清水末商店【木彫看板】

清水末商店
清水末商店

京都寺町通は昔からの京都らしいお店が並んでいる一画でもあり、昔からの木彫看板を幾つか見つける事が出来ます。その寺町通 を御池通の交差点から少し北へ行くと、京都でも2軒しかないという木彫看板屋さんのひとつ、「清水末商店」があります。

系譜は残っていないので、いつ頃からのお店なのか分かりませんが、記録のある限りは慶応元年。当時の薬の吊り下げ看板が多く残っている様です。現在は四代目当主の清水國雄さんが息子さんと2人でお店を支えています。清水さんは職人の貫禄を、温厚そうな人柄のなかに感じさせるような方です。

四代目当主の清水國雄さん
四代目当主の清水國雄さん

愛用の小刀は島根のヤスケ製
愛用の小刀は島根のヤスケ製

看板の材料は、主に欅(ケヤキ)や栓(セン)。目が素直で銘木とされるような木目の美しい北海道産の材料を、自ら厳選し買い付けるのだそうです。材料の買い付けから始まり、場合によれば自ら書も書き、木を彫り、着色し、漆を塗ったり、金箔を貼ったりとさまざまな工程を重ねて、一つの看板が完成します。
ですので、決して安請け合いをされません。常に納得のいく品を完成させることに専念し、他の類似した看板とは比べられない持ちの良さを信条とされています。時間が経てば、「時代を感じさせる」看板作りなのです。
しかし、「うちの看板は高いのです。本物の良さを分かって頂ける方にしか、なかなか買って頂けません」と説明される清水さんの奥さんは、ここへ嫁いだ時におばあさんから「うちは木をかじって生きてるねん」と言われたそうです。職人堅気の清水さんは一切の営業をせず、台所を取り仕切る奥さんはヤキモキされるのも仕方ありません。

先に書いたように、看板屋さんは多種多様な技術を身につけておかなければなりません。寺社に掛るような額付きの看板も全て製作されます。大工仕事から始まり、彫刻や漆、金箔など、一人で全てをこなさなければならない時もあります。10年では一人前になれないのだそうです。
清水さんの製作される看板は、一枚の板を掘込みながら作られるのですが、文字の底面 が柔らかく膨らんでいます。写真では平坦なものに見えますが、実物を見ると浮き出た様な立体感を感じさせます。これを紙やすりなど一切使わず、小刀で仕上げるのです。
また、書の勢いを殺してはならず、自らも書をたしなめておかなければなりません。かすりの具合や運筆を分かっていなければ、彫る事が出来ないのです。

何気に彫られているようで、いざ材料を持たせて頂くと、ずっしりと重く、堅い材料を使われていることがよく分かります。しかし、それを毎日彫り続ける清水さんの手は柔らかく、マメがありません。熟達した技は、余分な力を一切使わずにいられるのでしょうか。ただ現在では、さすがに筆に持ち替える事は出来なくなったそうです。

こちらで、6万円也
こちらで、6万円也
和紙に文字の型を残しています
和紙に文字の型を残しています

「和」と書かれた円形の額は、玄関や和室、洋室どこにでも掛ける事が出来るように、とオリジナルで製作されているものです。文字は書家さんに書いて頂いた物だそうですが、製作に延べ2週間ほどかかっています。大きいものになると、2ヶ月、3ヶ月はザラのようです。
家の表札はヒノキ材を使いますが、手頃な値段で製作して頂けます。小さい文字では清水さんの技は生きて来ないのが残念ですが、折角の家の顔、京の伝統工芸職人の手業による表札を揃えられてみてはいかがでしょうか。
知っていれば自宅の表札を作ってもらうのでした。

こちらは昔々の看板
こちらは昔々の看板


【案内】
清水末商店
京都市中京区寺町二条下ル
電話:075-231-4838

【参考サイト】
京を語る(情報誌・京都)」より

やまと錦魚園【郡山金魚】

やまと錦魚園
やまと錦魚園


近鉄郡山駅から10分ほど。田圃に囲まれた先に「やまと錦魚園」と「金魚資料館」があります。
金魚と言えばついつい夜店のイメージなのですが、ここは金魚の養殖場。真っ赤な金魚が夜店とは比べられない程に一杯いました。小さいのやら、大きいのやら、見慣れたものや、珍しいものまで、いろいろいます。

金魚の紀元はもともと中国で、鮒(フナ)のかけ合わせから作られた人工的な魚のなのだそう。4000年の歴史は恐るべしです。なので卵からふ化した金魚は初めから赤い訳ではなく、一定の時期になると赤く変色していきます。その際に、みな金魚になるとは限らず、中には先祖返りをしてフナのまま赤くならない金魚もいるのだそう。実際に商品として出荷出来るのは、半分にも満たないと聞きました。
こうした養殖場に来れば、そうした赤くなる前の金魚を購入するという、少し変わった楽しみ方もある訳です。
熱帯魚はお金持ちの趣味で、金魚と言うと何となく庶民的なイメージを持っていましたが、物事極めればいくらでも上がある訳で、日本国内に限らず海外にも珍しい金魚は輸出され、各国のお金持ちの趣味になると言うのも納得できる話しでありました。

「金魚資料館」には、金魚に関する歴史的な資料なども展示されています。ちょっと怖かったりもしますが。
また、「高級金魚?」を水族館の様に展示してあり、さまざまな金魚を見る事もできます。いままで、まじまじと金魚を見たことがないのですが、ランチューやら、綺麗なものも沢山いますが、人の手によって作られた生体が何となく可哀想な気もします。
が、自分には気付かずこうした事は身の回りに沢山あるのだろうな、とも思えました。

金魚。きんぎょ。キンギョ。
金魚。きんぎょ。キンギョ。
金魚の養殖場
金魚の養殖場


最後に金魚の飼育について豆知識。
金魚は誰もが知るように淡水の魚ですが、水槽の水に少しだけ塩を入れてあげると良い。要は生理塩水に近いほど良いのだそうです。なぜかと言えば、金魚が何かのきっかけに怪我をしたとすれば、体内の塩分が浸透圧で薄まってしまうためだそうです。逆を言えば、海の魚は怪我をすると体内の塩分が濃くなってしまう訳です。これが、淡水魚と海水魚の大きな違いでもある。なので、少しだけ塩を入れてあげる。
はじめて知りました。

