





竹中大工道具館「技と心」セミナーに行きました。今回は島根大学教授・山下晃功先生による「鉋(かんな)」の話。その山下先生の自己紹介から講演がはじまるやいなや、その話し振りがおもしろくビデオやCGを使った内容に1時間あまりの講義があっと言う間に終わりました。
鉋で木の表面を平に仕上をする様子はごく当たり前のように見えますが、山下先生はなぜ?こんなにも薄く削れるのか?さらに木の目に逆らう逆目に削っても美しく仕上げるのは何故なのか?その単純な疑問からスタートし、中等教育で教える教員を指導する現場に従事する立場になられた事もあり、鉋の世界を学術的に体系化し学問的に後世に伝えようと試みた世界で唯一のカンナ博士と自称?されています。
ヒノキを削る際に最適な宮大工の鉋の刃の角度です。90度、60度、45度といろいろな角度でヒノキを逆目に削る様子を、高速度撮影のビデオ映像で紹介されました。同じ鉋の刃先でも切れる様子が全く違いました。37.5度以外の角度では目が逆らって表面がざらつきます。なのに37.5度ではまるで違う。そして、切り屑が美しく鉋から排出される。また、一枚刃の場合、裏金のある2枚刃の場合など、ヒゲソリのコマーシャルではありませんが、その削れる様子、それに至る先人の知恵や工夫がビデオの紹介でとても良く理解できました。
後半には鉋を扱う人の動きに着目した話が続きます。骸骨が鉋を使うCG映像の説明で会場が沸きましたが、どこでどんな風に力が入っているのか、とても良く分かります。鉋を扱うにはヘソが重要だそうですが、上体の鉋と肩とヘソを結ぶ三角形が崩れない様、一定の力で引くことが肝心なようです。理解出来ても容易く出来る訳ではないと思いますが。。。
最近の建築現場では鉋を引く様子が実はあまり見られません。ほとんど工場で加工されてきた材料を組み立てるだけで済むようになっています。幾種類もの鉋を並べる大工さんを今は見ることがほとんどありません。昔は鉋台が現場の中心に据えられ仕事が進んでいた様に思いますが、今はベニヤで組んだテーブルが中心。そんな様子を見ても、技の継承は危うい様に思えてなりません。山下先生はもし、ロボットに鉋を使わせるにしてもそのデータは人間がインプットしなければ成立しない。いくら道具が発達しても、基本は人間にしか無いだと話をされていました。
スポーツの世界で人の動きが科学される様子はテレビなどを通して、日常的に知っています。今回の講義で、道具の進歩もさることながら、大工さんを始め職人の世界は人の動作が極められる事があってこその技術なのだと改めて知る事が出来ます。奥の深さにさらに感じ入りました。
昨日は午前中に完成間近のモデルハウスの現場へ行き、その帰り、工務店の社長さんに途中まで送ってもらい、平野商店街付近から神戸駅まで歩いてみました。道沿いに長く連なるアーケードの風景が、幾度か車で通り気になっていたからです。
商店街の真ん中あたりは、どこにでも見られるような鉄製のアーケードが掛かっています。個人的に惹かれていたのはそれではなく、東西に伸びる商店街から少しはずれた辺りで古いアーケードが残っている街の様子でした。中心から繋がっていたのか、個々で取付けられたものなのかまでは分かりませんが、昭和モダンとも言えそうな、レトロな商店や住宅と共に幾らか残っています。そんなアーケードを見上げながら散歩気分で歩いてみました。
通りを歩いて気になるのは、個人的な趣味かもしれませんが古く残っている鉄細工です。ピーカン事務所の窓にも、昔風の鉄の窓格子が取り付いていますが、同じ様な、むしろもっと手の込んだ鉄の細工も見られます。今はガレージ屋根もほとんどアルミの既製品で、スッキリしている様にも見えますが味気のないものばかり。今の駅舎も、古い駅舎で見られる様なレール材をつかった職人技のようは鉄細工はほとんど見られなくなってしまいました。寂しい気がします。
アンティークを押し出したアイアンワークのDMメールが時たま届きますが、正直言ってほとんど直ぐにゴミ箱行き。古い時代に見られる様なちょっとした創意工夫の良さでは無く、押し付けがましく感じてしまいます。そうした物とは違い、ちょっと古い街並を歩いてみれば見られる、町工場の職人さんの心意気のような細工物には心惹かれてしまうのです。人のぬくもりを感じる良さがありました。今こうした細工をお願いすればむしろ高価なものになってしまうのでしょう。それが以前はどこにでも見られた訳です。こうした手作りな鉄細工も街の風景に溶け込み、個性的な街並を形成する一環になっていたと思うのですが、経済性だけで既製品に置き換えられ無個性な街並になってしまうのは、デザインの良し悪しではなく如何なものかと良く思います。
先日、基礎の配筋検査。難しそうな顔をしながら検査員が順繰り廻り、結果的には1点程の指摘事項で無事終了だった。以外に、監理の立場で気になったところを若干直してもらったり追加してもらったりで、配筋の検査はほぼ終了。
ところどころ捨てコンクリートから丸い杭頭が顔をのぞかせている。柱状改良だと杭径は5〜60センチになるので、15センチ程の鋼管杭の杭頭はなんとなく頼りなくも見えるな〜。先日の工事では、結果的に浅い所でおよそ1.5M、深い所で8Mを越えたようだ。地面の中に鉄の列柱が2M弱おきに並んでいると想像すると、それはそれで不思議な感じがする。剣山のような感じでしょうね。
現場確認の後は、ファミリーレストランでプレカット図面の修正打合せ。意匠的な問題と納まり上の問題をいくつか列挙し担当の方と打合せを済ませた。担当してもらっている工務店の構造の方はどちらか言えば慎重なタイプで、今回の基礎工事や木軸の図面でも設計で希望するよりも頑強になっている。工務サイドでは無駄が多いのじゃないか?と上司から怒られるそうだが、本人は立場的に見積に関わらない強みを生かしている様にも見受けられるから面白い。
内輪もめになっても困るが、こちらとしては不安を感じずに済むのでありがたい話です。
それは、自分の事かもしれません。。。
今日、ディスカウントショップでインスタントコーヒーの詰め替えパックを買おうと思ったら、ブレンディのパックがいくつか並んでいました。200グラムの詰め替えパックが650円弱、250グラムの詰め替えパックが700円強。どっちが安い?よく見ればその横に、200グラムの瓶詰めと150グラムの詰め替えパックのセットが900円弱で鎮座しているのを見つけ、店内の蛍光灯ではおつむの太陽電池の働きが悪いか頭の中で電卓を叩くも答えを出すのにしばらく動きが止まってしまった。すでにはっきりした数字を失念しているぐらいだから、如何に数字に弱いかが分かる。。。
建築設計なんぞやっていても、数字に弱いのは直らないのかも知れない。数学自体が苦手ではなかったけど、ともかく計算が弱い。謎解きは嫌いでないのだが、単純な計算でいつも失敗する。ソロバン塾でも暗算が大の苦手だった。そんな僕の様な人間のためにあるすばらしいカシオ計算機のサイトを見つけてしまった。
いくつか眺めてみるとこんなに楽しい計算ができるでないかい。ちょっとご紹介。
数字に弱くてもこれなら楽しめそうです。
しばらく前に、ヨメさんの手伝いで演劇のチラシのデザインを手伝わせてもらいました。公演間近に迫って、今頃宣伝では遅いのですが、折角なのでご紹介。
数年前から年1回程の公演のチラシをやチケットの手伝いを続けています。社会派と言うべきなのでしょうか。昔の事件と現代の世相が混沌とから見合う様な、そんな印象のお芝居です。幾度か公演を拝見していますが、その度に何か考えさせられるものがあります。
今回の公演は11月7日から、ご興味ある方は是非ご覧になって見て下さい。
先にチラシの制作をお手伝いさせていただいたお芝居 焚火の事務所 公演「よーし、ぼくはがんばるぞ」を先週末に観てきました。
