまで入らないと気が済まない長風呂派の風呂好きだと自覚しています。
学生時代に五右衛門風呂で2〜3年過ごした事もあります。適度に暖かい縁に背中を押し付けたり。底板の上に縮まって座るのがちょっと楽しかったり。今の自宅も昔ながらの四角い小さなステンレスの浴槽。やはり脚は伸ばせないその中で、あぐらかいて座っています。 と言っても、銭湯や温泉で脚を伸ばすのはもちろん好きです。
でもなぜか、自分の住まいにはきっと四角い小さなステンレス浴槽を選んでしまうと思っています。
毎日毎日、よくもこんなに新しい疑問が出て来るものだと感心する。縁があって長期優良住宅の制度を利用した物件を進めていて行く中で、いままで当たり前のように思っていたところに次々と疑問符が湧き起こる。本来、どんな物件でも知らなかったでは済まされないのだけど、間違いでなくとも「そういうもの」と見過ごす事は山のようにありました。それにひとつずつ設計者・監理者として自分なりの答えを持とうとすれば、なかなか前に進まない。周囲は待ってくれず、日々焦るばかりです。
第三者として監理者になる設計士を入れるのが工事監理には良い。と文言は書けますが、その監理とは何か?を最近はひとつの課題と考えています。むろんデザイナーとしての立場で意匠を守る監理もありますが、施主さんの財産を守る監理もまた大切だと。簡単に書けても、実際の設計や工事はいろんな技術や知識や理論の集大成であり、その意味、原理を理解すること。そして現場に周知させることは容易ではないと今更ながらに実感する毎日。いくら試験に受かっても、一級建築士と胸を張れるのはまだまだ遠く長い道のりの様です。
昨晩「ソーシャルネットワーク」を観に行きました。ネット社会の激動を映し出す濃密な展開とスピード感は、秒単位で技術革新するハードウェアとソフトウェアの中で振り回される人間模様とも思えました。トシいったのでしょうかね。スゴいなアと憧れつつもどこかついて行けない感は、毎度毎度のアップデートは勘弁してよどこまでもついて行けないです。と思う日常に重なります。
先日、ほぼひと時に液晶モニタとプリンタを購入しました。長〜〜〜いこと使ってた事務所のブラウン管モニタとプリンタがさすがにヤバくなり、叩いてもこそばしても言う事を聞いてくれず。さすがにこれは引退させなアカンなと観念しました。モニタはおそらく10年以上。プリンタもほとんど変わらないぐらい。よ〜頑張ったと言ってやらなアカンのでしょうね。
しかし新しく買ったモニタとプリンタは合わせても5万円にならない。今どき当たり前なのかもしれませんが、この価格でこの性能!?驚いています。マックを始めた当初もどんどん下がる値段を雑誌で観るたびに嫌気がさしましたが、未だこの状況は変わっていないことを実感しました。まだまだスピードを落とす事を許してもらえそうにありません。この世界に果てはないのでしょうね。いや〜大変です。
昼過ぎ、大工仕事がほぼ終わりになったので少しだけ現場に寄るつもりが、スッカリ夜までいてしまった。大工さん達が引き揚げ前に掃除と養生を外しはじめだすと、今まで倉庫の中にあったホコリまみれの包みの中からつぎつぎプレゼントが出て来るかのように思えます。現場では出来上がった順に傷がつかないよう養生されてしまうので、タイミングを逃すと出来上がった様子を見る事ができない。写真のこの箇所の杉板フローリングも今日はじめてのご対面。一部では見ていても全貌がつぎつぎ現れてくる様子にうきうきし、現場を離れず、ついに養生はがしを手伝い始めてしまった。
大工さんが気を使った仕上りが、見事な出来映えとなっています。

