今日の午後は京都市左京にある川島織物へ社会見学。
古い染織品の復元について講義を受けたり、
20Mを越す大型の織り機から織られる劇場などに掛る緞帳(ドンチョウ)の製作風景や、
昔ながらの織り機で作られる着物の帯の製作風景などを見学したり、
博物館に展示された織物やその下図を鑑賞してきました。
川島織物と言えば織物業会では大手ですから、実は行くまで、
機械化された工場の風景を見るのだと思っていたのですが、
実際見学した工場は、美術工芸を中心とするまさしく匠の手作業の現場でした。
もちろん一方で機械化された工業製品もあり、先端の技術の紹介も受け、
また一方で、正倉院に納められている古代の美術品の復元作業など、
伝統を守りつつも現代にその技術を生かす巾の広さに驚きました。
凄いもの作りの現場に出会えた気がします。
3時間の見学があっと言う間でした。
「匠の技」
有限会社 造形企画【カニ看板】
会社名の書かれた大きな扉
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JR大和路線の史紀駅を下車し徒歩10分ほど、古い工場や住宅が渾然一体とした下町的な住宅地の突き当りに、大阪道頓堀の三代目カニ看板を製作された有限会社・造形企画があります。近作では、高さ17メートルにもおよぶ「安売量販店ドンキホーテ」のレリーフを作られたそうです。その店舗はカニ看板と同じ道頓堀に来春オープン、大阪の新しい名物看板が誕生します。
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社長の岡田修さんは現在57歳。もともと立体造形に強い興味を持ちながらグラフィックの勉強をされていた高校生の頃に、平等院鳳凰の原型模型を制作する京都の造形師の方を知ったのがこの道に進むきっかけとなりました。弟子入りを希望しましたが諸事情もあって断念、しかしその時にゆずっていただく事ができた鳳凰の頭像を今も大切にされています。
グラフィックデザイン事務所・店舗設計施工会社などを経た後、27歳の時に本格的に会社を設立し、すでに30年この道を続けていらしゃいます。
社長の岡田さん
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ベースになるデザインが渡される仕事であっても、ここで生み出されるオブジェの詳細なアイデア、デザイン、設計はすべて社長さん自身がすべてをまとめています。凹みや傷に至るモノの質感にこだわり、それを忠実に再現するスケールの大きいFRP模型が造形企画の得意分野。会社のパンフレットをめくると、写真では本物と見分けのつかない様様なオブジェクトが並んでいます。
依頼の中にはデザイン画も無くサメとエイを作ってくれ。といった話もあるそう。全てが岡田さんのイメージに任されます。テーマパークのUSJでは、入園門の頭上にある地球儀のようなシンボルマークのオブジェクトも社長さんの作品のひとつ。園内の建物ファサードのいくつかも手掛けられています。街の中を歩いていれば、知らない間にいくつもの作品を目にしていた事に驚きました。
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工場には、大きな発泡スチロールの塊を刻む大きなヒートカッターがならんでいたり、大小ざまざまな型がところ狭しと並んでいました。原型は発泡スチロールや粘土を使いますが、岩などのリアルな表現が必要な時には実際のものを使うこともあるそうです。それらをシリコンゴムで忠実に型取りし、FRPで成型しつなぎ合わせ、こまかな部分を修正しながら下塗りを施し、仕上の塗装を行います。
木や石や質感を再現するためにいろいろな工夫をしながら塗装したり、時間を短縮しながら完成させるための材料の選別など、創意工夫の研究は怠りません。お話を伺う中では、そんな時間で作ってしまうのか~と思う事もしばしばです。



左:屋上に無造作におかれたオブジェの型・奥に見えるのはマックフライポテト!?
中:忠実に再現された岩肌
右:奥に見えるのは原型を作る発泡スチロール・手前に見えるのは彩色前の柱型模型
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FRPの可能性に信頼を置く社長さんは、自宅の建設の際に内外共にさまざまな部分で自作のレリーフや部品を使われていもいます。自宅にも使う事で、信頼出来る材料であると証明したいのだと話されていました。
仕事はデザイン事務所や設計事務所からの依頼が多いそうですが、予算あってのこと、はじめ良かったデザインがそうした制約でつまらないものになってしまうと意味が無い。日本の企業はそうしたところにお金を渋るのが駄目だとまで言われます。そんな社長さんが最後に、予算に縛られず自分の店でとことんやりたい、と言われたのが印象的でした。
とは言え、予算の事など考えず制作に没頭されていそうな勢いが岡田社長さんの魅力かもしれません。
大事にされている平等院鳳凰の頭像
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【案内】
有限会社 造形企画
ゾウケイキカク 岡田 修
大阪府八尾市弓削町南2丁目28番3 TEL:0729-48-2417
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【参考サイト】
「道頓堀の三代目動くカニ看板」
・・・技あり関西|読売新聞大阪
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辻和金網【京金網】