小学校近くになるマンションの一室に住む、すこし複雑な家庭事情を背景に既に両親を亡くした成人姉弟たちの物語。家族の関係や兄妹の関係に微妙な軋みをそれぞれが感じながら、生きる事にもそれぞれが苦悩を背負っています。ちょっとした事でもイザコザ。少々暗い家族(姉弟)の様子を描きながら話は一体どうなるのかと思いきや、思い詰めた弟の取った行動が、近隣周辺を巻き込む思わぬ事件に展開していきます。やってしまったその事で、姉弟たちは自分たち家族の絆を見直さざるを得なくなって行くというお話でした。
暗い雰囲気に見始めてどうなって行くのだろうかと、正直不安になりそう感じでしたが、話が進むにつれ予想の出来ない事件が起こり、盛りあがりと言うよりもなだらかな緊張感に包まれて行きました。むずかしいテーマだと思うのですが、もしかすると自分の身にも起こるかもしれない、と感じさせ考えさせられました。
再演を見つけられたら、是非ご覧下さい。
小学生の頃の一時期、「東海道中膝栗毛」が愛読書のひとつでした。毎週、読書の時間があったのですが、図書館に行く度この本しか手に取らなかったのです。その割にすっかりお話は忘れていますが、弥次さん北さんの繰り広げる顛末が気になって仕方がなかったのだと思います。
先日のすまいをトークで、はじめてその東海道が「五十三次」ではなく「五十七次」である事を知りました。太陽系の星がひとつ増えたような驚きですが、表題の「枚方宿」は五十六次。江戸から京都を目指すと五十三次になり、その先大阪まで目指すと間に四つの宿場町があり五十七次となるのだそうです。今回はこの枚方宿の町並みを見学。
宿場町であった街道沿い約1.5キロ程の地区が町並み保存として整備されています。また、この枚方宿を紹介する中心的施設として、当時の様子を残し文化財に指定されている旅館・鍵屋があります。
鍵屋は淀川沿いに位置し船待ちの宿として栄えました。枚方・高槻は淀川の往来を拠点に、名物「くらわんか船」が産まれました。京都と大阪を結ぶ三十石船に近づき「飯くらわんか、酒くらわんか、銭がないからようくらわんか」と口の悪さが風物詩となり、商魂逞しく乗客を引き止め繁昌していったそうです。地理的に見ても中継地点として抜群な立地であった訳です。鍵屋資料館ではそんな様子を、模型や映像を使って詳細に紹介されています。その他周辺にも当時をしのばせる建物や民家が多く見られます。
半日で見て回るには駆け足気味な見学会でしたが、もし当時に生きていたとすれば「くらわんか船」の様子は見てみたかったものです。帰りは京阪電車で本日開通の中之島線に乗り中之島駅を通って帰りました。この線の開通でまた大阪の町並みが変わるのでしょうね。今も昔も交通を拠点に街が形成される事は同じです。新しい名物がまた産まれるかもしれません。
お盆の頃に地盤補強のことで記事にした建売住宅の現場が、ほぼふた月止まっていました。と言うのも、当初柱状改良と言う工法を検討していたのですが、進入箇所の擁壁が阻み機械が現場に搬入出来ない事が判明。さてどうする?と言う事になってしまったのです。こちらも始めに出来ると言われていたので安心していたのですが、いざはじめようとした段になり、業者との打合せの行き違いか不可能と言う事になり、それから代替の方法を探しはじめたのです。そのため、随分時間だけが経ってしまいました。
スウェーデン式サウンディング試験の結果だけを見れば、2階建ての木造住宅を建てる地耐力は表層付近では確保できる結果があったので、そのままそっと建てる選択もなくはありません。しかし、表層を越えたしばらくは地耐力のあまりない緩い地層があることも分かっています。工務店さんは事業者でもあり、不安を抱えたまま工事を進めるわけにも行かず、担当の方は散々探しまわって鋼管杭を打設できる業者を見つけ出しました。そして、ようやく工事の再開にこぎつけた訳です。
ところで、柱状改良は摩擦杭と分類されるもので、この鋼管杭は支持杭と分類されます。前者の摩擦杭は地層に食らいつきながら建物を支えるイメージで、後者の支持杭は建物を十分支える地層まで柱を伸ばすイメージの工法になります。この鋼管杭の打設を見るのは初めて。先端にフィンのような羽がついた直径15センチ程の鋼管をねじ込みながら沈めて行きます。今回の現場は山腹の土地であるため、山上側と山下側で支持出来る深さが違います。地盤調査からのイメージでは山上で2M、山下で5Mの予定でしたが、現場では支持が出来るまで進めるため結果、山上で2M、山下で7M程になった様です。水平距離で6Mの間でこれだけ深さが違うのですから、支持地盤は随分急な様子なのでしょうね。
現場の担当の方は全長長さで清算される今回の工事の成り行きに、ソロバン勘定が気になっていたようですが、これで安心感は随分違います。工事をされている杭業者の作業員の方は、ちょっと変わった敷地にどんな建物が建つのか興味津々の様子でした。
先日、親父から「バックヤード見学会」を誘われたので、西梅田に新しく建て変わった「サンケイホールブリーゼ」を覗いてきました。ドイツの建築家クリストフ・インゲンホーフェンという方がビルの基本デザインを手掛けています。
普段は見る事の出来ない楽屋裏や奈落を1時間程掛けて案内してもらいます。900人ほど入る中規模の客席で大まかな説明を受け、まずはステージに上がらせてもらいました。ちょっとした余興付きで、15人程の見学グループが舞台上に一列に立たされ、緞帳の幕開けから見学はスタート。幕が開けて、スポットライトが当たり一般の見学客の皆さんが拍手をしてくれたりして、ひと時人気俳優にでもなった気分。ちょっと恥ずかしい感じですが、楽しい体験です。
舞台上の装置の説明の後、楽屋裏に行って、主役の役者さんが入る楽屋、大部屋、奈落の下の様子。音響や照明のブース内など、丁寧な説明を受けながら一巡してきました。思った以上にゆったりとしていた印象ですが、使い始めればそれでもきっと狭いのでしょうね。ホールのインテリアは黒を基調に、装飾のないシンプルな感じです。機材を隠さず大きなスタジオ風な印象でしょうか。対して楽屋裏は真っ白でした。撮影はご遠慮願います。とのことで、写真のご紹介できないのがちょっと残念。
奈落の底の倉庫には、グランドピアノが2台置いてありました。今回の新ホールの為、調律に1000万掛けてアメリカに渡ったのだそう。ジャズピアニストのキース・ジャレットに持って帰りたいと言わせた世界で数台の名器だそうです。
舞台の緞帳は、朝倉摂デザイン。舞台に立って緞帳が降りて来たとき、緞帳の真ん中に「火の用心」の大きなワッペン。よく見ると少し右に傾いています。右肩上がりに火の手が上がらない「おまじない」だそう? 緞帳の裏には必ずあるのだそうですが、最新の設備がある中にこんな風習が残っているのがちょっと面白い感じでした。

「みの〜おんせん、スパ〜〜ガ〜デン!」と関西ローカルなコマーシャルソングが耳について離れない人は、関西地区の同年代の方なら大勢いる筈。
子供の頃さんざん聞かされたのだけど、このスパーガーデンに行った事が実は無かった。とは言え箕面には紅葉狩りに数回は行っているのだけど、こんなどでかい施設が山の中にあるとはつゆ知らず、想像さえもしていなかったのです。たまたま、今進めている現場の近く。今になって山の上にそそり立つホテルの存在に気がつき。一回覗いてみようと思っていた。そんな矢先、この箕面観光ホテルが建築家・坂倉準三の作品だと言う事を知り、現場帰りに早速行ってみたのです。坂倉氏は既に亡くなられていますが、東京帝国大学を出てフランスに渡り、ル・コルビジェの元で修行し日本に戻ってからは日本のモダニズム建築を牽引する建築家の一人として活躍されました。そんな訳で見に行かない訳にはいかなくなりました。
近づいてみると、ひえ〜。久しぶりに圧倒する「大」建築に興奮しました。うわ、スゴ、ナニコレ?と、想像を遥かに越えたスケールにビックリ。古い何処かの市庁舎にも似た外観は、柱梁を強調し日本のイメージを表現した当時のモダニズムの流れでしょうか。山間から見る様子は、京都清水寺を思わせるような気がします。展望エレベータもスゴい。阪急百貨店メンズ館(ナビオ阪急)のシースルーエレベーターなんか目じゃないって感じです。