水門工事と関連があるのかどうか分らないが、おそらく同じ治水工事のための現場小屋が、水門からしばらく北側に行ったところにある。これがなんだか基地っぽくて格好良い。川の上に掛かったコンクリートスラブの上に建っているので、南から見ると川の上に建っているかのよう。
自宅近く、西宮港の入り江でしばらく前からごそごそと大掛かりな工事をやっていた。対岸に大っきなクレーンやらが常駐し、気がつけば海水をせき止め何やってんだろうと気になっていたら、鉄筋が組まれていた。普段はバリケードで囲われて近くに寄れず、いまひとつ様子が分からなかったのだけど、立て看板を見つけ水門を造るのだと分りひとしきり興味津々の毎日です。夜遅く事務所の帰り、普段は真っ暗なのにこの日はブルーシートに囲われて明かりが灯っていた。人気が無かったのでこっそり近づいてみたら、現場の中程にストーブが煌煌と焚かれていた。コンクリートの打設が終わったんだと分る。
実はコンクリートも寒さに弱いのです。なので冷え過ぎない様にしてあげている。夏だと水浴びさせて、表面が極度に乾かないようにしてあげないといけない。ブルーシートをかけてあったりもします。出来てしまえば石と同じようなものの気がしてしまいますが、コンクリートは化学反応で硬化するあくまで建材なのです。簡単に書いてしまえば、コンクリートの打設も人の過ごしやすい季節にするのが一番よい。家の工事も春先からスタートして気分良く基礎工事を終えるのがベター。そう考えるとちょっと面白い気がします。
屋上に一人の男。携帯を手に、ヘリコプターでも呼んでいるのか!?
なんでこんな所に、なんでこんなに堂々といるのだろうか? ついさっきまで、大津市役所の上下水道ガスの窓口で僕の前に座っていたのに。なんで?。。。それはともかく、まるで映画みたいなシーンだったので、つい盗み撮りさせて頂いた。
ところで、モダニズム建築の重量感ある大津市役所はなかなか恰好よいのです。もう少し明るい内に時間が余ったら写真を撮って廻ろうと思っていたのですが、暗くなってしまったので今日は断念。コンクリートの造形が複雑で陰影の深いシーンがあちこちで楽しめます。古め建築が好きでご存知ない方は、用が無くても行ってみて損はありません。

築四十年弱のモダンな鉄骨ビルのリフォームをさせて頂いている。事務所兼住居。
その現場でガラスもパテで押えられている懐かしい形のスチールサッシが使われていた。丁度解体に取り外されていた障子が立て掛けてあったのでお勉強に記録。当時なら一般的な納まりのサッシだけど、こんな手の込んだ鉄細工を今やろうと思ってもなかなか出来ない。鉄の障子は重いので吊りの戸車で可動させている訳だが、障子の下が重なりあって気密を確保するよううまい具合になっている。たて枠もかみ合うように工夫されている。
なんと言っても一枚一枚手作りの職人技なのだ。それが40年も使われていた。それだけでも感動的だと思う。先日書いた白鹿館にもスチールサッシがはめ込まれていた。今のアルミサッシにはない味がある。普段の何気ない風景の中に当たり前にあった手技がどんどん無くなって行く。経済性でそれを排除していく一方で、ブランド化された手作り品が人気を呼ぶこともある。特別な必要はなく、ごく自然に手作りのモノが身の回りにもっとある方が良いと僕は思うのだけど、それを許してもらえないのが残念でなりません。

自宅近くにある「白鹿館」という昭和の名建築が今まさに無くなろうとしている。80年に渡って操業されてきたビン詰め工場だそうだ。以前、コンクリートと鉄骨の見事な架構が建築雑誌にも紹介されていたのを憶えている。