金魚は小さい奴がやはり可愛いですね。庶民ゆえでしょうか。

立派な金魚が一杯
立派な金魚が一杯


【案内】
金魚資料館
奈良県大和郡山市新木町107
電話:0743-52-3418

【参考サイト】
金魚探索コース

錦光園【奈良墨】

錦光園さんの暖簾
錦光園さんの暖簾


JR奈良駅からほど近くに墨作りの工房「錦光園」があります。
奈良が墨の名産地とはつゆ知らず、全国で98%のシェアを占めていると知り驚きました。とは言うものの墨の需要は年々減るばかり、伝統技術の継承がやはり問題になっている様です。

墨の質は、基本的に油で決まります。一番良質はゴマ油なのだそう。中華料理ではありません。ごま油に火をともし、茶わんを逆さにした様な道具で立ち上る炎の先からススを拾います。炎と茶わんの高さが離れればより微細なススを拾う事になり、さらに良質なものと成ります。こうしたススによる墨の製造はおよそ600年前室町時代中期頃から行われているもので、南都油煙墨と呼びます。
それ以前には、木(赤松)を燃やしてススを集め製造されていました。これは松煙墨と呼びます。

そうして拾ったススを暖めてゆるめた膠(ニカワ)と混ぜて固めます。工房には炊飯器があり、粘土のように練り合わされた墨を保温しながら使います。冷えると固まるので、昔の職人さんは股の間にいれて保温していたそうですが、墨の粘土をちぎって丸めて木型にいれて、見慣れた形の墨に成型していきます。木型は梨(ナシ)の木が一番良いそうです。

柔らかい墨を木型に入れる工房
柔らかい墨を木型に入れる工房
湿り気の違うとても細かな灰が入った箱
湿り気の違うとても細かな灰が入った箱
じっくりここで乾燥
じっくりここで乾燥
乾燥中の墨
乾燥中の墨

型からはずした墨はまだ柔らかく、なんとなく羊羹のようなもっちりした感じで、さわると微妙な弾力が気持ち良い感じです。そうして、その墨羊羹を灰の入った箱に移し徐々に乾燥させます。一気に乾燥すると墨は簡単に割れたり、歪んだりしますので、湿った灰から乾いた灰に段階を踏んで乾燥させます。気温や湿度、灰の湿り気具合を感じ取りながら、具合のよい灰の箱へ墨の移し換えをするのも職人さんの勘所が決め手なのだそうで、経験を積まなければ簡単に出来る事では無い様です。
更に乾燥棚に移し、時間を掛けてゆ~くりと乾燥させて、ようやく製品になっていきます。意外に掛る墨の製造工程の長さにビックリです。また、墨作りは膠の腐らない寒い冬の2月頃が一番最適だそう。夏には墨作りは行われません。と言うことは墨職人さんは季節労働者なのですね。

適量の墨をちぎって木型に入れるのは職人技
適量の墨をちぎって木型に入れるのは職人技
乾燥箱への詰め込み
乾燥箱への詰め込み


ところで、墨の匂いと思い込んでいたのは、実は膠の動物性匂いを消すために入れた樟脳の匂いなのだそうです。
また、良い墨の見極めは「薄墨」にして使った時にこそ分かります。良い墨はより染料に近く、美しくにじみ、 薄くても深みのある色をたたえます。小学校の頃に使っていた墨汁は工業的に作られており、墨の粒子が荒く均一なので味わいは出ないのです。

墨の削りかす
墨の削りかす


【案内】
錦光園 http://www.eonet.ne.jp/~nigirizumi/
奈良市三条横町547 電話(0742)22-3319
HPには墨の歴史や製造過程を詳しく解説されています。

「にぎり墨体験」出来ます。世界にひとつだけの墨作りにGO! これは結構楽しめます。家宝になるかも。


追記

キチキチハウスのキッチン拡充計画?

20030426_001.jpg

当初から懸念されていたことですが、キチキチハウスのキッチンはやっぱりキチキチなので拡充を計りたいと というメールが施主さんから届きました。
例により南実業さんに出動ねがい、無事完成した収納拡充部分が上の写真です。
レンジ台を作ったり、野菜入れや、ナベ置場を作って頂きました。写真では分かりにくいですが、ガスコンロ横には引き出しはモトモトありません。前板を綺麗にくり抜いて見事、元からあったかのような出来栄です。
南さんは丁寧な仕事をしていただけるので、遠方でも安心です。

20030426_002.jpg

キッチン工事完了後、施主さんからいただいたリビングの写 真です。念願の丸のちゃぶ台を揃えたということで頂きました。grafで揃えられました。奥のCDラックもgrafです。
きれいに使って頂いていつも感謝です。

近江クーパレジ【洋酒樽】

構内につまれた古樽


JR近江八幡駅から近江鉄道に乗り換え、八日市市の駅からタクシーで15分程、サントリーの近江エージングセラーという施設があります。その中に「近江クーパレジ」という洋酒樽の製造工場があり、そこへ見学に行きました。
さすが大企業、サントリーの施設だけあって施設の入口からもタクシーのままゆったりした構内を少し行くと、樽工場が見えてきます。まず目にしたのは、廃棄前の古樽が山高く整然と並べられている様子。タクシーの中にいてもウヰスキーの香りがしてきました。

古樽


まずは近江クーパレジ社長の立山さんから樽のお話や、会社の歴史などを聞かせていただきました。

樽のお話の中で興味をひかれたことは、まず、日本人として最初に洋樽作りに携わったのは、かの有名な?ジョン万次郎さんだったこと。樽作りの道具は、太鼓や木造船の道具に類似していること。ウヰスキー樽の材料はオーク(樫)と言われているが、水楢が使われていること。樽の良し悪しが、ウヰスキーの品質の5~6割を占めること。
そして、樽が太鼓腹なのは強度を増すこともさながら、600キログラムになる重い樽を自由な方向に転がしやすいこと。なるほど~と納得。

構内の様子


「近江クーパレジ」は現社長のおじいさんにあたる立山源丞さんが、明治の終わり頃に独立してセメントの樽作りを始められたのがそもそもスタートだそうです。それから紆余曲折ありながらも、サントリーの専属となり現在に至りますが、当初手作りで月産10~17丁(樽)が、昭和の30年代にはトリスなどの洋酒ブームもあり、工場も機械化され月産1800~2000丁にもなっていたそうです。
ただ、現在はウヰスキーの売上は減り、年間でも100丁ほどしか生産されていないらしく、今3人ほどしかいない樽職人の後継が問題のひとつになっているようです。ウヰスキーも10年くらいは樽で寝かせていますが、樽作りを一人前になるまでに10年ぐらいはかかるという話しですから、みんなもっとウヰスキーを楽しまないといけませんね。