これは一度、温泉浸かりにお泊まりに来ないといけませんね。
先週土曜日に分譲住宅プロジェクト(前回「建売」と書いてしまったが間違い。この一棟がモデルハウスとなるので建売だが、他の棟は分譲になる。)の現場を見に行って来た。
いつもと違い、このプロジェクトは意匠的なアドバイスだけなので、細かな指示や絵を描かずに進む様子はなんとなく微妙な感じがする。現場に足を踏み入れれば、気になった施工の様子につい口出ししてしまうものの、あまりアレコレ言う立場でもない。それでも付き合いのある工務店さんだから、それなりに意見は尊重してくれるし、いい加減にできる筈もない。やっぱり不思議な感じがします。
外壁はサイディング。区画の中で、基本のサイディングは3色とルールを決めています。全体が完成したときに、この区画一帯の特徴が明確になるようにイメージをしていますが、売り主の不動産屋さんがどこまでお客さんのコントロールができるかで、まとまるかバラバラになるか、心配でもあり楽しみでもあります。ともかくプロジェクトが完成するまで、悩みに悩んだ予定のサイディングが廃番になったりしないことだけ祈ろう。

昨日、秋分の日は、自宅そばの香櫨園浜の浜辺でイベント「海辺のひろっぱフェスタ」が催されていました。自宅の窓からも写真の西宮砲台が垣間見れるのですが、この日はイベントの一環として砲台のガイドツアーがあり、中に入る事が出来るので行ってきました。
幕末動乱の最中アメリカ・ロシアなどの軍艦の来航から大阪湾防備のために設けた砲台だそうです。国指定の史跡になっています。
外壁は漆喰塗りですが、基本の構造は石積みです(ひとつひとつはかなりデカい)。昭和になって内部から鉄骨の補強工事がなされていますが、崩れる危険性もあるかもしれないので外周にはフェンスが張られ、普段は側に近寄る事ができません。積み上げられた石は、花崗岩が使われていますが残念ながら神戸の御影石ではありません。神戸山手の石切場から切り出した石を運ぶには無理があり、岡山のナントカ島(失念…)から瀬戸内海を渡ってイカダで運んだそうです。
浜辺の砂地に建築するにあたって、石積みの砲台が砂浜に沈まない様にするため当時の技術者は1200〜1500本の松杭(3〜5M)を砂浜に埋込むことしました。という事は、今もこの砲台は松杭の上に建っていると言うコト。ヨメさんに腐らんのか?と聞かれましたが、土に埋もれて空気に触れないから直ぐには腐らんのだろう、と適当に答えてしまったが、如何に?ネットで調べてみたら、適当に言った事は間違いなさそうで水に漬かった松は腐敗しないそうです。古ビルの解体現場から45年前の松杭が青々と出て来たとか、80年前の松杭が出て来たとか、ベネチアの待ちは干潟に数十万、数百万本という松杭で築かれた街だとかの記事が出てきました。そうだったんだ〜スゴいですね。現在も使用される工法の様で、こんな事を書いているのが実はお恥ずかしい。
ところでこの砲台、換気設備が整っておらず試射をしたところ内部に硝煙が立ち込め、とてもじゃないが兵隊さんはいられない状態だったそうです。伺ったお話では実際に使用を考えていたと言うよりも、軍事施設があるぞ!と言う威嚇のためだったのだろう。と。それにしてはエラいものを作ったものです。大砲を突き出しそうな窓は2階あたり、木造の床が組まれていたようです。が、人力で持ち上げるしかないので、大した大砲が装備された訳でもないそう。中心には防火用の井戸が掘られているそうですが、使われた形跡もないそう。話を伺えば伺う程、西宮砲台に悲哀を感じてきました。しかも、火災に遭い内部は消失。なので、写真の通りガランドウな訳です。和田岬砲台と言う砲台が、三菱重工神戸造船所の構内に残っているので、コチラは内部が現存しているおかげで比較推測できるそうです。
ところで砲台という施設はこの建造物だけを差すのでは無く、周囲を囲む土手を含めた全体を言います。(下の画像参照)西宮砲台はこの土手の一部が残っています。そして、砲台のある場所を台場と呼び、全国には百をこえる台場と付く地名が実はあるそうです。東京のお台場は幕府に敬意を払った地名として御台場という事。
ちょっとお勉強になった秋のイベント参加でした。それにしてもお話をしていただいた西宮郷土資料館の館長さんは、メモ無しに、途切れる事無く30分ぐらいお話されていました。次から次に伺った話はどこも面白く、右から左に流れ出てしまったのが、ああ勿体ない。来年もあれば、もう一度聞きたいぐらいでした。
昨晩は、すまいをトークで「木造住宅の構造入門・耐震診断」というテーマの座学を聴きに行きました。
講義の内容とは話がずれますが、他の設計事務所(もしくは施工業者)が設計または建設した住宅を診断するというのは、個人的には正直躊躇します。昔、一度だけ建売住宅の構造が適正かどうか診て欲しいと頼まれたことがあります。知人の話で断れずに行った訳ですが、一見すると正直怪しい。大阪の街中にはありがちですが、間口が狭く奥に深い住宅でした。耐力壁をしっかり取ろうとすれば、窓が小さくなり法的に必要な採光が取れなかったのでしょう。そんな住宅が並んでいました。見に行かせてもらった一軒でなく、その連なり並ぶ住宅の住民が皆不信感を抱いていたのです。事務所に帰って耐力壁の具合を念のため確認すれど、間違いなく確保できているる筈も無く。そのまま伝えるしかありませんでした。自分が設計した訳でもないですが、なんとなく気まずい。正すべき事は伝えるべきでしょうが、他の方の設計(施工)にケチをつけるようなもの。なので、そうした話は正直敬遠してしまいます。しかもまだ経験の浅い時期でしたから、自身の判断をどこまで伝えるべきかさえも悩んでしまいます。
講座はもちろんそんな話ではありません。一般的な木構造の話から、構造的な法規制前の住宅における耐震補強についての行政の取り組みや制度、耐震診断ソフトの実演など、短い時間の中でそれらの概要をお話されました。中でも耐震ソフトでのシュミレーションはヴァーチャルな感覚と言え説得力がありました。仕事柄、やはり興味を惹かれます。
経験の浅い私でも、木造は構造的に一番判断のしにくいものである事だけはよくよく感じています。シュミレーションは数値的にソフトが判断し崩落の様子を再現してくれるのですが、それが全てでないとも思えます。それを覆す必要はもちろんないのですが、自分の考えの中で構造の安全を判断するのはまだまだ遠い道のりがあるように思えてなりません。木構造は古来から継承され発展してきたものです。現代的な鉄骨構造やコンクリート構造と違い、今もって確立した構造理論はあるようでないと言えます。金物でがんじがらめにされる今の法規制はその過程にあるのかもしれませんが、それだけ木構造は複雑で奥の深いものです。これだけは、ただただ、経験を積み勉強するしか無いのでしょうね。精進です。
ところで、ブログで書いた「すまいをトーク」のいくつか記事が会のレジュメに挟まれて配布されました。後で読み返してみると乱筆乱文やら、語尾がおかしいやら、お恥ずかしい。推敲もそこそこに載せてしまっていますので、会に来られて真面目に読まれた方には申し訳ないばかり。お許し下さい。文章もまた、ただただ精進が必要です。
2年前に旅行で行った余部鉄橋(*)が現在、新橋梁へ世代交代されようと工事が進んでいます。たまたま、こんなアイデアコンペを見つけました。一般公募としては、オブジェやグッズへの再利用のアイデア募集です。思い付いたら出してみるのも良いかもしれません。うまくすれば、美味しいカニが食べられるかも。
わざわざご紹介したのは、コンペサイトの中に資料として配布されている余部鉄橋の資料が、建築関連の方にはちょっと面白いのではないかと思ったから。ご興味あるかたは覗いてみてもよいかも。「応募にあたっての注意事項」の中にあります。