京都に金網の伝統工芸があると知った時、正直ピンと来なかったのですが、よくよく考えてみると生活に密着した工芸品が京都には数多くあるので当たり前だったのかも知れません。
地下鉄の烏丸御池の駅から堺町通を北へ少し上がったおおよそ10分ほどのところに「辻和金網」さんのお店があります。周辺はマンションが立ち並びはじめ京都らしさが消えつつある一画ですが、近くには「キンシ正宗・堀野記念館」など酒所もあり、あまり知られていない京都の一面 が見られる界隈です。(地ビールもあったり。。。)
「辻和金網」は創業70年にもなる金網細工の老舗。2代目店主の辻善夫さんは50年になる職人技で茶こしや湯豆腐杓子、水きり網など、料亭から一般 家庭に愛される金網製品を手作りで制作されています。 永年の創意工夫で手作りだからこそできる、丈夫で長もちする生活用品を地道に作り続けられています。
当然オリジナルですから単に商品として規格の物を作るのではなく、持込まれた急須に合わせた茶こしや食器に合わせた水きりなど、板前さんやお客さんの細かな要望にも応え、修理を頻繁に行い、使い捨てでは無い味わいのある道具が生み出されていくのです。
銅やステンレスの細い針金を規則正しく編み上げていくだけ。道具も少なくたったそれだけのことなのですが、思いもよらない美しい造形があります。特に器形の製品は底の中心から花びらの様に編み目が拡がり、万華鏡のように間で継ぐ事も無く上口まで一気に、一本一本の針金が編み上がっています。商品を手にとって思わず見愡れてしまいました。
手にもすごく馴染む感じがし、普段見慣れた機械製品とは違った温もりがあります。


修学旅行の学生などに体験実習を受け付けるなど、伝統技術を広める努力もされていますが、この日、私も湯豆腐杓子の網掛けをさせて頂きました。
実習前に辻さんのご長男泰宏さんにお手本を見せていただきましたが、手慣れた指さばきで何気なく整然と編み目が出来上がって行きます。いざ挑戦するとそうはいかない、力の入れ具合や気持ちの乱れがそのまま出るかのよう、あらぬ 方へ網目が崩れてしまいます。 出来上がった杓子は自宅の台所に並んでいます。
帰りに茶こしも購入し事務所で使っていますが、とても使いでが良く満足しています。何よりも豊かな感じがします。まだ真新しい光った銅線が、時が経ち味わいのある色となっていくのが楽しみになっています。

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【案内】
辻和金網
ツジワカナアミ 辻善夫
京都市中京区堺町通夷川下る亀屋町175
TEL:075-231-7368
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【参考サイト】
「DigiStyle京都」
・・・京都情報。ネットショッピングも出来ます。
「朝日マリオン・くらしの良品探訪」
「京都小売商業支援センター」
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彫忠【だんじり】

威勢の良い大阪の祭と言えば、岸和田のだんじり祭りが有名ですが、大阪各地のだんじりを40年近く作っている「彫忠」さんを訪ねました。地下鉄谷町線から徒歩で10分弱、工業団地の一角に彫忠さんの工場があります。
残念ながらこの時期はシーズンオフ?と言うことで、工場の中に職人さんとだんじりがひしめき合うものでありませんでしたが、修理中や新規制作中のものを垣間見ることが出来ました。
社長の田中忠さんは四国・宇和島の生まれ。木彫やアクセサリーの制作をしていた社長さんは、大阪のだんじりに出会い、独学でだんじり作りを始められました。
通常、本体組み立ての宮大工と彫刻装飾の彫り師はそれぞれ分業で製作されますが、彫忠では彫刻と組み立てを社内で一貫生産する、業界では珍しい存在なのだそうです。

大阪のだんじりは「地車」と書きますが、対象的なのは京都祇園祭などに見られる「山車(だし)」でしょうか。
だんじりは大きく分けると上部の彫刻に凝る「上だんじり」とその逆の「下だんじり」になるそうです。装飾部分のの高さも関係しますが、重心位 置の違いが重要。上に重心の来る「上だんじり」は前方に伸びる引手をテコにしながら回転させる事が可能なので、街中を練り廻りやすくなっています。対して「下だんじり」は重心が低くスピードを出しても倒れにくいので、走りながら引き廻すような勇猛な祭に適しています。
また、岸和田、八尾、平野など、大阪のだんじりが環状線外周部に多いのは、大塩平八郎の乱や大阪大空襲など歴史の紛争に巻込まれ、焼失してしまったものが多いためだそう。その昔は大阪の中心でも数多くだんじりは見る事が出来た様です。


だんじりの制作費は5、600万円から1億円以上と、大きさや装飾の具合で千差万別 ですが、やはり不景気の為か新規の注文はすっかり減っているようです。シーズン前には修繕の注文をこなし、それ以外の時期は写 真にあるようなミニだんじりを受注生産されていたりもします。
とは言え面白いのは、町内会の見栄張りのような習慣が残っているため、となりの町内会のだんじりよりも少しでも高いものを買い求め、値が釣り上がり、仲介業者を通 すと場合によれば実費の倍近い値段で売れて行くこともあるそうです。直接注文していただければ安くしますよ、と社長さんはおっしゃっていました。
本体の材料はケヤキやコクタン、シタンなど堅い木がほとんど。だんじりのデザインは40年来変わりはありませんが、昔ながらの作り方に留まらず色々な工夫を加え、より丈夫に永く使ってもらえるだんじり作りをされています。
息子さんが跡を継がれ、まだまだこれからも大阪の祭を支えて行かれるのだと思いました。


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【案内】
(株)彫忠
ホリチュウ 田中 忠
八尾市太田新町1-248
TEL:0729-48-2157
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【参考サイト】
「八尾ものづくりネット」八尾市
・・・「八尾ものづくり見本市」から検索できます。
「ものづくりサポート」大阪府
・・・「大阪の伝統工芸品・見て歩記」に紹介されています。
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播州そろばん【そろばん】