板材の敷き並べ
フープのはめ込み
手慣れた作業


樽作りの一連の流れをビデオで見せて頂いた後、工場の方へ向いました。
おもしろいのは、機械化されているとは言え、樽の側面に並ぶ板の巾はマチマチ。樽型にするため板それぞれは少し紡錘形に製材されています。そのまちまちの板を写 真に見る筒状の機械のなかに敷き並べ、筒状に並んだ板をを拘束するフープ(タガ)をはめて行きます。板巾に規格を作るときっちり合わせるのがむしろ難しいのだそうです。
板それぞれの側面は平滑でギュッと締め込む圧着だけで水を透さなくします。大事なのは板の密度や性質を見極めること。なかには水をもらしてしまう材料もあるので、一瞬でそれを選別 するのだそう。説明されれば分かりますが、流れ作業の中でそれをするのはやはり職人技です。
また、樽の上下のフタも締め付けで圧着するだけ。フタの加工はほんの少し楕円になっていて、締め付けられることでほぼまん丸になる訳です。
板は原酒を含んで少しは膨らむでしょうが、それだけで長いものでは50年も使うのですから、途中で修理することもあるとは言え、よく漏れないものだと感心します。
また、出来上がった樽の中は、銘柄によって焼いたり、薫製したりしもします。

ここに来てはじめて樽を使いまわすのだと知りました。お酒ができるまで一度きりのものだと思っていたからです。
出来たての樽は成分が出過ぎるので、スコッチには合わず、バーボンを作るのに使うのだそう。

修理中の古樽


一通り工場の見学の後、ウヰスキーの貯蔵庫も見せて頂きました。見た所、4階建てくらいの大きさでしょうか。搬出入のリフトが動く一直線の通 路だけに天窓がある巨大な暗い倉庫です。
立体駐車場と言うべきか、樽が整然と寝かされている様子は壮観です。出入り口付近に立つと、ウヰスキーの香りが、鍾乳洞の前に立ったときのように冷気と共に身体を包むような気がしました。

樽の生産量が減っている事を先に書きましたが、それでも「近江クーパレジ」さんは技術を絶やす訳にはいきません。
なので、現在は親元のサントリーさんの許す範囲のなかで、樽作りの技術を使って、新しい事業を展開されようとしています。
太鼓など楽器もその一つです。
また、廃棄処分される古樽を解体して出来た板材を、家具にしたり建材にされたりもしています。

貯蔵庫


ゆったりとした時間の流れを感じる半日でしたが、そこには確かな技術があり、なくてはならないモノがあるような気がします。ウヰスキーが出来上がるまで、短くても10年。現代の早い時間の流れの中で、先を読んで行くことはとても難しいことです。10年先にどんなお酒が好まれるのか誰にも分からないし、その時にどんなお酒がここで生まれるのかも分かりません。
ウヰスキーの消費量が減れば、技術を維持することも難しいと思うと、社長さんが柔らかく、みなさんにウヰスキーを飲んだもらいたいと言われるのが、身にしみるような気がします。私自身もお酒は嫌いな方ではありませんが、この時ばかりは、酒好きの親父にまだまだ現役でいてもらわないと、と思う限りです。

見学を終えた帰り道、貯蔵庫の前で吸ったウヰスキーの香りで、こころもちほろ酔い加減な気がしました。もしかしたら、電車のなかで顔を赤らめていたかも知れません。

材料となる樹齢200年くらいのオークの切り株


【案内】
近江クーパレジ株式会社
〒552-0063 滋賀県八日市市大森町字池谷863-1

【参考サイト】
リサイ樽・08-09.com
サントリー樽ものがたり
廃棄の樽を使った家具や小物の販売もあります。

広島ツアー

2003.01.04-05

個人的な事から始めて恐縮ですが、ヨメさんの「広島でやってる横尾忠則展を見に行きたい!」という一言から、正月に広島へ行かされるハメになりました。夜が明けやらぬ 4日の午前3時半に出発。どうせなら日本三景・宮島や厳島神社に初詣と山陽道を走り抜け、 宮島に着いたのが9時半を少しまわっったころでしょうか。まだ眠そうな羊。もとい鹿に出迎えてもらいました。

早速、厳島神社へ参拝。朝早くから多くの参拝客が境内を巡っていました。ほとんどは平安時代の建築様式だそうですが、能楽堂は江戸時代のもののようです。基本的には朱と緑に彩 られた境内ですが、この能楽堂が塗られていないのは、時代が違うせいなのでしょうか?(お勉強が足らなくてスイマセン。)
手を併せた後、お隣の大願寺にもお参り。こちらは弁天さん(芸術・開運の神様)をまつる日本三大弁財天ですから、個人的にハズス訳にはいきません。着いてはじめて知ったのですが、宮島には厳島神社の他にも沢山の寺社仏閣があります。下調べをせずに来たのには少し後悔しましたが、目についた所へ行き当たりばったりで廻る事にしました。

始めに行き着いたのは左の写真にある多宝塔。
その後、大聖院へ向いました。大聖院には願い事をひとつだけ叶えてくれるという一願大師が祀られていると宮島案内に載っているのですが、境内のあちこちにごった煮のように神さんが祀られてました。願い事を叶える為に、神様の分業でしょうか。有り難みがあるようなないような。
その後、港に向いつつ右2つの写真にある千畳閣に寄りました。豊臣秀吉が造らせたそうですが、秀吉の他界によって完成せずままになっています。大きな広間は秀吉の豪傑ぶりが分かるような気がしました。まん中の写 真にちらっと見えますが、梁に掛けてあるのはでっかい杓子(しゃもじ)です。宮島の商店街には世界一の大杓子もありますが、なんで杓子なんでしょう。もう少しお勉強します。

ゆっくり廻ればもっと良い所を見つけられたのかもしれませんが、徘徊した島の中はほとんど観光地化しているように思えました。今一つ古い町並を楽しむというおもむきに浸れなかったのが残念です。むしろ、商店街の道沿いに掛る折り畳み式の天蓋(アーケード?)がとても印象的に残りました。旅行先では、ちょくちょくこうしたアーケードに興味が惹かれます。とてもアジア的な感じがしました。

