フジタカヌー研究所【カヌー】

フジタカヌー研究所
フジタカヌー研究所

JR大和路線加茂駅からさらに関西本線に乗り換えひと駅。木津川のほとりにある笠置(かさぎ)駅で降ります。そこから車で5~6分弱ほどでしょうか。川からは500メートルほど離れた山裾に「株式会社フジタカヌー研究所」があります。川のそばに無いのは、川の氾濫に備えての事だそうです。

この日は午後からの工房見学ですが、折角なので、午前中は半日のカヌー教室に参加しました。基本的なパドル(櫂・水かき)の操作方法と準備運動を少し、流れの穏やかな場所で初めてのカヌー体験です。午後まで参加すれば川下りも体験できるのだそう。
勢い勇んで川面に出ました。水面が近く、普通にのるボートに比べると自然との一体感があります。滑り出すように漕ぎ進め、面 白くなると少し流れのある所に向わんと調子に乗り始めます。
カヌーよろしく流れに乗ってみたいと上流に向って行きますが、そうそう思うようにも行けません。ようやく流れのある場所に辿り着き、さあ行くぞ、その時にカヌーが横滑り、おやっと思うが早いかヒックリ返って転覆してしまいました。
ライフジャケットを着ているので慌てる事も無く泳げますが、すかさず来てもらえた指導員の方に無事救出されるのでした。ずぶぬ れになり岩の上に立ち、流れたカヌーを指導員の方が引っ張って来てもらえたところで、丁度午前のカヌー教室はお開きとなりました。お騒がせしました。

出来立てのカヌー
出来立てのカヌー
フレームの切り抜き台 白線に見えるのはルーターの通るラインです
フレームの切り抜き台
白線に見えるのはルーターの通るラインです

食事をしてから、さっそく工房見学です。
株式会社フジタカヌー研究所」は日本で唯一、船舶理論に基づいてカヌーを製作している工房です。日本におけるファルトボート(折り畳みカヌー)の普及第一人者だった京都大学の高木公三郎教授と親交のあった藤田清社長さんが、戦後まもなくカヌー製作を始めたのがきっかけになります。もともと物作りが好きな社長さんがタカをくくってカヌー製作をはじめてみると、満足いくものに辿り着くまで10年を要し、その奥の深さにのめり込んでしまったのだそう。
それにもまして舟という道具である以上に、スポーツ用具のように身体の一部となるカヌーは、知識と経験で無限大の楽しみがあると熱く語られます。家族連れでドライブをする乗用車も、過酷なラリーに参加する性能を持つ。穏やかな湖面 を家族と楽しむ事も、急流を下る冒険も楽しめるそんな巾の広さが一番の魅力と言われます。

藤田社長考案の塗装システム
藤田社長考案の塗装システム
フレームの組み立てす
フレームの組み立てす

そんな社長さんですから、「日本の川」にあったカヌー作りに余念は無く、船舶理論はもとより、持ち運び、組み立て共に日本人にあった「使いやすいカヌー」を追求されています。
素材研究には興味深い内容が次々話に出されました。耐食アルミの研究では、当時民間では知られていなかった金属の組み合わせをいち早く知り、視察にきたとある企業には軍需関係の仕事をしているのかと勘違いされたと言う逸話やら、尽きることがありません。ですから、何気に拡げられているものが世界トップレベルの技術に裏打ちされたものばかりなのです。
その他にも、特殊な完全防水合板やら、厚さ4~5センチ21層にも及ぶ自主開発の積層合板やら、防弾チョッキにも使う繊維を織り込んだ船体布やら、グラスファイバーのフレームなどなどいろいろです。

最盛期には月産850艇にもなった事もあるのだそう。今はそれ程の生産量 はありませんが、その頃の技術を持ってよりスムーズな顧客対応ができるよう今も生かされています。
何よりも、語りはじめると留まる事を知らない社長さんの情熱がとても印象に残る訪問でした。

ゴンドラに吊り下げられた出荷前のカヌー
ゴンドラに吊り下げられた出荷前のカヌー
国産第1号(1947)のファルトボート
国産第1号(1947)のファルトボート


【案内】
株式会社フジタカヌー研究所
京都府相楽郡笠置町佐田45 電話:0743-95-2507

【参考サイト】
日本カヌー普及協会(J.C.P.A.)
FOLDING CRAFT

【カヌースクール】
開催時期は、3月春分の日から11月末までの土・日・祝日。5名以上なら、期間外でも可能だそうです。
詳しくは株式会社フジタカヌー研究所まで。Let’s TRY!