兵庫県小野市。刃物の有名な地域ですが、特筆すべきはそろばんの産地である事です。神戸電鉄小野市駅からタクシーで5分程。播州そろばんづくりの伝統工芸士でもある宮本一廣さんの工房を訪ねました。全国でも唯一と言ってしまっても良い、手作りのそろばんを制作されています。
そろばん作りのいろいろや、工芸としてのそろばんが絶えてしまいかねない現状のことなど、 気さくに教えていただく事ができました。
そろばん作りは大きく2つの分業になっています。ひとつは「玉屋」と呼ばれるそろばんの玉 だけを作る工程、もうひとつはその他の部材作りを含め組立をする「枠作り」と呼ばれる工程です。
もともとは農作業の合間の内職であった訳ですが、小野が一大産地となり、全盛期の昭和35年頃には700軒におよぶそろばん工房があったそう。ですが、電卓の登場、ましてや低価格で手に入り太陽電池をつけた電卓が当たり前になった平成4年頃には、時代の波に押され太刀打ちのできない状態になってしまいました。なかでも消費税の導入がそろばんの需要を一気に減らしました。
宮本さんのような枠作りをされる伝統工芸士の方は、今や4人程。その中でも現役で続けられているのは宮本さんしかおられない状態なのだそうです。大量 生産でようやくまかなう工房はあっても、永く使ってもらうために丁寧な手作りそろばんを作る職人さんは他にいません。後継の育成も敢えてされていないようです。



そろばんの玉の材料にはツゲが良いそうですが、なかでも心材を使い、玉の表面 に渦のような年輪の見えるものが最高級とされます。そんな玉だけを揃えたそろばんを手にしながら、「美しいでしょう」とニコニコされました。
玉を通す芯材はスス竹。スス竹というのは囲炉裏の煙りに100年ほど燻されて炭化した竹で、人工的なものもありますが貴重な材料です。
枠は主にアフリカ黒檀を使います。堅くて重い水に沈む木です。あまりに堅いので、黒檀を削るカンナは刃が真直ぐ立っおり、削る(ケズル)というよりは削ぐ(ソグ)ような感じだそうです。
それらの材料を組むための材料はほとんど手作り。玉と芯のすべり具合も職人の勘で全てが決まります。
また、宮本さんは伝統工芸士として、各地や海外にも呼ばれ伝統工芸のイベントにも多く参加されているそうです。 デパートのイベント会場ででたまたま宮本さんのそろばんを手にした女の子が、そのそろばんをずっと使いつづけ、有段者となり珠算大会のイベント会場で再会された話など、そろばんを通 したお話も幾つもされ、そろばんに向ける愛情がとてもよく伝わってきました。
としても、そろばんの玉の数さえ分かっていない人も多くいるのですよ、と話された時は寂しさも隠せないようです。
そろばんの苦手だった私が書くことではありませんが、 外国の方に比べ日本人に暗算の得意な人が多い(多かった)のはそろばんのお陰だったのでは?
今もそろばんを愛用されている方は、是非、宮本さんのそろばんを手にして下さい。
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【案内】
播州そろばん
伝統工芸士 宮本一廣
本店:兵庫県小野市天神町1113 TEL:0794-62-6419
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【参考サイト】
「播州そろばん」小野市商工会議所
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高橋提灯【京提灯】

京都の地下鉄東西線・小野駅から徒歩で10分ほど。京提灯の工房・高橋提灯株式会社があります。 社長の高橋康二さんに工房を案内して頂きながら、京提灯についていろいろお話を伺いました。

提灯は大きく分けると、骨組みの違う2つの作り方があります。
ひとつは「平骨」と呼ばれる京提灯。五ミリほどの幅の割り竹を一本一本輪にして水平に重ねてあり、少し武骨な感じがします。
もうひとつは岐阜や名古屋の「巻骨」と言い、細い竹ひごがぐるぐるとらせん状になっています。上から見ると渦巻き状で、イサムノグチの提灯型照明の骨組みがこれに当たり、繊細な感じです。
提灯にイメージしていたのはどちらか言えば「巻骨」の方だったのですが、この違いはそれぞれの使われ方に由縁があるようです。「巻骨」の方は、お盆などに使われる「盆提灯」が代表で、祭事などに装飾として使われますが、「平骨」の京提灯はむしろ日常的な実用提灯のため丈夫な作りになっているのだそう。写 真を見てもらうと分かりますが、頑丈そうですね。


そして何よりも、全工程を一ケ所の工房で行っているのは全国でもあまり無いそうです。提灯屋さんと呼ばれるところのほとんどは、最終工程の文字書き・絵付のみの工房で、「白張り」と呼ばれる無地の提灯を作る工場と分業になっています。此処、高橋提灯さんは、昔ながらの手作業で全てを制作する京提灯の工房なのだそう。
工程のなかでも興味深げだったのは、紙張りを終えた提灯の中から、提灯の型を抜く様子。放射状に組み合わせた弓型の木の板をうまい具合にすぼまった提灯の口から抜き取ります。思わず感心してしまいました。