ちなみに斜材・横部材・桁などは補修工事で取替えされているそうですが、主部材は100年間使用されているそうです。塗装工事の履歴なんかも面白いです。塗料の進歩が分かるような気がします。

月曜日の祝日は、カキノイエの施主さんにお伴して宮崎椅子製作所まで行ってきました。
友人の古田君に製作をお願いしていたダイニングテーブルに揃える椅子4脚がほぼ完成に近づき、座面や背中の張り地を確認しに行くのが目的でした。ただデザイナーの古田君本人は只今中国、近い内に帰国と聞いていますが、施主さんと共にデザイナーの最後の意向は聞かぬまま決定してしまった感じです。古田君、申し訳ない(笑)。
徳島へイザ。鳴門の渦を大橋から覗き見ながら、昼前に四国入り。昼飯前の微妙な時間になってしまったので、古田君から教えてもらった徳島ラーメンの有名店「中華そば いのたに 鳴門店」で、少し早めの昼食。店に入って驚いたのが、店に座っているお客さんの年齢層が高いコト。注文が済んで待つ間にもつぎつぎお客さんが増えて来たのだが、地元の若い連中と言うより、歳の行ったご夫婦が揃って入って来たり。すごく不思議な空気に包まれていました。ですが、頂いたラーメンはちぃと醤油辛かった。食事の後、徳島の味は濃い?が話題になってしまったほど。意外。
街道から逸れて田園風景の中、宮崎椅子製作所はありました。着いてみると、目の前に建ちはだかったのが工場らしき建物の存在感。重量感のあるものものしき雰囲気は、年代物の匂いがします。その向かいに深緑のガルバリウム鋼板で囲われた現代的な事務所兼ショールームの棟。徳島に着いてから目に入ったいた建物と、どちらも違った意味で異質なかんじでした。妙な期待感が産まれます。
祝日なので工場はお休みですが、社長の宮崎さんが快く出迎えてくれました。ショールームに通されると、目を引く椅子が沢山並んでいます。ここ宮崎椅子製作所は有名なデザイナーとのオリジナル商品を多く製作・販売しています。カキノイスを目の前にしながら、目移りしそうな勢いです。
ともかくカキノイス。試作の様子を写真では見ていたのですが、実物は想像以上に良い仕上りです。カキノイエの内装はどちらか言えば直線的ですが、カキノイスは、カキノタネがインスピレーションにあっただけ曲線。主張しすぎずに、柔らかいイメージをカキノイエに添えてくれそうです。張り地のサンプルを宮崎社長さんに見せていただきながら、施主さんは悩まれた末に決定。ご親切に、候補になった生地をつかった椅子やクッションをつぎつぎ奥から取り出され、イメージしやすくして頂けました。
その後、お休みの工場内を少し見学させて頂きました。天井が高く広い工場に、工程に沿って加工された脚が積み上げられたり組み上がって仕上を待つ椅子が並んでいます。この工場の建物は元々海軍航空隊の本部兵舎だったものを国から譲り受けたのだそう。なるほど。始めに感じた物々しさは、本物だった訳です。この工場を拝見するだけでも貴重な体験だったかもしれません。
カキノイスがカキノイエに到着するまで、およそひと月となりました。テーブルに並ぶ様子が楽しみです。



施主さんの宮崎椅子訪問記はコチラ >
直接の知人ではないのですが先日、高校時代の友人から連絡があり、クラブの先輩のお兄さんの息子さんが「拡張型心筋症」という心臓病を発症し、アメリカでの心臓移植のため募金活動をされている事を知りました。子供では30万人に1人か2人に発症といわれる、先天性でもなく遺伝性でもない予後の悪い難病・・・・なのだそうです。
出来る協力をと思い、このブログを訪れる皆さんにお知らせする次第です。

毎年恒例のボローニャ絵本原画展を西宮市大谷美術館まで見に行ってきました。
公募の作品に気に入ったものもいくつかあったのですが、展示最後に観た特別展示のアイナール・トゥルコウスキィ<Einar Turkowski>さんの作品を観て、その精緻な絵に度肝を抜かれ、それまで観た数々の作品の印象がスッ飛んでしまいました。壁に掛かったいくつかの原画は、他を圧倒する大きさでも、奇抜な色彩でもありません。ごく普通な大きさの紙の上に、小さな絵がいくつも並んでいます。大きいものでもA3サイズあるかなしかです。上の写真は、購入したトゥルコウスキィさんの絵本を撮ったものですが、白い紙にシャーペンで描かれているだけ。解説によると、24ページ程のどちらか言えば薄いぐらいのその絵本の原画は、制作に3年間を要し、400本のシャーペンの芯を使ったのだとか。(正直、芯の数は多いのか少ないのか分かりませんが。。。ともかく3年は長い。。。)HBだとか。0.5?0.3?芯の大きさが描いてなかったな〜。
元々舞台美術の勉強をされていたそうですが、大学に入ってからイラストの講座に通い、この作品は卒業制作だそうです。そのまま数々の賞を受賞。ひぇ〜。絵本になって印刷されているものと、飾られていた原画を思い浮かべても、ほとんど大きさに変わりがありません。むしろ原画の方が緻密だったと感じます。印刷は白飛びしたりして、原画の微妙なトーンを再現できないぐらいです。あ〜もったいない。大きな絵を小さく納めて緻密に思えるのでなく、要はそのままの方が数段ぐらい緻密な印象がありました。
アイナール・トゥルコウスキィ「まっしぐら、奇妙にしずか」(アマゾン)
ブラティスラヴァ世界絵本原画展(スロヴァキア)
2007年グランプリから大きな画像が拝見できます。
設計がまだシャーペン、鉛筆が主流な頃(まだ大学にいた時分)1ミリの中に何本線が引けるかを、ひたすら練習させられるなんて時代がありましたが、もうそんな次元ではありません。虫眼鏡をかざして観察してみたくなる様な絵が、つぎつぎ並んでいるのですから。頭が空白になりそうです。仕事でこんな事していたら、3年掛かっても基本設計すら終わりませんね。 久しぶりに、衝撃でした。
「NU」の工事を担当してもらった工務店さんと以前にお会いしていた不動産屋さんが協同で、建売住宅のプロジェクトを進めていました。全12区画。偶然の縁もあり、その全体意匠の計画やコーディネートなどを微力ながら協力させていただいています。どっぷり関わっている訳ではなののですが、モデルハウス用として先行工事の始まった一区画の棟上げが先日済み、様子を拝見に行きました。現場ではNUを担当してもらった大工さんが、大工工事を任されていました。NUでは大工工事は少なかったのであまり腕を奮ってもらえませんでしたが、腕の良いのは確認済み。同じ大工さんに会うと、なんだか安心です。
工務店の社長さんと不動産屋さんと一緒に、この棟だけでなく全体的な外壁色の具合などを現場で打ち合わせをしていたのですが、色決めはやはり難しい。すぐ迷ってしまいます。周辺の雰囲気もチラチラ見ながら、どうしようか。と。普段は計画物件一棟の色だけを頭に据えれば良いですが、今回はそれなりの数が並びます。プレゼンの時は好きな事言ってましたが、現場に来るとまたイメージがつい移ろいます。と言え、ほぼ当初の提案通り。さてさてどうなる事か。
周囲は完全な住宅街。この計画地周辺でも他の建築屋さんが工事をしている様子が見られます。多少古めの住宅もありながら、最近建った新しいものはどこにでも見られる様な建売(売建)住宅ばかりです。一石を投じるなど大胆な事は出来ないでしょうが、周囲とチッとは違ったものにならんかな〜と密かに期待しているところです。
最終の様子が確定した訳ではまだありませんが、打合せ用に作ったスケッチなどをちょっとご紹介します。

タイトルをそのまま読むと建築家は皆、バラック好きの様に思われそうですが、もちろんそう言う事はありません。バラック建築(と言うべきか?)が好きな建築家もいると言うだけです。その中に自分が含まれているかと言えば、自称すればそうかもしれません。いえ、何を隠そう実は結構バラック好きです。