清水末商店【木彫看板】

清水末商店
清水末商店

京都寺町通は昔からの京都らしいお店が並んでいる一画でもあり、昔からの木彫看板を幾つか見つける事が出来ます。その寺町通 を御池通の交差点から少し北へ行くと、京都でも2軒しかないという木彫看板屋さんのひとつ、「清水末商店」があります。

系譜は残っていないので、いつ頃からのお店なのか分かりませんが、記録のある限りは慶応元年。当時の薬の吊り下げ看板が多く残っている様です。現在は四代目当主の清水國雄さんが息子さんと2人でお店を支えています。清水さんは職人の貫禄を、温厚そうな人柄のなかに感じさせるような方です。

四代目当主の清水國雄さん
四代目当主の清水國雄さん

愛用の小刀は島根のヤスケ製
愛用の小刀は島根のヤスケ製

看板の材料は、主に欅(ケヤキ)や栓(セン)。目が素直で銘木とされるような木目の美しい北海道産の材料を、自ら厳選し買い付けるのだそうです。材料の買い付けから始まり、場合によれば自ら書も書き、木を彫り、着色し、漆を塗ったり、金箔を貼ったりとさまざまな工程を重ねて、一つの看板が完成します。
ですので、決して安請け合いをされません。常に納得のいく品を完成させることに専念し、他の類似した看板とは比べられない持ちの良さを信条とされています。時間が経てば、「時代を感じさせる」看板作りなのです。
しかし、「うちの看板は高いのです。本物の良さを分かって頂ける方にしか、なかなか買って頂けません」と説明される清水さんの奥さんは、ここへ嫁いだ時におばあさんから「うちは木をかじって生きてるねん」と言われたそうです。職人堅気の清水さんは一切の営業をせず、台所を取り仕切る奥さんはヤキモキされるのも仕方ありません。

先に書いたように、看板屋さんは多種多様な技術を身につけておかなければなりません。寺社に掛るような額付きの看板も全て製作されます。大工仕事から始まり、彫刻や漆、金箔など、一人で全てをこなさなければならない時もあります。10年では一人前になれないのだそうです。
清水さんの製作される看板は、一枚の板を掘込みながら作られるのですが、文字の底面 が柔らかく膨らんでいます。写真では平坦なものに見えますが、実物を見ると浮き出た様な立体感を感じさせます。これを紙やすりなど一切使わず、小刀で仕上げるのです。
また、書の勢いを殺してはならず、自らも書をたしなめておかなければなりません。かすりの具合や運筆を分かっていなければ、彫る事が出来ないのです。

何気に彫られているようで、いざ材料を持たせて頂くと、ずっしりと重く、堅い材料を使われていることがよく分かります。しかし、それを毎日彫り続ける清水さんの手は柔らかく、マメがありません。熟達した技は、余分な力を一切使わずにいられるのでしょうか。ただ現在では、さすがに筆に持ち替える事は出来なくなったそうです。

こちらで、6万円也
こちらで、6万円也
和紙に文字の型を残しています
和紙に文字の型を残しています

「和」と書かれた円形の額は、玄関や和室、洋室どこにでも掛ける事が出来るように、とオリジナルで製作されているものです。文字は書家さんに書いて頂いた物だそうですが、製作に延べ2週間ほどかかっています。大きいものになると、2ヶ月、3ヶ月はザラのようです。
家の表札はヒノキ材を使いますが、手頃な値段で製作して頂けます。小さい文字では清水さんの技は生きて来ないのが残念ですが、折角の家の顔、京の伝統工芸職人の手業による表札を揃えられてみてはいかがでしょうか。
知っていれば自宅の表札を作ってもらうのでした。

こちらは昔々の看板
こちらは昔々の看板


【案内】
清水末商店
京都市中京区寺町二条下ル
電話:075-231-4838

【参考サイト】
京を語る(情報誌・京都)」より

やまと錦魚園【郡山金魚】

やまと錦魚園
やまと錦魚園


近鉄郡山駅から10分ほど。田圃に囲まれた先に「やまと錦魚園」と「金魚資料館」があります。
金魚と言えばついつい夜店のイメージなのですが、ここは金魚の養殖場。真っ赤な金魚が夜店とは比べられない程に一杯いました。小さいのやら、大きいのやら、見慣れたものや、珍しいものまで、いろいろいます。