ところで、おそらく誰もが知っている高橋提灯さんの作品があります。東京浅草寺の雷門大提灯がそれ。この提灯も大きいですが、愛知県幡豆郡一色町「一色学びの館」にある間濱組の大提灯レプリカは高さがなんと10Mもあるのだそう。日本一です。
しかし、台湾や中国に生産の場をほぼ譲ってしまった現状に対し、社長さんは「実用的な提灯は100%国産を目指したい」と話されています。これからも日本の夜を、ここで作られた提灯で暖かくいつまでも灯して欲しいです。
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【案内】
高橋提灯株式会社
本店:京都市下京区柳馬場綾小路南
TEL:075-351-1768
工場:京都市山科区勧修寺北出町4-1
TEL:075-501-2929
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【参考サイト】
「ゆかし、京|京提灯・高橋提灯」
(読売新聞ホームページの特集記事)
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小堀【京仏具】

京都の地下鉄東西線・椥辻(なぎつじ)駅からタクシーで5分ほど。創業から二百有余年にもなる「小堀京仏具工房」があります。仏具の工房なので町屋や蔵のイメージで向いましたが、着いて見ると近代的な建物、広い工房が目の前に現れました。と言ってもこの工房が建設されたのは平成8年。職種によって別 れていたそれぞれの狭い工房をひとつにまとめ、伝統を守りつつ一貫した管理体制で、より良い制作環境を職人さんに提供しています。


仏具なのですから、考えてみれば京都伝統工芸を一堂に介した総合芸術。想像を越える工程がひとつひとつにある訳です。小堀さんでは普段目にする家庭のお仏壇もさる事ながら、むしろ寺院用のオリジナル仏具が生産の中心です。
全国各地の寺院さんが京仏具を求めに小堀さんの元にやって来られます。 その理由のひとつに、様々な各宗派に合わせた忠実な仏具を作る事のできる体制があると言う点です。地方の仏具屋さんでは、そうした数多くある宗派に合わせた仏具をそろえる事はなかなか難しく、どうしても汎用的な仏具の生産になってしまいます。永年に渡るノウハウの蓄積と、熟達した職人の技術、充分な制作環境がどんなニーズにも対応できる体制を可能にしています。
しかし工房を見学して思うことは、それに甘んじない物作りの姿勢ではないでしょうか。 原材料の選別からはじまり、職人さんの作業風景から醸し出す緊張した空気は、本物の仏具を揃えたいという気持ちにさせてくれます。
実際のところ、中国で作られる安価に売られる家庭用の仏具などは参考に展示されていても販売される事はありません。逆を返せば小堀さんの仏具はどれも、それ相応の値段がついている訳ですが、それを十分に納得させてもらえます。


設計者としてとても興味深く驚いたものがありました。京仏具には設計図となるものが無いのです。正確に言えば、制作の基準となる道具はあっても図面 は無いのです。
その道具も単なる四角い棒っ切れ。「杖」と呼ばれていますが、その棒に必要な寸法、比率を刻み込み、ひとつの仏具に必要な情報が全て盛り込まれます。ですから、オリジナルのひとつの仏具に対し杖が一本だけ、設計の痕跡として残ります。複製するにもその杖があれば可能なのだと言います。
まるで、時代を超えた集積回路を見るような気分がしました。

小堀さんでは、工房の見学も可能です。機会があれば、ぜひ見学されることをお薦めします。
また、金箔押しの体験も出来ます。ちょっと、伝統工芸が身近になる感じがします。職人さんの様に上手には出来ませんが、少しだけ謎が解けたような気分がしました。こちらもお薦めです。
また、丁寧なホームページを揃えていらっしゃいます。仏具に関して気になる事が、とても参考になると思います。

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【案内】
株式会社小堀
本店:京都市下京区烏丸通正面上る
TEL:075-341-4121
小堀京仏具工場:京都市山科区西野山百々町88
TEL:075-509-0165
童夢【自動車】

京都・比叡山のふもと、叡山電鉄八瀬遊園駅から国道367号線をしばらく、レーシングカーで有名な「童夢」があります。自動車に詳しくはありませんが、小学校か中学生の頃に「童夢-零」という日本発のスーパーカーのあった事を憶えています。その童夢を訪ねました。
会社設立からは25年だそうですが、社長の林みのる氏がレーシングカー「カラス」を製作した1965年から夢がスタートしている事を知りました。丁度、私が生まれた年に当たります。同い年だったんですね~。童夢と。
童夢は、レーシングカーの開発・製作・販売を主要業務とし、開発目的で自らレースにも参戦しています。小さいスケールでありながらも各方面 から優秀な技術を評価されている個性的な会社です。
担当の方に案内されて開発室に入りました。ここにはおよそ30人ぐらいの技術者がいます。童夢ではデザイン専門という人がいません。必要に応じてスタイリングデザインはイタリアのデザイン会社に委託もするそうですが、基本的にはそれぞれの技術者が各自の担当する車の多くの部分を、デザインも含め開発していくのだそうです。また開発チームもその時その時に流動的に動くと言われます。
全体の中の駒の一つではない職場環境は、自動車作りを真剣にかつ楽しんでやりたいと言う社風の現れのように感じました。

その次にはモックアップの加工をするNC加工室です。乗用車程度の大きさならそのまま削りだせるそうです。

次の部屋には風洞実験用のモデルが置いてありました。実際のレーシングカーと同じ素材(カーボンファイバー)で作られています。見た感じ、ちょっと大きなラジコンカーのような気がしました。置いてあったものは40分の1のスケールで作られています。そばには同縮尺のタイヤもありました。
ボディの決定は時間の許す限り風洞実験に掛け、微調整をくり返すのだそうです。別 に置かれていたモデルは粘土などでパテ盛りもされてあったり、テープで部品を貼り付けてあったり、その様子が想像できます。