昼過ぎには宮島を離れ、広島市内に向いました。
着いた早々まずは、大建築家・丹下健三先生の広島平和記念資料館を見ておかないと。と思った矢先、写 真の通り外壁の改装工事中。スッポリ囲まれているのを見て大ショックです。
少し前に建築史家・藤森照信氏の講演で東館(写 真右)がすっぽり石パネルに囲まれているスライドを見ていたので、改装中らしい事は知ってはいましたが、目的の西館(写 真左)がこの状態とは、時すでに遅し。トホホです。建設当時、コンクリート打放しで柱梁を巧みな日本的意匠に昇華させた事で世界的にも注目されたモダン建築です。年初めに、その静閑でかつ力強い容姿を拝まないとと、設計者のはしくれが初詣気分で来たのにアレマ~という具合。これまた後悔しきりです。
コルビジェのピロティを模した列柱空間も直に体験したいと思っていたのに、入る事すらできません。かろうじて内部の展示は見る事ができましたが、自分にとってのメインディッシュは食べ損なった気分でした。

原爆ドームも補修工事中。広島に来た甲斐がまったくありません。気を取り直して、市街探索へ。すばやい変わり身です。
中心の商店街は何となく道幅の広い大阪心斎橋と日本橋の合体といった感じで、うろうろしながら見つけた「Blue flat cafe」というカフェにまず入って休憩。一息ついたところで、店員さんにお好み焼きのおいしいお店を紹介してもらい、食べ損なったメインディッシュの埋め合わせに向いました。
八昌」 というのがそのお店。中心から少し外れているので分かりにく場所ですが、地元でもイチオシ人気店らしい。たしかにうまかったです。広島風お好み焼きというと、僕には祭の屋台で食べるもの(?)という片寄ったイメージしかありませんでしたが、それを十分に覆してくれる満足度でした。生地はパリッとしながら、ジューシーな具がお肉に挟まれて、食感も今までに知る屋台の広島風お好み焼きとは一風違っていました。
満足して、夜の広島市街を探索しつつ予約しておいた宿へ。

 

一晩明けて、1月5日。左の写真は爆心地に建つ石碑。この日、広島は雪景色です。
朝一番から目的の「横尾忠則・森羅万象」展を観に、広島市現代美術館へ向いました。まだひと気の少ない朝から美術鑑賞です。横尾忠則のピラミッドパワーには敬服します。次から次へ溢れんばかりのイメージに圧倒されるばかり、横尾ファンの1人としてはやはり見逃せない展覧会でした。
見終って美術館内のカフェで昼食をとり、折角なので同時開催されていた収蔵作品展も見る事にしました。
たまたまこの日「キュレーターアイズ」と題した、この館の学芸員さんがセレクトした収蔵作品を解説付きで一緒に廻って頂ける催しにタイミングが合い、集合時間に開場前でスタートするのを待ち構えました。ところが、集まったのがヨメさんと2人だけ、時間が過ぎたので学芸員さんも、仕方がないのでお二人で始めましょう。実は私がご案内するのは、今日が初めてです。うまくご案内できるか分かりませんが、1時間ぐらいの予定をしています。と言うことで、豪華な解説つき美術鑑賞が始まりました。
相手は 2人しかいないので、学芸員さんもざっくばらんの解説になり、もともと現代美術の好きな私は、あれやこれやと学芸員さんを困らせる質問を連発。(いやいや素直な質問です。)学芸員さんも時間を気にせずお付き合い頂くものですから、予定時間をどんどん過ぎて行きます。結局見終った時には閉館前。1時間の予定が2時間半を廻ろうとしています。最後の展示あたりは学芸員さんも僕も駆け足気味になる始末。こんな客にお付き合いいただいた学芸員さんに、心からお礼申し上げます。美術館でこんなに楽しませてもらえたのは初めてかもしれません。
閉館ギリギリになり慌てて締まりかけのショップに急行。売り上げの勘定を始めていたショップのお姉様方に此処でもまた無理を言い、横尾忠則グッズを買ってようやく美術館を後にしました。正月なのか、混雑することもなく、美術鑑賞をこんなにも楽しめたのは来た甲斐があったというものでした。
ということで、後半の写真はほとんど撮らず帰路に着きました。

帰ってから、ヨメさんが美術館の袋をあけると買ったはずの横尾忠則展の図録が無~イ!!!!!。私の方は、少し前に同館でやっていたダニエルリ・ベスキンド展の図録を買い忘れた~!!!!!。と大騒ぎ。正月から慌て者の夫婦は美術館へ連絡して図録を送って頂くことになるという後日談つきで、今回のレポートは締めくくりです。お粗末さまでした。

 

その他、今回参考にしたHPの紹介です。
広島観光ホームページ
arch-hiroshima 
ほぼ日刊イトイ新聞 -横尾さんのインターネット。

すまいの感想2:Blue Wind 21

施主様から頂いたメールをご紹介します。

 

うちと時期の近い、竹田さん、キチキチさんはもう すっかり顔なじみのトリオのようで、他人の家といえども なんだか自分家のような愛着感がありますね。
今見ると、竹田さんにしてもキチキチさんにしてもなかなか 変わった敷地のカタチですよね。でもうちのように他の家に はさまれていないぶん、工事もやりやすかったのでしょうか?
キチキチさん宅もぜひ、本物を拝見したいですねえ。

先日、東京の姉が一晩泊まりにきました。
おいっこたちが家をどんなふうに感じているのか興味があるらしく
「あんたたち、いいよね~、こんなきれいで楽しいおうちで?・」と
しきりに言ってました。
やすあきのお友達のおかあさんにもよくいわれるんですよ、「階段が あってかくれんぼもたのしいよね」って。
ちょっと敏感なかたには 手すりや階段の鉄骨があぶないなあと感じられているようですが。

そしてやすのりは外からうちのいえが見えてくるといつも喜んで
「のりちゃんのおうちみえてきた!」と言います。
家の中でも急にしみじみと「ここはのりちゃんのおうちやなぁ」と いうのを聞くと家を大事にしている気持ちが伝わるのかとドキッとしますね。

(2002/11/03/施主様より)

だんじりの南実業

春頃だったか。キチキチハウスの工務店・南実業の社長さんから連絡があった。
「庄司さんや、今度のぉ、だんじり作ることになってのぉ」 
出来上がったらぜひ見に行くと返事をしておきながら、すっかり忘れていた時分、「庄司さんや、だんじりようやく出来てのぉ、来週に納めるんや。 良かったら、見に来てくれんかのぉ 」と電話があった。 さらに、社長さんの奥さんから、「庄司さん!来週の月曜日おいでや。テレビ局来よるねん!」
キチキチハウスの施主さんと連絡を取り、月曜日は無理だけど日曜日に伺うと返事をした。