金魚の紀元はもともと中国で、鮒(フナ)のかけ合わせから作られた人工的な魚のなのだそう。4000年の歴史は恐るべしです。なので卵からふ化した金魚は初めから赤い訳ではなく、一定の時期になると赤く変色していきます。その際に、みな金魚になるとは限らず、中には先祖返りをしてフナのまま赤くならない金魚もいるのだそう。実際に商品として出荷出来るのは、半分にも満たないと聞きました。
こうした養殖場に来れば、そうした赤くなる前の金魚を購入するという、少し変わった楽しみ方もある訳です。
熱帯魚はお金持ちの趣味で、金魚と言うと何となく庶民的なイメージを持っていましたが、物事極めればいくらでも上がある訳で、日本国内に限らず海外にも珍しい金魚は輸出され、各国のお金持ちの趣味になると言うのも納得できる話しでありました。

「金魚資料館」には、金魚に関する歴史的な資料なども展示されています。ちょっと怖かったりもしますが。
また、「高級金魚?」を水族館の様に展示してあり、さまざまな金魚を見る事もできます。いままで、まじまじと金魚を見たことがないのですが、ランチューやら、綺麗なものも沢山いますが、人の手によって作られた生体が何となく可哀想な気もします。
が、自分には気付かずこうした事は身の回りに沢山あるのだろうな、とも思えました。

金魚。きんぎょ。キンギョ。
金魚。きんぎょ。キンギョ。
金魚の養殖場
金魚の養殖場


最後に金魚の飼育について豆知識。
金魚は誰もが知るように淡水の魚ですが、水槽の水に少しだけ塩を入れてあげると良い。要は生理塩水に近いほど良いのだそうです。なぜかと言えば、金魚が何かのきっかけに怪我をしたとすれば、体内の塩分が浸透圧で薄まってしまうためだそうです。逆を言えば、海の魚は怪我をすると体内の塩分が濃くなってしまう訳です。これが、淡水魚と海水魚の大きな違いでもある。なので、少しだけ塩を入れてあげる。
はじめて知りました。

金魚は小さい奴がやはり可愛いですね。庶民ゆえでしょうか。

立派な金魚が一杯
立派な金魚が一杯


【案内】
金魚資料館
奈良県大和郡山市新木町107
電話:0743-52-3418

【参考サイト】
金魚探索コース

錦光園【奈良墨】

錦光園さんの暖簾
錦光園さんの暖簾


JR奈良駅からほど近くに墨作りの工房「錦光園」があります。
奈良が墨の名産地とはつゆ知らず、全国で98%のシェアを占めていると知り驚きました。とは言うものの墨の需要は年々減るばかり、伝統技術の継承がやはり問題になっている様です。

墨の質は、基本的に油で決まります。一番良質はゴマ油なのだそう。中華料理ではありません。ごま油に火をともし、茶わんを逆さにした様な道具で立ち上る炎の先からススを拾います。炎と茶わんの高さが離れればより微細なススを拾う事になり、さらに良質なものと成ります。こうしたススによる墨の製造はおよそ600年前室町時代中期頃から行われているもので、南都油煙墨と呼びます。
それ以前には、木(赤松)を燃やしてススを集め製造されていました。これは松煙墨と呼びます。

そうして拾ったススを暖めてゆるめた膠(ニカワ)と混ぜて固めます。工房には炊飯器があり、粘土のように練り合わされた墨を保温しながら使います。冷えると固まるので、昔の職人さんは股の間にいれて保温していたそうですが、墨の粘土をちぎって丸めて木型にいれて、見慣れた形の墨に成型していきます。木型は梨(ナシ)の木が一番良いそうです。

柔らかい墨を木型に入れる工房
柔らかい墨を木型に入れる工房
湿り気の違うとても細かな灰が入った箱
湿り気の違うとても細かな灰が入った箱
じっくりここで乾燥
じっくりここで乾燥
乾燥中の墨
乾燥中の墨