次の部屋には昨年度モデルの実物がおかれていました。はじめてフォーミュラーカーを目の前にして、ちょっと感激です。風洞実験のモデルがそのまま大きくなったような感じです。
フロントフェンダーが幾つか置かれていたのでそのひとつを持ち上げてみました。カーボンファイバーで作られているので十分に持てる重さです。レーシングカーの車体の6割はこうしたカーボンで作られているそうです。
置かれていたモデルのシャーシはヨーロッパの会社から購入したものだそうですが、今年度より自社製シャーシで参戦されています。
そばに黒い大きな箱がありました。その中には無限エンジンが入っているそうです。まるでブラックボックス。


最後にメンテナンス室です。 組立、整備を行う部屋ですが、整備士の方々が真剣な表情で作業をされていました。街の整備工場のイメージと違い、整理整頓され明るい作業場です。2台のレーシングカーが並べられ圧倒的な迫力を感じます。

全社員で約40名。皆がF1参戦というひとつの目標に向っているのが本当によく伝わります。「商売はうまくは無いのが課題」「コストに合わせる物作りはしない」と常務取締役の武林さんはお話されていましたが、一丸となって進もうとする童夢には本当に夢がありました。
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【案内】
株式会社童夢
京都市左京区八瀬花尻町198-1
TEL:075-744-3131
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【参考サイト】
「無限」
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京扇堂【京扇子】

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JR京都駅から北に。東本願寺の東側、烏丸通りから少し入ったところに京扇子の「京扇堂」があります。
扇子に関してのコメントは京扇堂さんのサイトに詳しく書かれてあるのでそちらに譲り、今回は扇子の絵付けをさせて頂けるという事なので、チャレンジしてきました。
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扇面になる扇形の白地の和紙に岩絵の具を使います。岩絵の具を使うのははじめての経験でしたが、和紙の上ではすぐにじんでしまうので、絵の具をつけた筆をよくしごいて描いていきます。
出来上がった扇面は職人さんが丁寧に仕上げて、約ひと月で手元に届きます。
出来上がったのが、下の画像の扇子です。届いた時には涼しくなってしまったのが、残念。来年の楽しみに大切に置いておきます。


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【案内】
株式会社京扇堂
京都市下京区東洞院通正面上ル筒金町46(東本願寺前東入)
電話: 075-371-4151
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【京扇子・絵付け】
2200円で楽しめ、出来上がって届いてみれば、かなりお得な気分。 ぜひ、お試しください。
京扇堂さんのサイトに案内があります。
そして、完成して送られてきた絵付け扇子

フジタカヌー研究所【カヌー】

JR大和路線加茂駅からさらに関西本線に乗り換えひと駅。木津川のほとりにある笠置(かさぎ)駅で降ります。そこから車で5~6分弱ほどでしょうか。川からは500メートルほど離れた山裾に「株式会社フジタカヌー研究所」があります。川のそばに無いのは、川の氾濫に備えての事だそうです。
この日は午後からの工房見学ですが、折角なので、午前中は半日のカヌー教室に参加しました。基本的なパドル(櫂・水かき)の操作方法と準備運動を少し、流れの穏やかな場所で初めてのカヌー体験です。午後まで参加すれば川下りも体験できるのだそう。
勢い勇んで川面に出ました。水面が近く、普通にのるボートに比べると自然との一体感があります。滑り出すように漕ぎ進め、面 白くなると少し流れのある所に向わんと調子に乗り始めます。
カヌーよろしく流れに乗ってみたいと上流に向って行きますが、そうそう思うようにも行けません。ようやく流れのある場所に辿り着き、さあ行くぞ、その時にカヌーが横滑り、おやっと思うが早いかヒックリ返って転覆してしまいました。
ライフジャケットを着ているので慌てる事も無く泳げますが、すかさず来てもらえた指導員の方に無事救出されるのでした。ずぶぬ れになり岩の上に立ち、流れたカヌーを指導員の方が引っ張って来てもらえたところで、丁度午前のカヌー教室はお開きとなりました。お騒がせしました。


白線に見えるのはルーターの通るラインです
食事をしてから、さっそく工房見学です。
「株式会社フジタカヌー研究所」は日本で唯一、船舶理論に基づいてカヌーを製作している工房です。日本におけるファルトボート(折り畳みカヌー)の普及第一人者だった京都大学の高木公三郎教授と親交のあった藤田清社長さんが、戦後まもなくカヌー製作を始めたのがきっかけになります。もともと物作りが好きな社長さんがタカをくくってカヌー製作をはじめてみると、満足いくものに辿り着くまで10年を要し、その奥の深さにのめり込んでしまったのだそう。
それにもまして舟という道具である以上に、スポーツ用具のように身体の一部となるカヌーは、知識と経験で無限大の楽しみがあると熱く語られます。家族連れでドライブをする乗用車も、過酷なラリーに参加する性能を持つ。穏やかな湖面 を家族と楽しむ事も、急流を下る冒険も楽しめるそんな巾の広さが一番の魅力と言われます。