久しぶりにキチキチハウスを訪れ、夕方ごろ、南実業さんの工場に向った。南実業さんの工場は、淡路島に来た甲斐があったと思うほど野山の見晴しの良い場所にある。遠い山までが、自分の庭に思える。
「スゴ~イ」工場についた時、皆が口をそろえて言った。大きな工場の中では小振りにも見えるけど、何しろ出来上がって湯気の立つだんじりを見るのは初めてだ。木目を生かしてケヤキを使ったという、だんじりは高さがおよそ4M。
河内の町内会からの要請で、まわりまわって南さんへ依頼がきたらしい。「そんなもん作ったこと無いでのぉ、訳わからんや。図面もないし、みな実測しよったのよぉ」 らしい。だんじりの専門業者に頼む資金がないことから、およそ半値で請け負ったという。 現地での実測中の写真なども見せてもらった。 
それにしてはオミゴト。

おおまかな彫り物は地元の業者さんに頼んだのだが、時間もないことから、獅子やら、鳳凰やら、龍やら、細かな装飾は中国製らしい。それらは皆、インターネットで注文。 地元業者だけでやっていれば、それはきっとスゴ~イ金額になることだろう。タルキの先に付くような金物も、インターネットで注文したという。 ゆったりした雰囲気の南さんがネット注文とは、勝手な印象から違和感が漂う。が、そのあたりはチャキチャキの奥さんや息子さんが活躍されたのだろう。伝統を守るのに、インターネットはきっと有効な手段なのだと思った。

「ほれ、あそこ見てみ。はじめてやけど、『だんじりの南実業』やでぇ」屈託なく、奥さんが指さした。
「キチキチハウスはだんじり屋さんに作ってもらった事になるなぁ」 施主さんも悪く無い様子。
ついでに、ピーカンもだんじり屋さんと仕事をした訳である。この日、だんじりは洗い屋さんに綺麗にしてもらい、最後の仕上げ中。最後の最後、龍の彫り物に紅色の彩色をしているところでした。後少しで完成し、明日には地元テレビ局に撮影してもらい、2日後には河内へ納品に向います。

インターネットを使った最先端の製作過程もさることながら、南さんの自慢はコレ、『ディスクブレーキ』 。何を隠そう、だんじりにディスクブレーキが取り付けられるのは、コレが初めてではあるまいか。
だけど車輪は丸太。なんとも不思議な組み合わせである。また、丸太の車輪は普段は水に付けて保管しておき、使う時にだけ取り付けるのだそうである。 車軸にはベアリングも使い、1人で動かせなくも無いと言う。 河内のだんじりはゆっくり町内を廻るので、大丈夫とは言え、「ブレーキの効かせ具合がまだまだよぉわからんのよぉ。」と南さん。
模倣に終わらず、現代の技術の利用にも意欲的な南さんが頼もしい。

ということで、この方が「だんじりの南実業」社長の南さんである。キチキチハウスの施工者でもあります。いつもニコニコしながら、キッチリした仕事を優先される姿勢はとても好感がもてます。帰りがけには、完成祝いの菓子袋まで頂きました。愛着をもってだんじりに寄り添う南さんが、とても印象的。
だんじり作るなら、「だんじりの南実業」さんへ。
いえいえ、建築のお仕事も。 

(南さんへの連絡先は)

南実業 
兵庫県洲本市中河原町市原739-2 〒656-0005
tel:(0799)28-0312 / fax:(0799)28-0213

大文字納涼会2002

屋上の様子トップライトにすだれを掛けてます
『大文字』
『左大文字』

竣工して丁度、1年が経ちます。
8月のお盆の終わり、 施主さんに「大文字焼き」にお誘いを受けました。 上棟の頃、施主さんから「大文字」が見えますよ!と教えて頂きましたが、丁度良い具合にビルの合間から、欠ける事無くはっきりと見えていました。なかなか良い感じです。
施主さんを紹介してくれた友人夫妻と、うちの嫁さんと、施主さん夫妻ともほとんど年代が変わらず、ビールを飲みながら、趣味の話などに花が咲きました。昔のヒーロー物の話や、70~80年代頃の音楽の話、みんながイイカゲンな年になっているせいか、ひとつひとつ思い出すのにひと苦労。仮面ライダーに始まり、イナズマン、アクマイザー3、 「永ちゃん」から、スターリン、などなど。施主さんとうちの嫁さんは、「ヒライ・ケンがキライ」とか「アナーキーを知っている」で盛り上がってました。
妙なところで接点があったりで面白い


学生時代、京都に長くいたにかかわらず、実は「大文字」をちゃんと見た事がありませんでした 。一時期、北大路のドーナツ屋さんで バイトしてましたが、「大文字」の日にはゴッタ返したのを思い出します。
話が盛り上がり、終電ギリギリの時間に帰りました。ネコの額ほどの小さなビアガーデンですが、「大文字」の見える屋上のある事を、とても誇らし気に話してくれる施主さんが 印象的でした。 

最後に記念写真

99.99危機

竣工から約1年と半が過ぎ、予想していたとは言え両隣りが埋まろうとしています。
前面敷地の工事が進行していた事は知っていましたが、たまたまの偶然、足場が組み上がる様子を抵抗する事も出来ず、呆然と眺めていました。3ヶ月もすれば、ハウスメーカーの3階建住宅が立ちはだかります。
意外の展開の早さに、たじろぎつつもやはり悲しい。トホホです。

金沢ツアー

(2002/3/23~24)

タナからボタモチ

嫁さんの友人から新聞の懸賞で当った金沢旅行を頂いた。これはラッキー、後先考えず、始めてのサンダーバードに乗り込みました。
大阪駅に朝の7時前に集合。車内販売のサンドイッチで朝食。

+

近江町市場

出発して約2時間半、10時前には金沢の地に辿り着いた。(金沢ってもっと遠いと思ってた。)残念ながら、お天気の方は具合悪い。
観光マップを片手にまず向かったのは近江町市場。3月になって時期が過ぎたからだろうか、カニの叩き売りがけたたましい。蟹にしても魚にしても普段よりとにかく安く、嫁さんは嬉々としている。何を思ってかゲソの天婦羅を買ってしまい、頬張りながら市場を練り歩く。いきなり旅行気分満喫だ。
前もってインターネットで調べておいたおいたおかげで、まずは目的の寿司屋を見つけた。『舟楽(SYURAKU)』お寿司といっても手押し棒鮨のお店で、カウンターに並んでいるサンプルが見た目も美しい。おやつ代わりにしようと、さっそく2本程買って、さらに市場探索へ。
お昼までには少し間があったけど、一日中行列の切れ目がないという海鮮丼のお店『井ノ弥(INOYA)』 へ向う。3組ほど開店を待つお客さんがいたが、そのまま後ろに並んでいると、次々に後ろに列が延びていった。僕が「井ノ弥どん」嫁さんが「ちらし近江町」という店のメニューの中ではリーズナブルなものを選んだのだけど、肉圧のある刺身がたっぷりトッピングされた具沢山のどんぶりで、大満足。
腹の具合も良くなったところで、市場を後にした。