バラックと言ってもいろいろあると思いますが、本当にバラックと言うよりバラックっぽいものが好きと言った方が本当かもしれません。古びた小屋だとか、レトロなアーケードだとか、市街地の増築を繰り返した住宅だとか。公然とバラックなんて呼んだら失礼なものもありますが。。。建築の法律に照らし合わせると、もしかしなくても違法?みたいなものは、実際世の中に沢山見かけるはずです。しかし、そうしたものについ惹かれる傾向があることを否めません。
しかし、僕自身を含めバラック好きな建築家にバラック建築は設計できません。バラッキーな建築作品と呼ばれそうなものはもちろんありますが、やはりそれはホンモノではありません。バラック建築の多くは、おそらく、たぶん、設計図はないのですから。もしあったとしても、時間の経過によって元々の設計図が意味を成さなく無くならないとバラック建築として成立しないと思うからです。
設計図に描かれた材料を揃えて構築されるのでは無く、その時その場で手に入る材料を工夫して使う。設計図にいくら丁寧に描かれていたとしても、機能的に使いにくいから(場合によれば、使いにくたって本人の意思により)自由に移動させられる。そんな無秩序でありながら、実は意味のあるものにならないといけないからです。設計者がいくらバラックっぽく絵に描いたとしても、法律に縛られたり、数字に縛られたり、実際の生活者や使用者の真の要求に応えられる訳がありません。またそれは、個人とは限らないこともあります。
理屈をいくら浮かべても、 そもそも設計士として活動する人間が、秩序は無く意味のあるものを理解できると思えないのです。法律やら工学やらを仮にも勉強している人間が、それらを無視もしくは否定しながらものを作るのはきっと苦痛です。ちょっと整理が苦手なことと、無秩序であることは、まったく次元の違う話だと思うからです。
だから憧れるのかもしれません。人が生活するなかで発生する生きた建築の要素こそが、僕が憧れるところだからです。本質として人の泥臭い部分かもしれませんが。
街を歩いればときどき釘付けになる古い建物があります。なぜか凄みのある、そんなものが作れる筈は無いと知りながら、やはり憧れています。
しかし、そうした建物や施設はつぎつぎ取り壊され無くなって行きます。レトロ趣味なだけかもしれませんが、見過ごされるそうした遺産を少しでも記録しておきたいなと、最近よくそんな思いで眺めています。

建売住宅や分譲住宅の設計の手伝いしてみて、工業化とか製品化と言った言葉と、手作りとか職人技と言った言葉が以前に増して引っ掛かるようになりました。直接依頼を受けて委託物件の設計をしていると、建物のアイテムはひとつひとつ作らないとイケナイと言った義務のような気持ちが働いて、寝る間も惜しんでホンモノを目指そうと意気込む事もあります。もちろん自分なんかより数倍、数十倍の労力をかけて設計をしている建築家は世の中に大勢いらっしゃいます。なので、恐れ多くも自慢の話ではなく、むしろ勉強も労力もまだまだ足りないことを切々と感じている今日この頃です。
ただ、いままであまり真剣に見たことが無かった既製木製建具のカタログを開いてみて、結構よく出来たデザインの物もあることが分かったし、メーカーによれば納まりのバリエーションが思った以上に揃っていることも最近驚いたことのひとつでした。既製品を使えば設計の自由度は無くなるという錯覚で、避けていただけに他なりません。もちろんオリジナリティという視点だけで考えれば、目移りするように見えてもやはり限界はあります。しかし、世の中の建設事情や住宅事情を踏まえ、トレンドを少しでも押え世の中のニーズに応えようと開発された商品だから侮る訳にはいきません。その傾向と対応の早さはメーカーにますます必要になってくるでしょうから、使う使わないは別に、こうした製品の動向も注意して見ておく必要があるように感じだしました。
木製建具は建築の要素の中でもデザインアイテムのひとつとして捉えやすいだけに、「既製品」というものにどことなく拒否反応を持っていたとも言えます。建物の外装で言えば、サイディングもそのひとつ。以前は正直安っぽい、なんだかプラスティックで出来た様なにテラテラ感が気持ち悪い。ニセモンはニセモンでしかない。みたいな偏見でいたのですが、最近の商品をよくよく探してみると、コレいいじゃんと今まで口にしなかった言葉が出てしまいます。自分が目を背けていた間に、技術はどんどん上がって知らなかっただけ。みたいな事になりかねません。製品としての性能も上がっているでしょうし、偽物を本物にしてしまおうとするメーカーの意欲は、見習うべき事も実は多いはずです。
細かい事を言い出せば、既製品無くして設計は出来ないともいえますが、取りあえず今は意匠的な話として。
話を少し戻します。既製品建具や家具の面材も本当によく出来ています。ウソっぽいのももちろんありますが、ホンモノっぽいのもあります。ポリ合板やメラミン合板と言った化粧のベニヤ板も同じで、昔のプリント合板とは比べられないぐらいに良く出来た物もあります。シートのものもあります。実際、自分の設計した家具などの中で本物の木とニセ物の化粧合板を並べているのに、自分が見分けつかなくなる事さえあります。ホントに。本物の木の部分で塗装が上手に出来すぎると、ますます見分けがつかなかったり。そうだとすると、例えば紙のような薄い単板(本物の木を薄くスライスした板)を練り付けた化粧ベニヤ板を使う意味はどこにあるのだろうか。とさえ思えそうになります。
その昔、事務所の天井板は(古い建物だし。。)本物の板と思い込んでいたのですが、大掃除のある時に近づいてみるとプリントが剥がれている箇所を発見し、自分の眼が如何に節穴であるかを知りました。
考えてみれば、薄い単板を貼った化粧ベニヤ板とて工業製品です。考えれば考える程、工業化(あるいはニセ物)と手作り(あるいは本物)の境界は曖昧です。エコロジー、自然素材、ホルムアルデヒド、地球温暖化などなど、関連する語句はますます増えてきそうです。技術にも材料にも工業製品と手作り品は入り交じっているのが多くの建築の現状だと思います。自分はどこまでの工業化を許し、どこまでの手作りを守るのか。それもまた建築を考える上で大きな要素になるのでしょうし、安易な事は言えないと実感しています。ただ勉強と経験を積むしかその対処は無く、でなければ自分のスタンスを施主さんにきっちり説明することが出来ないように思います。
写真の建物は外装とエントランスのみリフォームしたビルで、以前にデザインをさせて頂いています。茶色い外壁部分は元々はベージュっぽい塗装を施されていましたが、砂岩”風”樹脂シートを貼り直しました。下のまばらな所はスレート”風”タイルです。離れて見ると結構重厚感が出ています。黒のルーバー部分は、エアコン室外機の目隠しになっています。デザインと指示だけ渡しておいて、出来上がりを見たのは実は最近だったのです。思った以上によく出来ていました。(笑)

土地探しをしている施主さんから、ウラの擁壁が気になるのだけど安全でしょうか?と質問される事が今までよくありました。街中の平坦な土地を探しても、意外に擁壁の絡む土地は多いものです。先日の記事(*)でも、奥の方に古めかしい石積みの擁壁が見られました。こうした擁壁は結構厄介なものです。
宅地造成の法律では「敷地の安全」が名目にあるだけで、これは「建物の安全」を意味するものではありません。この微妙なニュアンスはなんだかいやな感じです。その時代において標準的な建物の荷重を考慮して基準は設定されていますが、真新しいコンクリートの擁壁で囲まれているからそのまま家を載せても安全ですとは、詳細な設計を進めてからで無いと本当のところ分かりません。また、目的の土地が擁壁の上なのか、擁壁の下なのかで考慮すべき内容も変わってきます。
擁壁上の土地の場合。
現行の基準では、擁壁上の土地には上載荷重を最低10KN/m2 以上とされていますが、これは1m2 あたりにおよそ1tの重さを載せれると言う意味で、木造2階建ての重さをおおよそ想定した目安になっています。では建物の重さは?というと。
| 構造 | 自重+積載荷重 |
| 木造2階建 | 600kg/m2 |