そんな社長さんですから、「日本の川」にあったカヌー作りに余念は無く、船舶理論はもとより、持ち運び、組み立て共に日本人にあった「使いやすいカヌー」を追求されています。
素材研究には興味深い内容が次々話に出されました。耐食アルミの研究では、当時民間では知られていなかった金属の組み合わせをいち早く知り、視察にきたとある企業には軍需関係の仕事をしているのかと勘違いされたと言う逸話やら、尽きることがありません。ですから、何気に拡げられているものが世界トップレベルの技術に裏打ちされたものばかりなのです。
その他にも、特殊な完全防水合板やら、厚さ4~5センチ21層にも及ぶ自主開発の積層合板やら、防弾チョッキにも使う繊維を織り込んだ船体布やら、グラスファイバーのフレームなどなどいろいろです。
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最盛期には月産850艇にもなった事もあるのだそう。今はそれ程の生産量 はありませんが、その頃の技術を持ってよりスムーズな顧客対応ができるよう今も生かされています。
何よりも、語りはじめると留まる事を知らない社長さんの情熱がとても印象に残る訪問でした。


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【案内】
株式会社フジタカヌー研究所
京都府相楽郡笠置町佐田45 電話:0743-95-2507
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【参考サイト】
「日本カヌー普及協会(J.C.P.A.)」
「FOLDING CRAFT」
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【カヌースクール】
開催時期は、3月春分の日から11月末までの土・日・祝日。5名以上なら、期間外でも可能だそうです。
詳しくは株式会社フジタカヌー研究所まで。Let’s TRY!
清水末商店【木彫看板】

京都寺町通は昔からの京都らしいお店が並んでいる一画でもあり、昔からの木彫看板を幾つか見つける事が出来ます。その寺町通 を御池通の交差点から少し北へ行くと、京都でも2軒しかないという木彫看板屋さんのひとつ、「清水末商店」があります。
系譜は残っていないので、いつ頃からのお店なのか分かりませんが、記録のある限りは慶応元年。当時の薬の吊り下げ看板が多く残っている様です。現在は四代目当主の清水國雄さんが息子さんと2人でお店を支えています。清水さんは職人の貫禄を、温厚そうな人柄のなかに感じさせるような方です。



看板の材料は、主に欅(ケヤキ)や栓(セン)。目が素直で銘木とされるような木目の美しい北海道産の材料を、自ら厳選し買い付けるのだそうです。材料の買い付けから始まり、場合によれば自ら書も書き、木を彫り、着色し、漆を塗ったり、金箔を貼ったりとさまざまな工程を重ねて、一つの看板が完成します。
ですので、決して安請け合いをされません。常に納得のいく品を完成させることに専念し、他の類似した看板とは比べられない持ちの良さを信条とされています。時間が経てば、「時代を感じさせる」看板作りなのです。
しかし、「うちの看板は高いのです。本物の良さを分かって頂ける方にしか、なかなか買って頂けません」と説明される清水さんの奥さんは、ここへ嫁いだ時におばあさんから「うちは木をかじって生きてるねん」と言われたそうです。職人堅気の清水さんは一切の営業をせず、台所を取り仕切る奥さんはヤキモキされるのも仕方ありません。
先に書いたように、看板屋さんは多種多様な技術を身につけておかなければなりません。寺社に掛るような額付きの看板も全て製作されます。大工仕事から始まり、彫刻や漆、金箔など、一人で全てをこなさなければならない時もあります。10年では一人前になれないのだそうです。
清水さんの製作される看板は、一枚の板を掘込みながら作られるのですが、文字の底面 が柔らかく膨らんでいます。写真では平坦なものに見えますが、実物を見ると浮き出た様な立体感を感じさせます。これを紙やすりなど一切使わず、小刀で仕上げるのです。
また、書の勢いを殺してはならず、自らも書をたしなめておかなければなりません。かすりの具合や運筆を分かっていなければ、彫る事が出来ないのです。
何気に彫られているようで、いざ材料を持たせて頂くと、ずっしりと重く、堅い材料を使われていることがよく分かります。しかし、それを毎日彫り続ける清水さんの手は柔らかく、マメがありません。熟達した技は、余分な力を一切使わずにいられるのでしょうか。ただ現在では、さすがに筆に持ち替える事は出来なくなったそうです。


「和」と書かれた円形の額は、玄関や和室、洋室どこにでも掛ける事が出来るように、とオリジナルで製作されているものです。文字は書家さんに書いて頂いた物だそうですが、製作に延べ2週間ほどかかっています。大きいものになると、2ヶ月、3ヶ月はザラのようです。
家の表札はヒノキ材を使いますが、手頃な値段で製作して頂けます。小さい文字では清水さんの技は生きて来ないのが残念ですが、折角の家の顔、京の伝統工芸職人の手業による表札を揃えられてみてはいかがでしょうか。
知っていれば自宅の表札を作ってもらうのでした。

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【案内】
清水末商店
京都市中京区寺町二条下ル
電話:075-231-4838
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【参考サイト】
「京を語る(情報誌・京都)」より
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やまと錦魚園【郡山金魚】