 +

旧園邸・松向庵

たまたま金沢城公園に向かう途中、金沢市指定文化財の標識を見つけて入ってみたのが『 旧園邸・松向庵』という、大正半ばに建てられた和風住宅。茶道に通 じた方が建てたとあって、偶然と言えとても素敵な空間に出会えた。
個人的な趣味で言えば、この旅行のなかで一番の収穫であったかもしれません。造作のひとつひとつが非常に繊細でモダンであり、少しも古さを感じさせない緊張感が漂っていました。玄関に建つと奥にある雪見障子越しに庭が見えるまで、パースが効くよう間仕切りのふすまの開口幅を奥になるほど狭くしてあったり、雪国らしく土間縁の雨戸に雪見障子と合わせてガラスの開口を設けてあったりしています。
今では見られない柄の型板ガラスは新鮮でしたが、案内のおばさんによると小さい時分は大衆的で野暮ったい印象があったそうです。
あまり知られていないのか見学の間、他の見学者も来ず、のんびりとおばさんの思い出話しも聞きながら、 実際に色々なところを触らせてもらったり無造作に見せて頂けたのが、普段とはまた違った体験でした。

+

金沢城

後になるまで全く知らずにいたのですが、この日、金沢城公園は『加賀百万石博』のスタート当日だったそうです。午前中にはNHK大河ドラマ『利家とまつ』に出演している俳優の唐沢寿明さんと松嶋菜々子さんが開幕式に来てたり、田中美里さんがトークショーに出演してたりしたそうで、それを見逃した嫁さんは残念がりました。
金沢城探索は色々な表情の石垣や、復元された五十間長屋の木造の架構がダイナミックで楽しめます。また、展示されていた伝統木造工法の仕口の加工サンプルがとても複雑だったのが印象的でした。

余談になりますが、夕方頃にカメラの電池を買うため入った小さな土産物屋さんのおばあさんの話によると、お孫さんの通 う小学校ではホーム時代ドラマ「利家とまつ」 を見ないと学校の話題に乗り遅れるのだそうです。かく言う私は一度も観た事がないのだけど。f(^_^;)

+

兼六園

金沢に来たのだから、名勝『兼六園』を訪れない訳にはいかないだろうと向いました。しかし残念な事に雨降りとまだ時期が早くて花が咲いておらず、思ったほどの魅力が感じられなく残念でした。暖かくなれば百花繚乱、すごいのだろうなと、想像するばかりです。
仕方がないので、茶店でまんじゅうを食べ抹茶をすすりました。

+

美術館界隈

兼六園の南西側に美術館などが建ち並ぶ界隈があります。この辺りに来た時には、もうすでに夕方になって日も暮れかけていました。建物の中に入る事は出来ませんでしたが、重厚な赤レンガ造りの『石川県立歴史博物館』『中村記念美術館』にある茶室などを外観からだけでも楽しむ事ができます。
石川県立歴史博物館は、かつて旧陸軍兵器庫、戦後は金沢美術工芸大学に使用されていたものだそうです。
中村記念美術館は、昭和初期の中村家住宅を現在地に移築、改装し、昭和41年5月に開館一般 公開されたのがはじまりで、今は新館で美術品の公開がされています。また、別 棟として移築されている茶室「梅庵」や「耕雲庵」が側に建ち、茶会などに利用されています。
叉の機会があれば是非ゆっくり見て廻りたい界隈でした。

【 金沢の美術館ガイド 】カナザワ・ミュージアム・ガイド

+

町並

この日の最後は、にし茶屋街にある居酒屋さんへ向いました。アトリエフィッシュの山下さんに教えていただいたオススメの『寺喜屋』さんです。「ゴリの天婦羅」をあてに飲む「天狗舞」は格別 と言うオススメにはかなり期待して向いました。しかもそのお店のご近所にある、お孫さんの通 う小学校の話題まで聞いた土産物屋のおばあさんに、「あそこのジャガイモはおいしい~よ~。東京の弁当屋が味をなんとか真似できないかって通 ったんだ」。てな話を聞いて、なんで金沢でジャガイモなんだ?ていう謎はさておき、ますます期待を膨らませました。
な・の・に、まだ7時を少し廻ったぐらいと言うのに、「今日のネタはみんな売り切れ~」『ええええっぇぇぇぇっっ!?』。入ったはいいけど、ほとんど何も食べれずじまい。店の人はおかまいなしで、そんなこと全然気にしないみたい。
この寺喜屋さん、元は魚屋さんで、魚の並んだ店の奥で立ち食い飲み屋みたいな具合に店を構えていたらしく、地元でも有名。土産物屋のおばあさんは、以前はよく鉢を持って晩飯のおかずを買いに行ってたらしい。
仕方ないのでこの後、にし茶屋街の北側にあたる片町商店街に向いました。この辺りは若者も多い繁華街で、金沢地酒のアンテナショップ『ZIZAKE』という日本酒ショットバーでちょっと引っ掛け、『biz cafe』というインターネットカフェで一服してから、ホテルに向いました。

【 片町商店街 】e-katamachi

翌朝、ホテルで朝食をすませると、さらに町並探索に出発。昨日は金沢市街の南西側が中心でしたので、今日は北西側です。東山茶屋街に向う途中、大通 りから4~5本入った辺りに、会社などもまばらにありますが普通の住宅にならんでポルノ映画館がありました。日曜日の朝っぱらというのに僕達が通 り過ぎる間に、おっちゃんが3人も暗闇に消えていったのは可笑しかったです。側にあった「とまれ」の信号はここのためにあるのでしょうか。
市街では、道のまん中や車線のなかに2~3Mおきに、金属の丸いプレートが並んでいるのをよく見かけます。最初はなになのか気付きませんでしたが、路面 に積もった雪を溶かす為のスプリンクラーだなと気付き、日本海側の街だと言うことを実感しました。また、物見台を街のあちこちに見かけるのは、古い町家の多い金沢では火事が多いのだろうかと想像するのですが、実際の所よく分かりません。