| 木造3階建 | 900kg/m2 |
| 鉄骨2階建 | 750kg/m2 |
| RC造2階建 | 3,200kg/m2 |
この表は概ねのイメージですが、3階建てだと結構一杯ですね。しかもこの重さはしっかり厚みのあるベタ基礎などで平均的に重さがかかった場合です。そう聞くだけでも、なんとなく余裕の無い話だと思えてしまいます。なので、擁壁に近づく程建物の安全は損なわれると考えるのが妥当です。
少し郊外の切り開かれた開発地に行くと、見晴らしは良いのでしょうが、3階分ぐらいあるだろう高い擁壁の上に家が軒を連ねている事があります。同業者の仕事を疑う訳ではありませんがやっぱり怖い感じがします。 昔の石積の擁壁ならなおさらです。古い宅地の擁壁だと5KN/m2 以上という基準の時期もあります。単純に平屋が目安であり、まだ郊外では2階建てが少ない時代の基準だったわけです。その時は、まだまだゆったり建てれるイメージがあったのでしょうね。
擁壁下の土地の場合。
擁壁や崖が背中にあると崩れはしないのか心配になるものです。ところで建築の基準では、崖の高さと同じだけ逃げなさい。とあります。しかしそんなに離れたのでは、建てれる土地が無くなってしまいますね。しかし、もしコンクリートの裏ごめもない昔の石積みの擁壁があれば、同じことが言えます。
もし基準を満たした擁壁を背中にしていても、その擁壁の上に建物があるなら要注意。上の建物が杭など何の配慮も無しに建っているとすれば、その擁壁に建物の重さが掛かって微妙なバランスで成り立っているかもしれません。しっかり考慮されているのが確証が無ければ避けるのが懸命です。
ところで崖や擁壁は上から崩れると思われがちですが、実際には重さを抱えてスプーンですくう様に土が滑ると考えます。山間部の道路の崖崩れなどの写真を見ると、丸く削り取られたような事になっているのが分かる筈です。擁壁の上端あたりを中心に上の土地から下の土地まで根こそぎゴソっとすくい取るように滑る可能性があるのです。崖の高さと同じだけ逃げなさい。と言うのは話はそうした現象から考慮した話なのですね。
崖は上から崩れるとばかり思っていたところ構造設計の方にその話を教えてもらい、崖って怖いな〜と上ばかり見上げていると足下をすくわれるのだと知りました。

以前ぴーかん事務所に勤めていたスタッフの一人が、神戸の方へ仕事に来たついで遊びに寄ってくれました。世間話をしている内に当事務所のサイトの話になる。庄司さんはホームページの構築に時間を掛けすぎです。その時間を別な事に向けた方がいいんじゃないですか。と、釘を刺された。まま、ごもっとも。
今年の始め気分転換にブログを変えたのが発端で、サーバーの不具合やらに巻き込まれた勢い、本サイト諸共作り直してしまったから、言われる通り結構時間を費やしてしまったのは確か。その上、ブログの組み立てが分かって来るとついついのめり込み、アレコレ細かい所が気になり始めて、ますますのめり込んでしまった。そろそろ落ち着いたとは言え、ブログ構築関連の記事を見つけてしまうと、うっかり時間を忘れて読んでしまったりする。
言い訳をするつもりでは無いが単に言い訳にしかならないのだけど、以前からホームページやブログをやっていると、建築に通じるものを感じてしまう。全体のデザインからディティール。構成やら使い勝手など、その組み立てを考えていく作業が建物の間取りやデザインを考え進めるのに近い。静的なグラフィックでは無く、動的な要素があるからだろうか。ここまで来てもらったら次の扉を開けてください。廊下に突き当たったら右に曲がって下さい。そこでクリックです。そんなイメージを頭の中で描いてみる。
独立し始めたころ FLASH というアプリケーションにしばらくのめり込みました。もともとアニメーション好きだったこともあり、お手軽にアニメが作れるというソフトです。ご存知の方も多いと思いますが、今ではホームページ上のアニメーションや動画、必要ないのに動いているナビゲーションなど、インターネットの世界で最前線のインタラクティブ技術となっています。その FLASH を使ってアニメーションやインタラクティブなグラフィックなどを作って遊んでいたのです。図に乗ってコンテストに応募したりすると、佳作だったか何かの賞もいただけました。ともかく、こうしたギミックな仕掛けに非常に弱いのです。ブログもしかり。
その後 FLASH については中村勇吾という方のサイトを発見し、これはオレには出来んと観念したところで一気に熱は冷めました。当時の自分にとってそれだけスゴい衝撃がありました。
話が少しそれますが先日、宮崎駿監督の出演したNHKの番組を録画で観ていて、宮崎監督は「人に楽しんでもらいたい一心」でアニメーションを続けていたと話しをしていました。先の中村勇吾氏もあるサイトのインタビューで同じ事を言っています。クリエーターとして当たり前すぎる答えかもしれませんが、僕自身もそうでありたいと思います。建築もサイトも「人に楽しんでもらいたい」それを目指したいと思います。
えらく長い言い訳でしたが、元スタッフの言葉から「ナンデこんなにやってんの?」という素朴な心の揺らぎに、たまたま最近観た中村勇吾氏、宮崎駿監督の言葉を思い出した次第です。まだまだ次元が違いますが、そう思ってもらえる様にやって行きたいのです。
ちなみに中村勇吾氏は、もともと建築家志望からウェッブデザイナーに転身した方です。それを知った瞬間はかなり揺らぎましたが。(笑)
大和ハウス工業総合技術研究所を見学に行ってきました。弱小な設計事務所を営む身としては、敵陣視察。(相手にされてない、と言う話もありますが。。。)
敵陣に着いて、まず案内されたのはシアタールーム。大和ハウス創業者である石橋信夫氏の功績を紹介する20分ほどの映像を拝見。これまで全く知りませんでしたが、軽量鉄骨やプレハブの基礎を築いたのは大和ハウスだったのですね。1950年大型台風によって関東の家屋は甚大な被害を受けました。しかし竹林の竹が倒れていない事に着目し、鉄パイプによる工業化パイプハウス「大和式組立パイプハウス」を考案したのが始まりだそうです。
併設されているミュージアムにその「パイプハウス」が展示されていました。運動会で見る様なパイプ式テントのテントの替わりにトタン板を貼ったような雰囲気です。ギミックな感じで個人的にはかなりインパクトを受けました(結構カッチョよい)。展示室に奇麗に展示されているので貧相な印象は受けませんが、今となると野原に建っていれば物置小屋ぐらいにしか見えないかもしれませんね。展示のものは状態の良い現存品を移築したものと思われ、へこみや傷跡が生々しく感じます。しかしシルバーの金属板で囲まれた外観は、現代的な印象も無くはありません。子供の頃なら是が非でも基地にしたい感じです。
そしてパイプハウスの販売から4年後、勉強部屋の無い子供たちのためにと開発されたのが、3時間で建てられるという軽量鉄骨による「ミゼットハウス」。デパートで展開されるという販売戦略で瞬く間にブームとなったそうです。「ミゼット」と言えばダイハツの三輪自動車を思い出しますが、ちょうど同じころです。今だと仮設の現場小屋の印象ですが、庭先にこうした小さな小屋が建ててもらえるのは、当時の子供にとっては夢のような事かもしれません。僕自身からすれば、勉強せずにスム部屋かもしれませんが。。。
この後この軽量鉄骨造の技術で住宅建築へ発展していきます。その過程で映し出される映像に懐かしさを感じました。丁度小学校低学年のころ、3〜4年間だけ住んでいた父親の会社の社宅が庭付き平屋の団地だったのですが、映し出される住宅群の様子にとても似ていました。もしかして自分自身大和ハウスに住んでいたのだろうか?と気になっています。
そして映像は、大型建築物、リゾート開発などへも発展して行く様子を描き出し現代に至っていきました。
シアターを出た後は、世界の住宅を模型で展示したミュージアムや石橋信夫記念館など併設される施設を案内されました。