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近鉄郡山駅から10分ほど。田圃に囲まれた先に「やまと錦魚園」と「金魚資料館」があります。
金魚と言えばついつい夜店のイメージなのですが、ここは金魚の養殖場。真っ赤な金魚が夜店とは比べられない程に一杯いました。小さいのやら、大きいのやら、見慣れたものや、珍しいものまで、いろいろいます。
金魚の紀元はもともと中国で、鮒(フナ)のかけ合わせから作られた人工的な魚のなのだそう。4000年の歴史は恐るべしです。なので卵からふ化した金魚は初めから赤い訳ではなく、一定の時期になると赤く変色していきます。その際に、みな金魚になるとは限らず、中には先祖返りをしてフナのまま赤くならない金魚もいるのだそう。実際に商品として出荷出来るのは、半分にも満たないと聞きました。
こうした養殖場に来れば、そうした赤くなる前の金魚を購入するという、少し変わった楽しみ方もある訳です。
熱帯魚はお金持ちの趣味で、金魚と言うと何となく庶民的なイメージを持っていましたが、物事極めればいくらでも上がある訳で、日本国内に限らず海外にも珍しい金魚は輸出され、各国のお金持ちの趣味になると言うのも納得できる話しでありました。
「金魚資料館」には、金魚に関する歴史的な資料なども展示されています。ちょっと怖かったりもしますが。
また、「高級金魚?」を水族館の様に展示してあり、さまざまな金魚を見る事もできます。いままで、まじまじと金魚を見たことがないのですが、ランチューやら、綺麗なものも沢山いますが、人の手によって作られた生体が何となく可哀想な気もします。
が、自分には気付かずこうした事は身の回りに沢山あるのだろうな、とも思えました。


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最後に金魚の飼育について豆知識。
金魚は誰もが知るように淡水の魚ですが、水槽の水に少しだけ塩を入れてあげると良い。要は生理塩水に近いほど良いのだそうです。なぜかと言えば、金魚が何かのきっかけに怪我をしたとすれば、体内の塩分が浸透圧で薄まってしまうためだそうです。逆を言えば、海の魚は怪我をすると体内の塩分が濃くなってしまう訳です。これが、淡水魚と海水魚の大きな違いでもある。なので、少しだけ塩を入れてあげる。
はじめて知りました。
金魚は小さい奴がやはり可愛いですね。庶民ゆえでしょうか。

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【案内】
金魚資料館
奈良県大和郡山市新木町107
電話:0743-52-3418
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【参考サイト】
「金魚探索コース」
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錦光園【奈良墨】

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JR奈良駅からほど近くに墨作りの工房「錦光園」があります。
奈良が墨の名産地とはつゆ知らず、全国で98%のシェアを占めていると知り驚きました。とは言うものの墨の需要は年々減るばかり、伝統技術の継承がやはり問題になっている様です。
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墨の質は、基本的に油で決まります。一番良質はゴマ油なのだそう。中華料理ではありません。ごま油に火をともし、茶わんを逆さにした様な道具で立ち上る炎の先からススを拾います。炎と茶わんの高さが離れればより微細なススを拾う事になり、さらに良質なものと成ります。こうしたススによる墨の製造はおよそ600年前室町時代中期頃から行われているもので、南都油煙墨と呼びます。
それ以前には、木(赤松)を燃やしてススを集め製造されていました。これは松煙墨と呼びます。
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そうして拾ったススを暖めてゆるめた膠(ニカワ)と混ぜて固めます。工房には炊飯器があり、粘土のように練り合わされた墨を保温しながら使います。冷えると固まるので、昔の職人さんは股の間にいれて保温していたそうですが、墨の粘土をちぎって丸めて木型にいれて、見慣れた形の墨に成型していきます。木型は梨(ナシ)の木が一番良いそうです。




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型からはずした墨はまだ柔らかく、なんとなく羊羹のようなもっちりした感じで、さわると微妙な弾力が気持ち良い感じです。そうして、その墨羊羹を灰の入った箱に移し徐々に乾燥させます。一気に乾燥すると墨は簡単に割れたり、歪んだりしますので、湿った灰から乾いた灰に段階を踏んで乾燥させます。気温や湿度、灰の湿り気具合を感じ取りながら、具合のよい灰の箱へ墨の移し換えをするのも職人さんの勘所が決め手なのだそうで、経験を積まなければ簡単に出来る事では無い様です。
更に乾燥棚に移し、時間を掛けてゆ~くりと乾燥させて、ようやく製品になっていきます。意外に掛る墨の製造工程の長さにビックリです。また、墨作りは膠の腐らない寒い冬の2月頃が一番最適だそう。夏には墨作りは行われません。と言うことは墨職人さんは季節労働者なのですね。


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ところで、墨の匂いと思い込んでいたのは、実は膠の動物性匂いを消すために入れた樟脳の匂いなのだそうです。
また、良い墨の見極めは「薄墨」にして使った時にこそ分かります。良い墨はより染料に近く、美しくにじみ、 薄くても深みのある色をたたえます。小学校の頃に使っていた墨汁は工業的に作られており、墨の粒子が荒く均一なので味わいは出ないのです。

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【案内】
錦光園 http://www.eonet.ne.jp/~nigirizumi/
奈良市三条横町547 電話(0742)22-3319
HPには墨の歴史や製造過程を詳しく解説されています。
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「にぎり墨体験」出来ます。世界にひとつだけの墨作りにGO! これは結構楽しめます。家宝になるかも。
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追記
- 奈良製墨組合 http://www.sumi-nara.or.jp/
- 墨運堂(ぼくうんどう) http://www.boku-undo.co.jp/
近江クーパレジ【洋酒樽】