+

東山界隈

東山付近に辿り着き、最初に見つけたお麩屋さん『宮田(MIYATA)』に入りました。麩饅頭と抹茶をいただき、店のおばさんの並々ならぬ 麩へのこだわりや麩料理レシピを聞きつつ、ここで日本海側特産の「車麩」と金沢名産の「すだれ麩」をお土産に買いました。 一度ここで、麩料理を食べてみたいという感じです。

金沢でも古い町並が保存され最も情緒のあると言うひがし茶屋街(「ひがし廓」)に着き、まずは金沢市指定文化財のひとつになっている『志摩』 に入りました。ここは江戸時代(文政3年)に建てられ、当時の造りがそのまま残っている「お茶屋」さんです。お茶屋といっても、その頃の上流町人の出入りする高級社交場ですから、北新地の会員制クラブとでも言うべきでしょうか。
琴、三弦、舞、茶の湯、俳諧などの娯楽・遊興を楽しむところですから、物入れ、押入れが無いのが特徴とも言えます。台所にしてももここで料理は作らず、出前の品を配膳するだけなので、かまどは無く、氷室や冷蔵庫だけしっかりありました。

昔のお茶屋さんを出て、今のお茶屋さんにはいる事にしました。建築家の松島健氏が「再生とは文化の接ぎ木」というテーマで町家を改修された、ギャラリーを併設している日本茶中心の喫茶店『茶房一笑』です。ここでは、一番摘みの上質な茎だけを使用しているというほうじ茶「献上加賀棒茶」を頂きました。この茶っ葉で水出しした冷茶がなかなかおいしいので、機会があればぜひお試し下さい。
食い気ばかりの話が多くて何ですが、順序が逆なような気もしつつ昼時になってしまったので、『自由軒』という洋食屋さんに入りました。人気ナンバーワンとお店が豪語する醤油ベースのオムライスを頼みましたが、これが確かにうまい。素朴な感じで、ケチャップやソースをかけずに頂きます。これまた、機会があればぜひお試し下さい、です。

+

町並

そうこうしている内に、帰りの集合時間が近付いて来ました。東山から金沢駅まで小走りに戻りつつ、途中でお味噌を買ったりする余裕も見せながら、目に着いた街の風景をバシャバシャとデジカメに納めました。どことなく京都の町並に似つつも京都よりもまだまだ古い建物が多く、歴史を感じさせる街でした。2日の間、起伏のある地形を歩き回り、久しぶりに運動を兼ねた感じです。
また、今度はゆっくりと来る機会をもちたいので、その時にもう少しまともなレポートを書くことにします。今回の旅行記は、どなたかの金沢旅行ガイドに役立てば幸いですが、なんのことやら。 

+

帰省

最後に、金沢旅行を前に探した、観光ガイドサイトのご紹介。ホームページも金沢らしく美的なものも多く、行く前から楽しめますよ。

【 金沢市のHP 】いいねっと金沢
【 金沢情報誌 】シティガイド金沢・加賀・能登
【 金沢地域情報WEB】KANAZAWA Walker
【 観光協会HP】金沢市観光協会

キチキチハウスのインテリア

竣工して、3ヶ月ほど経ったころ、久しぶりに訪れると、インテリアのアイテムが増えていました。生活を楽しまれている様子が何より。折角なので、施主さんにお願いして、写真を送って頂きました。

コチラの椅子は建築家・吉村順三作の「たためる椅子」(受注生産品)。
横手の小物入れは、家具デザイナーを目指している施主さんの友人(古田恵介氏)からもらったものだそうです。ホントは左右対称に片割れがいるらしいのですが、これを気に入った施主さんは強引に持って帰られた(?)みたいです。

小物入れの横にあるのは、かの有名なプロダクトデザイナー・柳宗理作の「エレファントスツール」。
食器類も柳宗理で揃えられ楽しまれています。柳宗理の公式サイト

コチラは京都で活躍中のプロダクトデザイナー・西堀普作のソファー「HIRO BIRO SOFA」(受注生産品)体格の良い施主さんにはピッタリ。リビングにフィットして気持ち良いです。
施主さんによると、「たためる椅子」「HIRO BIRO SOFA」を、選んだポイントは、デザイン、座り心地、長く使える(革の張り替え可能)の三点だそうです。

最後も友人さん作の「ケーコースツール」「ケーコー」は友人のニックネームだそうです。これも間違いなく受注生産品。

クルマはかくしてつくられる

「Kichi*Kichi House」を淡路島で計画する機会に、車の買い替えをしました。それをきっかけに車の事に興味が湧きだしたところ、たまたま知ったこの本が今のお気に入りです。
別冊CG・クルマはかくしてつくられる」(福野礼一郎著・二玄社) 
筋金入りマニア的なくるま評論家福野氏が、トヨタの自動車工場に潜入レポートし、あらゆる技術に裏打ちされた自動車づくりを紹介してくれます。 凄いのは何万点となる細部の部品を作る下町工場などを次々と案内し、世界に誇れる職人的技術を懇切丁寧に分かりやすく解説してくれます。
ものづくりに携わる人なら、きっと目からウロコの落ちる思いがしますよ。

ニコラス・デ・クレーシー

趣味らしき趣味がないのですが、これは何とか趣味かなと言えそうなのが、海外の絵本や漫画を集めている事です。特にヨーロッパ圏のものが好きですが、蔵書数は趣味というには恥ずかしくて言えません。プレゼンテーションでパースを書いたりするとき、何度も見返して雰囲気を真似たりしています。ちなみに一等好きな作家は、フランスの漫画家ニコラス・デ・グレシイ。フランス語が読めないから内容は何だか分らんのですが、とにかくカッコイイ。ヨーロッパに行かれる機会があれば、絵本や漫画のコーナーはぜひ立ち寄って下さい。日本のマンガも多くありますが、それとは全く違った文化を感じますよ。

Nicolas de crecy( フランスの漫画出版社-casterman-) 
Nicolas de crecy( フランスの漫画出版社-Les HUMANOIDES Associes-)