その中のテクニカルギャラリーというコーナーでは、大和ハウスが現代の住宅や建築に生かしている技術を紹介しています。敵陣視察としてはもっとも気になるコーナーです。
まず、耐震構造と免震構造の違い体験をしました。地震体感装置のようなものです。機械の上に設置されたステージが淡路神戸大震災の揺れを再現するようになっています。
まずは耐震構造(地震の力を受けても壊れない頑丈な構造)での揺れを再現。係りの方の指示に従って手すりを握っていましたが、思った以上に揺すられ手すり無しに立てる状態ではありませんでした。 淡路神戸大震災は西宮で実体験しているのですが、その時間は寝ているところを起こされた次第で揺れを立った状態で体験した訳ではありません。起きて体験していれば、このぐらいの揺れを直に感じたのだろうと確かに思えます。
その次に免震構造(地震の力を受け流す構造)での揺れの体験。ステージ下の機械は先と同じ様に動いているのが分かりますが、揺れの伝達はかなり軽減され普通に行動出来る程度になっていました。原理は単純で鉄のボールをお皿2枚で挟んでいるだけですが、急速な衝撃を感じる事はありませんでした。斜めの傾きがない水上のボートに立っているような感覚でした。お皿は微妙な窪みになっていて、揺れが収まると定位置に戻るのだそうです。
その他、断熱構造や遮音構造、交通振動の軽減体感コーナーなどを廻りました。
最後に、研究棟を拝見。実大の熱環境試験室や各種の試験装置の設置された格納庫のような大型の施設です。実際の実験の様子などを見る事ができると良かったのですが、設置されている様子を見学する事が出来ただけでした。実験棟の中の様子も写真に少し撮ってはいるのですが、撮影禁止のマークもあった事なのでここでは加工写真でご容赦のほど。大和ハウス工業総合技術研究所のサイトにいくらか紹介されているので、そちらをご覧下さい。

見学を終え、ひとつひとつの技術は敢えて目新しいと言うものがあった訳ではありません。(本当はあるかも。。。)それよりも、メーカーという巨大企業の強みで実験や検証を繰り返し可能な限り不備の無い安全な商品を世に送り出す。当たり前に思えるそれらを、これだけの施設を使ってきっちりやれる事がやはりスゴい事かも知れないと感じました。個人の設計事務所にはとても太刀打出来ない所です。反面一律的、標準的なものにならざるを得ないでしょうし、中には過剰とも思えなくも無い配慮(あくまで個人的に)になっている様にも思えてなりません。それが、社会の要請なのかもしれませんが。。。
とは言え、全く参考にならなかった訳ではむろんなく、小さな積み重ねで少しでもより良い住まいを作りたい願いはメーカーも個人設計事務所も同じです。ここで勉強になった事はこそこそっとこれからの設計に忍ばせて、巨大な敵に立ち向かいたいと思います。(相手にされない、と言う話ですが。。。)
京都の夏の風物詩「大文字」の日は、恒例で「BlueWind21」にヨメさんとお邪魔しています。竣工した次の年から毎回伺って我が家の夏の楽しみになっていますが、今回で7回目になるでしょうか。
今年はちょっと曇り空気味でしたが、3階建ての小さな屋上からビルの合間を縫って「大文字」と「左大文字」が去年と変わらず見えました。今年も無事に見えて良かった。とつぶやく施主さんの言葉は、市街地に増えるマンションなどに邪魔されず毎年の楽しみを奪われなかったことを安堵するかの様です。ビルの影になって見えなくなる日が、いつか来るかもしれません。それとしてもこのイベントだけは止めずにいて欲しいばかりです。
大文字を見る納涼も楽しみですがココに来るもうひとつの楽しみは、いち年ごとに子供たちの成長を拝見出来ること。仲の良い兄妹3人の様子や関わり方が毎年少しづつ変わって行くのを感じながら、この住まいでどんな風に育ってくれるだろうかと、どんな風に使われて行くのか。この「BlueWind21」では、個別の子供部屋はありません。勉強スペースと寝るための部屋があるだけです。成長する過程で文句のひとつを子供たちから、この例会でいつか詰め寄られる日が来るかもしれません。身勝手な設計者からみると、この小さな住宅で楽しくも逞しく育っているような気がしてんなりません。なにより、施主さんご夫妻と子供たちの家族の関係がとても良く見えるからかもしれませんが。
来年のこの日が、また楽しみです。
竣工当時から飾られているレインボーマンのフィギュア。と「左大文字」の見える様子。
お盆の始めは、ヨメさん共々「カキノイエ」にお邪魔しました。完成してから半年が過ぎてしばらく行く機会もなかったのですが、暑いうちに夏の様子を拝見できました。
あらたまった感じもなく久しぶりに施主さんに会いました。設計〜監理の間「雨男」の烙印を押されていたのですが、今日の所はほぼ快晴。駅に迎えに来ていただいた時間だけ少し曇りかけましたが、再会早々からそんな話で始まりました。なんだか未だ完成せずいつもの打合せに来た錯覚に陥りそう。
そして「カキノイエ」に到着。玄関扉の染めた黒色が陽に焼けて薄くなっていましたが、外観にその他変わった様子は無くまずはひと安心。
中の様子も写真を撮りながら一巡。こちらも見渡す限りはとくに異常は無さそうで良かったです。中庭の掃き出し窓にはスダレを掛けて日除けをされていたので、中はほんのり暗く適度に落ち着いた様子でした。一巡した後、リビングの長い座卓にどっかり座ると吹き抜けの天井を見上げてしまいます。屋根に沿って斜めにせり上がる天井が、包み込むようで開放感のある不思議な感じを誘い心地よい。
完成後に施主さん宅に伺う機会は、メンテナンスの時や新規の施主さんを案内する時がやはり多くなります。ただ、そうした時は仕事の事が基本的に頭にあるので、十分に空間を楽しむ余裕はあるようでありません。監理最後に完成した住宅を一人居残って歩いてみても、まだそんな気分にもなれません。なので、たいした理由も無く単にお邪魔しに来た今回の様な時こそ、ようやく自分の設計した住宅を改めて感じる気がします。それぞれの家はそれぞれの施主さんが住んでいる様子を想像しながら設計している訳ですが、実際にそこに身を置いて自分が住んでみた訳ではありません。数時間の滞在で全てを感じることは無理ですが、自分の設計した完成後の住まいに〜たいした理由もなく〜伺う事は、自分の設計力?を高めるには大事なことだと改めて感じます。
施主さんにはそのまま夕食をご馳走になりました。料理好きな施主さんのもてなしにヨメさんも感激。食べきれない料理をふんだんに振る舞っていただいて本当に感謝です。
食事後、施主さんに案内してもらいながら、「なら燈花会」に行きました。ちょっと酔っぱらったままなので、ぼやけた写真しかありませんが、最後に少〜しだけお楽しみください。

盆休み前、今日は暑い中、遣り方(建物の配置決め)に付き合った。
掘削が済んだこの土地には、建売住宅が建つ予定。事務所ビルのリフォームをさせていただいたいなほ不動産(Inaho)が進めているプロジェクトです。実は庄司洋建築設計事務所初めての建売住宅。縁があってのお仕事ですが、やり始めてみると実は結構勉強になると感じている。そんな訳で、時たま進行状況はレポートして行こうと思っています。
そもそもこの計画に参加しようとしたのは、案内されたこの敷地がちょっと変わっていたからで、敷地は接道する道路面から擁壁をはさんで3Mほど下にあり、建売するには採算があまりよろしく無い。普通なら建売屋さんが見向きはしないだろう土地だったのです。どうも悪い癖かも知れませんが、面白そうな土地を見せられると、何となくやりたくなって来る。眺望がいいから捨てがたいけど、止めた方がいいですかね。それともなんとか出来ます?なんて、不動産屋の社長のうまい誘導とは分かっていても、やれますよ。面白そうじゃないですか〜。なんて、安易に応えてしまった。こういうちょっと癖のある土地は申請ごとが結構面倒になりがちだ。案の定、その後は走り回るハメになったのだったが、なんとかこうして着工の準備が始まった訳です。(その辺のいきさつもまた後々)