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JR近江八幡駅から近江鉄道に乗り換え、八日市市の駅からタクシーで15分程、サントリーの近江エージングセラーという施設があります。その中に「近江クーパレジ」という洋酒樽の製造工場があり、そこへ見学に行きました。
さすが大企業、サントリーの施設だけあって施設の入口からもタクシーのままゆったりした構内を少し行くと、樽工場が見えてきます。まず目にしたのは、廃棄前の古樽が山高く整然と並べられている様子。タクシーの中にいてもウヰスキーの香りがしてきました。

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まずは近江クーパレジ社長の立山さんから樽のお話や、会社の歴史などを聞かせていただきました。
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樽のお話の中で興味をひかれたことは、まず、日本人として最初に洋樽作りに携わったのは、かの有名な?ジョン万次郎さんだったこと。樽作りの道具は、太鼓や木造船の道具に類似していること。ウヰスキー樽の材料はオーク(樫)と言われているが、水楢が使われていること。樽の良し悪しが、ウヰスキーの品質の5~6割を占めること。
そして、樽が太鼓腹なのは強度を増すこともさながら、600キログラムになる重い樽を自由な方向に転がしやすいこと。なるほど~と納得。

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「近江クーパレジ」は現社長のおじいさんにあたる立山源丞さんが、明治の終わり頃に独立してセメントの樽作りを始められたのがそもそもスタートだそうです。それから紆余曲折ありながらも、サントリーの専属となり現在に至りますが、当初手作りで月産10~17丁(樽)が、昭和の30年代にはトリスなどの洋酒ブームもあり、工場も機械化され月産1800~2000丁にもなっていたそうです。
ただ、現在はウヰスキーの売上は減り、年間でも100丁ほどしか生産されていないらしく、今3人ほどしかいない樽職人の後継が問題のひとつになっているようです。ウヰスキーも10年くらいは樽で寝かせていますが、樽作りを一人前になるまでに10年ぐらいはかかるという話しですから、みんなもっとウヰスキーを楽しまないといけませんね。



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樽作りの一連の流れをビデオで見せて頂いた後、工場の方へ向いました。
おもしろいのは、機械化されているとは言え、樽の側面に並ぶ板の巾はマチマチ。樽型にするため板それぞれは少し紡錘形に製材されています。そのまちまちの板を写 真に見る筒状の機械のなかに敷き並べ、筒状に並んだ板をを拘束するフープ(タガ)をはめて行きます。板巾に規格を作るときっちり合わせるのがむしろ難しいのだそうです。
板それぞれの側面は平滑でギュッと締め込む圧着だけで水を透さなくします。大事なのは板の密度や性質を見極めること。なかには水をもらしてしまう材料もあるので、一瞬でそれを選別 するのだそう。説明されれば分かりますが、流れ作業の中でそれをするのはやはり職人技です。
また、樽の上下のフタも締め付けで圧着するだけ。フタの加工はほんの少し楕円になっていて、締め付けられることでほぼまん丸になる訳です。
板は原酒を含んで少しは膨らむでしょうが、それだけで長いものでは50年も使うのですから、途中で修理することもあるとは言え、よく漏れないものだと感心します。
また、出来上がった樽の中は、銘柄によって焼いたり、薫製したりしもします。
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ここに来てはじめて樽を使いまわすのだと知りました。お酒ができるまで一度きりのものだと思っていたからです。
出来たての樽は成分が出過ぎるので、スコッチには合わず、バーボンを作るのに使うのだそう。

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一通り工場の見学の後、ウヰスキーの貯蔵庫も見せて頂きました。見た所、4階建てくらいの大きさでしょうか。搬出入のリフトが動く一直線の通 路だけに天窓がある巨大な暗い倉庫です。
立体駐車場と言うべきか、樽が整然と寝かされている様子は壮観です。出入り口付近に立つと、ウヰスキーの香りが、鍾乳洞の前に立ったときのように冷気と共に身体を包むような気がしました。
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樽の生産量が減っている事を先に書きましたが、それでも「近江クーパレジ」さんは技術を絶やす訳にはいきません。
なので、現在は親元のサントリーさんの許す範囲のなかで、樽作りの技術を使って、新しい事業を展開されようとしています。
太鼓など楽器もその一つです。
また、廃棄処分される古樽を解体して出来た板材を、家具にしたり建材にされたりもしています。

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ゆったりとした時間の流れを感じる半日でしたが、そこには確かな技術があり、なくてはならないモノがあるような気がします。ウヰスキーが出来上がるまで、短くても10年。現代の早い時間の流れの中で、先を読んで行くことはとても難しいことです。10年先にどんなお酒が好まれるのか誰にも分からないし、その時にどんなお酒がここで生まれるのかも分かりません。
ウヰスキーの消費量が減れば、技術を維持することも難しいと思うと、社長さんが柔らかく、みなさんにウヰスキーを飲んだもらいたいと言われるのが、身にしみるような気がします。私自身もお酒は嫌いな方ではありませんが、この時ばかりは、酒好きの親父にまだまだ現役でいてもらわないと、と思う限りです。
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見学を終えた帰り道、貯蔵庫の前で吸ったウヰスキーの香りで、こころもちほろ酔い加減な気がしました。もしかしたら、電車のなかで顔を赤らめていたかも知れません。

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【案内】
近江クーパレジ株式会社
〒552-0063 滋賀県八日市市大森町字池谷863-1
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【参考サイト】
「リサイ樽・08-09.com」
「サントリー樽ものがたり」
廃棄の樽を使った家具や小物の販売もあります。
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