直島ツアーレポート

2001年11月2~3日

宮ノ浦

随分長いこと遠出もせず、どっか行きたいな病に悩まされていた折、アルバイトに来ていたN女史から香川県直島で催されている「スタンダード展」を薦められた。丁度、安藤忠雄氏のベネッセハウス・直島コンテンポラリーアートミュージアムも見学してみたかったので具合がいい。唐突に1泊2日の小旅行を決めた。
親父臭いが世の中便利でありがたい。インターネットで検索した地図を片手に、朝の7時頃出発、西宮から岡山へ向かう。少々道に迷ったりもしたが、無事直島に向かう宇野港フェリー乗り場に到着したのが昼過ぎ。乗船券売場で「スタンダード展」のチケットも買えるというので早速購入。気さくな売場のオジサンにオマケまでしてもらった。20分程でも久しぶりの船旅、潮風が気持ちイイ。(ホントかよ。)
あれよあれよと言う間に直島宮ノ浦港に着いてしまった。早速のお出迎えは大竹伸朗氏のネオン「島」。余りの馴染みように美術作品と気づかない。N女史の薦めに従い、予定通 り港前の「ふうちゃん」で「タコメシ」を食う。400円也。この後まずはベネッセハウスに向かい、夕方頃に見学予約をしておいた「家プロジェクト・きんざ」の整理券を貰わないといけない。一息ついた所で、島内巡りにいざ出陣。
インターネットの検索地図からガイドブックに掲載されている簡易な地図に持ち替え、嫁さんのナビゲーションで何とかなるだろうと出発した。直後、計画のずさんさが暴露する。こっちじゃない、あっちじゃないと騒いでいるうちに気がついたら島を一周していたのだった。

その後の見学先については順を追わずに紹介させてもらう事にして、お察しの通 り車で廻ると直島は思いの外小さかった。しかし見どころ充分で盛りだくさんと言うのはN女史の言葉通 りである。ベネッセが進めている島全体を使ったアートプロジェクトは確かに島を活気づけている。島の若い人を多く見かけたわけではないが、老人が皆元気なのが気持ち良い。行く先々で年寄り達の元気なおしゃべりを聞くし、我々のような部外者もニコニコした笑顔で迎え入れている様子が心地よく感じる。違和感がない。

直島文化村にある「パオ」に宿泊したいところだったが、「直島会議」と言うのが次の日に開催されるため、残念ながら満パオだった。宿は先に予約しておいた宮ノ浦の「志おや」さんにお世話になる。気さくなおかみさんがいる家庭的な民宿である。なんとなく、昔住んでいた文化住宅を思いだした。この辺りは細い露地が編み目に走る集落で、うろつくだけでもなかなか面 白い。晩飯を食べた後にぶらぶらしていたら、外灯も少なく明かりも少ない静けさの中、こうこうと光り輝く建物を発見した。ミニチュアのようなパチンコ屋だった。

直島文化村

直島コンテンポラリーアートミュージアムのあるベネッセハウスは、よくもま~ココまでやりました。という具合のアンドーワールド。安藤さんも凄いがベネッセも凄い。何処を取っても贅沢な空間。雨降りだったのが残念でしたが、こんなところでのんびり過ごせたらいいでしょうね。展示されている美術作品も見ごたえ充分、人もぽつりぽつりとしかいないから、大空間を独り占めできたような気分。空間の手法はいつものパターンと思いつつも、やはり圧倒されるのがやや悔しい。
ホテル棟はお昼過ぎのルームメーキングの間に1時間半ほど一般公開されるのでこの時間を狙って行くべし。ケーブルカーに乗ってトコトコと山の上に到着する。見晴らし最高。おかげで部屋の中もいくらか覗かせてもらえた。各部屋にも美術作品が飾ってあって、何処までも文化に浸れる。
ただ、水を張った楕円形の中庭に面する壁の水色は趣味に合わない。もっと暑い南国リゾートであれば栄えると思うが、島の雰囲気と違う気がした。

本村・三菱マテリアル

何となくリゾートっぽく話が進んだけど、直島には三菱マテリアルと吉野石膏の大きな工場がある工業地帯でもあり、一方で歴史の長い村落もある。古い屋敷と佇まいが保存状態良く残っていたことは、ベネッセがこの島で文化事業を試みた一つのきっかけにもなっているそうだ。その舞台として本村があり、この集落の中でこれもまたベネッセによる「家プロジェクト」が進められている。試行錯誤はあるようだが、小さな町並みの中で家屋の保存や美術作品の常設が、さも自然に行われていた。ある屋敷では、家人が村の歴史を熱く語ってくれたりもした。美術作品を村の人が解説してくれたりする。そうした日常を大切にしている様子が伝わってくる。

ここに載せていない写真がまだまだあるけれど、旅行前に買いそろえたデジカメが嬉しくて撮りまくった訳でなく、写 真に残して置きたいと思う風景が実際に多い。天気が良ければもっと撮っていたかもしれない。小さな島の中に多くの要素を凝縮した印象が残る。

この記録の最後は、やはりN女史に薦められた直島一うまいらしいうどん屋さんは確かにうまかった事を挙げておきたい。ギャラリーに改装されている旧卓球所の向かいコープの横にある「山本うどん店」さんである。直島に行かれた際はぜひ「釜揚げうどん」をお試しあれ。

オマケ

閑谷学校

岡山まで行くのだからと、直前に決めた行き先がココ。雨降りの上、閉館ギリギリに駆け込んだのでゆっくりは見れなかったが、ココもまた素晴らしい。背筋が凛と伸びるような空間が広がっていた。オレもこんなところで勉強したら、も少しまともなおツムになれたのかなぁ。なんて冗談が浮かばないぐらいに緊張感のある空間が連続していた。
見足りずこのまま書くのは勿体ないので、もう一度勉強し直してゆっくり覗きに来る事にする。レポートはそれまでお待ち頂きたいが、必見の一箇所であることは間違いないので、これは私からお薦めで締めくくることにしたい。

あきちゃん・のりちゃんに頂いた設計料?


あきちゃん作・その1

工事の完了後、お礼に頂いたお兄ちゃんの絵です。
2人の兄弟はお父さんの影響で、昔のヒーロー物が大好き。 お母さんの後ろでレインボーマンを熱唱。
打合せ当初、だいぶ惑わされました。
「インドの山奥で、修業を~して~~~~」

あきちゃん作・その2

髪の毛が何となく似ているような気が。。

のりちゃん作

かなり芸術的、将来は建築家てな事はないよね。
打合せの頃から完成まで1年あまり、たった1年でも子供の成長は早いものです。この2人がこの家でどんなふうに育っていくのか、ホント楽しみです。

モノクローム”1990

1990年前後に中国製カメラで撮った写真です。
大阪/都島・天満
奈良/斑鳩
鹿児島/屋久島
etc…
大学を卒業する前後は、時たま中国製のカメラをもってぶらぶらと写真を撮りに出かけました。
最近はそんなことも、あまりなくちょっと家にこもりがちになっています。
昔の写真を引っぱり出して並べてみたのは、懐かしさよりも、腰の重くなった自分にハッパを掛けるきっかけにしたかったのです。
そんな理由で、並べた割には結構気に入ってます。勝手なものです。
[text : 1998.08.25]