ところで写真で見受けられるように、奥には少し古そうな擁壁に頼り無さげな青い柱。お隣とは言え、ちょっと気になります。心配だからどけて、とも言えない。この付近は古い開発地で、いわゆる宅地造成の法律が出来るか出来ないかの境目あたりの時期に住宅地として切り開かれた環境です。で、結局法律以前の現行基準に照らすと怪しい擁壁が付近のアチラコチラにあるのが分かります。急な斜面なりに見晴らしの良い環境は得られるのですが、地震や構造に過敏なこの時勢では躊躇しそうな宅地が(大きな声では言えませんが)ある訳です。幸いこの敷地は若干手を入れれば、まだ安全な土地と判断できそうでした。
しかし安全な土地?とは何でしょう?その判断は、実はかなり曖昧なものだと思います。建物は人の手によって作られますから、噛み砕いてみれば、怪しいものは怪しい。これは大丈夫とほぼ正確な判断ができますが、自然の神様が作った土地はなかなかそうはいきません。造成された開発地の平らな土地なら安全?とも言い切れないことがあります。地盤調査をしてみたらユルユルスルスル。それを間近で見た経験からすれば100%安全な土地などあり得ない。と思うのが、正直な印象です。
今回の土地の地盤調査の結果は、・・・微妙なところがありました。地盤調査の会社の判断資料も、どことなく明言を避けた言い回し。いやな感じです。少しでも経費を下げたい不動産屋の会社の意図も若い監督の言葉から見え隠れする。しかし、地盤改良するのに50万程度かなとも判断できる。それだけで自分の家だったら嫌でしょ?と、話をして今日は終わりになりました。暑いから。
昨夕、押井守監督の「スカイ・クロラ」観てきました。
アニメと言うよりも映画でした。どこか分からない日本のようで外国のような架空の時代と国で、戦争が人の欲望の抑制のためにゲーム化された世界。作られた「大人になれない子供」が、ゲームのコマとなって、その代理戦争のなかで戦闘を繰り返します。
リアルな3Dの空戦シーンは圧巻で、戦闘機にのって空を舞い上がれば本当にこんな風に見えるのだろうな、敵機に襲われればこんな風にやられるのだろうな、とまるでその場を実感するようなメカニックの表現です。色彩は押えながらもどことなく明るい画面に、戦闘機の飛行シーンもなんだかプラモデルが浮いた様な空虚感が漂い、対比して平面的に描かれたキャラクターの表現に違和感を感じましたが、それはむしろリアルに見える戦闘シーンがゲームである事を強調しているのか、現実と架空が混然となり本当はどちらの世界がホンモノなのかを分からなくさせる意図かなとも思えます。
そんな解釈は観た後の事で、結構素直に映画を見入りました。物語はどちらか言えば言葉少なで進みます。説明的なところはほとんど無く、全くの前知識なく観るとちょっと悩むかも。設定の複雑さや周りを取り巻く多くの伏線を封じ込め淡々とした日常の様に進み、それでいて人(ゲームのコマ)が死んで行きます。それを世の中の人は心配しながらも傍観している怖さ。「大人のおとこ」とされながらも実体の見えない敵。様々な想像や憶測を、映画の登場人物と共に物語の進行を追いながらぼんやり考えてしまいます。
なんとも言えない余韻を残す映画でした。アニメが苦手な映画ファンでもそれなりに楽しめるのでは。ただしアニメと言えエンターテイメントではないので、ご注意です。
それはそれとしてオリンピックも始まりました。谷選手の銅は残念ですが、素直に思えばやはり凄い偉業ですね。こちらはリアルですね。当たり前ですが。。。

既にご覧になった方も多いのではないかと思いますが、Googleマップのストリートビューが日本でも開始されました。限定された地域だろうと思いながら、今日初めて見てみると、予想以上に広範囲だったことに正直ビックリ。いつの間に。。。
仕事で使いなれた明石大橋がピックアップされていたので、まず。ちょっと曇り空だな〜と思いながら、それでもグリグリと橋を眺め回せることに素直に感動。サービスエリアにある観覧車に近づけなかったのが残念。普通では出来ない道路の逆走もなんのその。しばらく遊んでしまいました。
それなら、事務所の近くは?と見てみると西宮近郊も結構しっかりとある。だとすると自宅は?そのまま何気なく見続けていると、おや、自宅近くの見慣れた風景に見慣れた人物らしき影。プライバシーの問題などで米国でもすでに論議はあり、今回の日本の風景では人物にはボカシが掛かっていると新聞には出ていたが。。。こりゃオレじゃん!うわ〜、ちゃんと分かるじゃん。もうちっとエエ恰好しておくんだった。と冗談言ってる場合か?そのまま自宅に近づいてみると。あら、またいた。見つけた限りおおかた3カットの画像にしっかりと写っていました。ハーフコートを着た服装やご近所の様子から見る限り、おそらく今年始めのころに撮影されたのではないだろうか。朝の9〜10時頃だろうか。えらいタイミングに出くわしたものだけど、グーグル撮影隊にまったく気がつかなかった。不覚。
さすがに自分が写っているのには驚きました。見られて困る写真ではありませんが、なんとも微妙な気分ですね。どこまでが情報として許されるものなのか?その線引きは難しいものがありますが、公と私の区別は、個人情報の保護といった建前とは裏腹に実態は曖昧なものになっていく気がします。もしかしたら、思いもかけぬ別な場所で無防備なまま第四、第五の自分の姿が写っているかもしれない。しかしその事自体よりもこれは、些細なことなのか大変なことなのか分からなくなりそうな事が一番怖いことかもしれん、と感じます。
先日、友人と話をしている中で「造形」と「デザイン」の違いを、彼が意識している程に自分自身は意識していない事を感じた。(雑誌等で見られる)最近の建物は、デザインは良いけど造形が無い。時代が過ぎてこの世に作者が死んでいなくなっても残るような建築の気がしない。と彼は言うのだ。
デザインは表層的なもので、装飾や仕上は時間が立てば古びるしやり替えもある。すると魅力が無くなるかもしれない、それは質そのものが廃れるというもの。造形はもっと根源的なもので、表面的なものが何であれ古びようが朽ちようが、それは変わらない質を保つというもの。時代の流れがあってこそ存在するのがデザインで、時間とは無縁に存在するものが造形と捉えて良いのだろうか。時代を超えて愛され残る数あるデザインは、造形そのものに良さがあるからこそとも確かに思える。
その場での彼の話の趣旨を乱暴に解釈すれば、最近のもてはやされ目移りする建物の多くは造形もないのにデザインでごまかしているに過ぎないと、嘆いているように感じた。
さて、建築における造形とデザインとは実は一体なんだろう。それを深く考えだすと、混乱迷走しそうな気がする。自然、環境、土地、時間、光、量塊、量感、空間、間、広がり、高さ、開口、窓、、、、哲学、歴史、、、家族、個人。それぞれの捉え方、考え方、組み合わせ方のなかで、建築は一体のものとなり建物として姿を現す。
どことなく間違った解釈をしそうなのが、量感や間など空間を造形と捉え、内部や外部の仕上をデザインと捉える事。大きな吹き抜けをリビングに配したとても気持ちよい空間です。とチラシの宣伝文句になる建売住宅があったとしても、それが造形の良さに繋がるかと言えばまずそうでは無い。その設計者は造形というより、単に売りのデザインとして吹き抜けのある間取りを考えていただけかもしれない。本来は造形として捉えるべきところも、表層的なデザインのアイテムでしか無くなってしまっている。いや、デザインと言ってもいけないかも知れない。
自分自身はどうかと問われると、デザインよりも造形のしっかりしたものがやりたいと思う。ただ、その造形とデザインの違いがまだまだ曖昧なのも本音。タマゴが先かニワトリが先か、に似ている話だが、まだまだヒヨッコにはじっくり考えないと解答はでないかもしれません。