地元人であるヨメさんに昔から、アンタ建築家やろ、はよせな無くなんで!見学申し込んでや〜!と度々言われていたし(一度は見ておきたいと自分も思っていながら)ヨメさんの忠告を聞き流していたのが悪かった。しばらく前に解体工事の標識と工程の通知が貼ってある。あ。う。こりゃいかん。今朝、通勤に正面を通り過ぎようとしていた時に中からガシャンガッシャン、ガラスの割れる音が聞こえて来るでは無いか。あぁ、もうだめかも。。。手の込んだ正面の造形や時代を思わせるスチールのサッシが朝日に眩しい。
保存を訴える人や、解体前の見学会がそれなりにあった事を今頃になって知った。とても情けない。
いずれこの工場に代わって建ち上がるのは、味も素っ気も無いマンションだろうか?跡地の利用については知り得ないが、歴史・文化に残るものであってほしい。
相変わらず、検査の立合は緊張する。悪い事をしている訳ではないから後ろめたい事はない筈なのに、事が起きてアタフタしてきた(!?)トラウマに捕われているのかもしれない。朝一番の検査を一人で受ける。いい天気ですね〜とか言いそうなニコニコ顔で検査官の後ろについてまわる。そんな功が奏して?無事終了。今日は、これで仕事は終わった気分。
ただ工事はまだ外構が残っているのでもうしばらく続くのだけど、検査が過ぎればこの後はお気楽気分で現場に行けるのが嬉しい。毎日寒くなりそうな事を天気予報は伝えるけど、このところの晴天続きで日中は暖かくなった。クロスが貼り終わって陽がまわる明るい現場をウロウロしながら、改めて出来上がりを確認する。
忘年会で運動不足な話になったとき、通勤の行き帰り歩けばいいやん、ちょうどええぐらいの距離やないか。と友人に言われて、せやなやってみよ。心に決めて実は年末から事務所の行き帰り30分を歩いている。おかげでスガスガシイ朝を迎えることが多くなった。最近は寒くて布団から出られずに焦るコトが多いのだけど。
夏に事務所を移転して実は一番困ったのは、ゴミ回収が朝早い事。週二日、事務所前のゴミ置場に回収車がやってくるのが8時15分から30分の間。なので、なんとしても8時15分までに着かないと事務所にゴミが溢れて行く。ただでさえ早出になったのに、ゴミの日は歩くとなると7時45分には家を出ないと歩いて辿り着けない。だから週一度は8時15分までに事務所に着いている。
ゴミの日以外に家を出るのが8時に差し掛かり、テレビから「てっぱんダンス」の曲が掛かり始めるとためらい始め、そのまま15分の朝ドラから離れられなくなる。その上8時15分からの「 あさイチ」の特集に目がくらむと遅刻というハメになってしまうのです。職人の皆様スミマセン。
天気に振り回される日が続きます。
検査の申込に久しぶりに三宮にでた帰り、気になった本を探しにジュンク堂に寄りました。目当ては雑誌のバックナンバーなので見当たらず、そのまま立ち並ぶ書籍に目が移ろう。お、こんな本がある。おやおや、こんな本もある。ついつい手が伸びてしまい、ついには本を抱えてカウンターにならんでしまう。本屋は財布の敵です。
最近は今の建築家の本よりも昔の建築家の本もしくは昔の建築家の事を書いた本に触手が伸びています。先端な事に興味が薄れているワケではないゾと思いつつも、今時の建築は薄っぺらいなんてソッポを向きはじめている自分は、実は歳のせいかも。だとするとだいぶ危ない兆候です。
建物が面白いですよと知り合いの方からのお誘いを受け、篠山を拠点に活動される才本 謙二さんという建築家の事務所に伺う機会をいただきました。売家になっていた築80年ほどの洋館を事務所に改装されています。それと和風の住居部分と蔵があります。なんとも贅沢な事務所です。寒い暑いとおっしゃってもうらやましい限り。普通な建築のお仕事と合わせ、丹波篠山の古民家再生をされています。才本さんから貴重なお話をいろいろ伺うこともできました。
帰り際、や、ネズミ!
改修の時の左官屋さんが「こて一本」漆喰で作ってくれたそうです。手に取っても今にも動きそうなほどリアル。見せて頂いた建物を越え一番の驚きでした。ねずみと大根は縁起がよいそうで、才本さんが大根を吊るそうかなと言ったところ、左官屋さんがねずみだね、と作ってくれたのだそう。粋ですね。
ところで到着前「おろし蕎麦」を近くのおいしいそば屋さんでいただきました。こちらも美味に堪能。薬味に付くおろし大根が辛い!。先のねずみと大根の由来をネットで見ていたら、なんと、辛味大根をねずみ大根とも言うのだそうだ(正確かな。。。)。今年初めて一面の雪も見れたし、実は本日いろいろ縁起が良かったのかもしれません。
暖かそうな写真だけど、寒い話。
ヨメさんが義姉さんに買って来た「ひこにゃん」ではなく「ひこねのよいにゃんこ」。よめさんも「ひこにゃん」と思って買って来たらしいが、残念ながら「ひこねのよいにゃんこ」。
デザイン活動に携わっていながら、この事を知らなかったのが実は恥ずかしい。キャラクター管理にずさんな彦根市に、作者の「もへろん」さんが改善を求めたが聞き入られず、やむなく著作権侵害を理由に調停を申し入れた。「ひこねのよいにゃんこ」は、彦根市が著作権を持つパターン以外の創作を認められ、誕生したキャラクターなのだそうだ。「ひこにゃん」もホンモノだけど。「ひこねのよいにゃんこ」もホンモノ。と言う訳だ。
デザインという知的生産がなおざりにされるのは、文化意識に乏しい証拠。自治体がそう言う事をしては、国としての文化程度がしれている事を表してしまう。どこかの国の模造品を批判出来なくなるではないか。それに苦しんでいる自治体も多くあるというのに、身内でそんな事をしては悲しい事だと思います。
夕方に山好きの友達が事務所に立ち寄ってくれて、ヨメさんに酒粕のお年玉を頂いた。行って来たばかりの熊野古道の話が出たので、しばらく耳を傾けるのだけど、かなり本格的な彼の話は吉野から熊野に行って四日振りの温泉浸かって高野山まで向かうとか、奈良の県境を一周しようかな、なんて話に膨れてしまう。庄司さん行く?その度、いやいやそれはご勘弁と毎回なってしまうわけです。
旅行の帰りに買った地ビール。ラベルがなんか格好良いですね。
大晦日〜正月に家族で和歌山・勝浦に行きました。元旦は午前中チャーターのタクシーガイドで近くの観光名所を駆け足巡り。青岸渡寺と那智滝に詣でました。たまに来るにはいいけど住むのは大変やでとおもろいタクシーの運ちゃんの話に耳を傾け、写真のような快晴に新年早々すがすがしい気分に浸れた次第です。
泊まったホテルの部屋名がそれぞれ変わった漢字が当てられ読めずにいましたが、那智四十八滝の名にちなんでいると分りました。それも運ちゃんのお陰です。それで、ちょっと四十八滝についてネットで探してみたら、この那智には60余りの滝があるに関わらず、神道を主にした秘密性の高い行場であり禁足地であったため、平成になるまで四十八滝の所在さえも不明だったのだそう。ホ〜、なんと神秘的な。出不精のヨメさんが珍しくココならまた来てみたいと。高野山や熊野神話に憧れる僕としてはシメシメと言った感じです。
ただホンマ寒かったです。大晦日の晩に入った露天風呂には、寒さで笑いが出てしまうほど。湯面に立ち上がる湯煙に視線を近づけると、寒波の空を飛んでる気分でした。
本来の主役は、快晴の中、花の奥にかすかに見える白い壁の住宅です。昨日ようやく足場が外れました。正面から見ても白い壁が際立っています。施主さんに白い家は初めてですよね〜。と言われた所。だからなのか、そうではないのか、これまでともまた違った印象の住まいになった気がします。
時間が掛かっただけ忙しさに流されず、設計も監理もいろんなところで勉強になり、いろんなところで考えさせられました。自分ではどちらか言えば基本に立ち返りながらと進めたつもりでいたのですが、どうやら廻りにはそうとは受け取ってもらえず、なかなかムズカシイものです。それもあと僅か。いただいた時間を無駄にせず、最後まで気を緩めずにやるしかありません。
内装では、今日、建具が取付けられ始めました。
ヨメさんと初詣に行った4日。奈良・慈光院へ行きたくなって、その道中のこと。車で法隆寺インターを降りると斑鳩町になります。小学校の前半をココで過ごしました。住んでた辺りに行ってみる?とヨメさん誘って、そのまま望郷の旅に。。。
その当時の住まいの近く関西本線(現・大和路線)の北側に平行して走る小川があります。この小川に、小学生のころランドセルを流してしまいました。確か新学期になって真新し教科書が詰まっていた筈です。その頃まだ写真のような堤防ではなく、土手になって川まで降りる事も難しくありませんでした。悪ガキだった友達3人と橋のない所をわざわざ渡ろうとしていました。その一人一番体格の良かった友達が、僕のランドセルを向こう岸まで放り投げてくれる筈が。。。ズルズル。ボチャン。。慌てた友達は拾おうとしてくれましたが、意外と流れが早く、流れる僕のランドセルを3人で見送るハメになってしまった訳です。
あっけらかんと手ぶらのまま帰った僕は、もちろんお叱りを受けたわけですが、なんとその晩に、友人のお母さんが川を下ってランドセルを探し出し、引き揚げてくれたのです。ずぶぬれになってくしゃくしゃの教科書を僕はしばらく、反省そこそこ自慢気に開いていたのですから、今考えるとお恥ずかしい限り。
別な折この小川で、大量のザリガニを救って持ち帰った記憶、その他いろいろ思い出が詰まっています。。。僕には良き思い出も、母親にはかなわん思い出の原因であったことでしょう。
子供の時からの不満ですが、お正月なんてホントあっと言う間。休みに身体が慣れた頃にまた始まる。。。正月明けはニコニコ顔を取り繕いながら、一向に気分が盛り上がりません。
どうやら今年も年初めから調子がヘナチョコです。年始早々意気揚々と年賀状の整理を始めたまでは良かったですが、賀状を早々に頂きながら出せていない方々の分をプリントして、早く。。。のはずが、プリンタのインク切れ。しかもストックなし。目の前に暗雲が立ち込めました。近くの文房具屋に行ったものの、型式が古いのか所望のカートリッジを置いていない。ため息ついてアスクル。こんなでは盛り上がりません。
ぷらす、今年の年末年始は恒例の家族旅行と居酒屋年始会、そして初詣。合間合間になんだかんだと食っちゃ食っちゃが悪いのか、本日どうも腹の具合がヘナチョコです。
そんな事は兎も角。
今年は少しずつでもブログを書きます(いちおう宣言!)。ここ数年毎回毎回同じ事を書いている気がしますが。。。今年もまた懲りずにお付き合い頂ければ幸いです。
あけまして おめでとう ございます
*
とに‐かく
[意味]他に抱えた問題を棚上げにして、結果を気にせず無理を承知にやってみる呪文の言葉。または無責任にやらせてみる呪文の言葉。
◆「兎に角」とも当てて書く。
[用法]
「とにかくやってみよう」「アレコレ考えずにとにかくやってみなさい」
とも‐かく
[意味]無理難題を押し付けられても、ただひたすらに、がむしゃらにやってみる呪文の言葉。自分は動かず、人にやらせてみる呪文の言葉。
◆「兎も角」とも当てて書く。
[用法]「アカンとは分っていようが、ともかくやってみるしかない」「ともかくやってみてください」
と‐かく
[意味]野次、苦言、風評、さまざま人のいや〜な言葉に惑わされず気にしないように耳をふさぐ呪文の言葉。
◆「兎角」「左右」とも当てて書く。
[用法]「ナンヤカンヤととかくまわりはうるせェ」
とや‐かく
[意味]これまでの数知れない失敗から来る心配、知ったかぶりの世間の荒波などから身を守り、邪念を精一杯に振り払うための呪文の言葉。
◆「兎や角」と当てて書きません。
[用法]「オメエらとやかく言うんじゃねっっっぇ!」「とやかく言う前にやってみろってんだ!」
*:以上、言葉の用法は、各自の責任でもってお使いください。
とにかく、ともかく、とかく、とやかく、なんでも来い!で、またこの一年。
皆様ご健康でありますように。