型からはずした墨はまだ柔らかく、なんとなく羊羹のようなもっちりした感じで、さわると微妙な弾力が気持ち良い感じです。そうして、その墨羊羹を灰の入った箱に移し徐々に乾燥させます。一気に乾燥すると墨は簡単に割れたり、歪んだりしますので、湿った灰から乾いた灰に段階を踏んで乾燥させます。気温や湿度、灰の湿り気具合を感じ取りながら、具合のよい灰の箱へ墨の移し換えをするのも職人さんの勘所が決め手なのだそうで、経験を積まなければ簡単に出来る事では無い様です。
更に乾燥棚に移し、時間を掛けてゆ~くりと乾燥させて、ようやく製品になっていきます。意外に掛る墨の製造工程の長さにビックリです。また、墨作りは膠の腐らない寒い冬の2月頃が一番最適だそう。夏には墨作りは行われません。と言うことは墨職人さんは季節労働者なのですね。

適量の墨をちぎって木型に入れるのは職人技
適量の墨をちぎって木型に入れるのは職人技
乾燥箱への詰め込み
乾燥箱への詰め込み


ところで、墨の匂いと思い込んでいたのは、実は膠の動物性匂いを消すために入れた樟脳の匂いなのだそうです。
また、良い墨の見極めは「薄墨」にして使った時にこそ分かります。良い墨はより染料に近く、美しくにじみ、 薄くても深みのある色をたたえます。小学校の頃に使っていた墨汁は工業的に作られており、墨の粒子が荒く均一なので味わいは出ないのです。

墨の削りかす
墨の削りかす


【案内】
錦光園 http://www.eonet.ne.jp/~nigirizumi/
奈良市三条横町547 電話(0742)22-3319
HPには墨の歴史や製造過程を詳しく解説されています。

「にぎり墨体験」出来ます。世界にひとつだけの墨作りにGO! これは結構楽しめます。家宝になるかも。


追記

近江クーパレジ【洋酒樽】

構内につまれた古樽


JR近江八幡駅から近江鉄道に乗り換え、八日市市の駅からタクシーで15分程、サントリーの近江エージングセラーという施設があります。その中に「近江クーパレジ」という洋酒樽の製造工場があり、そこへ見学に行きました。
さすが大企業、サントリーの施設だけあって施設の入口からもタクシーのままゆったりした構内を少し行くと、樽工場が見えてきます。まず目にしたのは、廃棄前の古樽が山高く整然と並べられている様子。タクシーの中にいてもウヰスキーの香りがしてきました。

古樽


まずは近江クーパレジ社長の立山さんから樽のお話や、会社の歴史などを聞かせていただきました。

樽のお話の中で興味をひかれたことは、まず、日本人として最初に洋樽作りに携わったのは、かの有名な?ジョン万次郎さんだったこと。樽作りの道具は、太鼓や木造船の道具に類似していること。ウヰスキー樽の材料はオーク(樫)と言われているが、水楢が使われていること。樽の良し悪しが、ウヰスキーの品質の5~6割を占めること。
そして、樽が太鼓腹なのは強度を増すこともさながら、600キログラムになる重い樽を自由な方向に転がしやすいこと。なるほど~と納得。

構内の様子


「近江クーパレジ」は現社長のおじいさんにあたる立山源丞さんが、明治の終わり頃に独立してセメントの樽作りを始められたのがそもそもスタートだそうです。それから紆余曲折ありながらも、サントリーの専属となり現在に至りますが、当初手作りで月産10~17丁(樽)が、昭和の30年代にはトリスなどの洋酒ブームもあり、工場も機械化され月産1800~2000丁にもなっていたそうです。
ただ、現在はウヰスキーの売上は減り、年間でも100丁ほどしか生産されていないらしく、今3人ほどしかいない樽職人の後継が問題のひとつになっているようです。ウヰスキーも10年くらいは樽で寝かせていますが、樽作りを一人前になるまでに10年ぐらいはかかるという話しですから、みんなもっとウヰスキーを楽しまないといけませんね。

板材の敷き並べ
フープのはめ込み
手慣れた作業


樽作りの一連の流れをビデオで見せて頂いた後、工場の方へ向いました。
おもしろいのは、機械化されているとは言え、樽の側面に並ぶ板の巾はマチマチ。樽型にするため板それぞれは少し紡錘形に製材されています。そのまちまちの板を写 真に見る筒状の機械のなかに敷き並べ、筒状に並んだ板をを拘束するフープ(タガ)をはめて行きます。板巾に規格を作るときっちり合わせるのがむしろ難しいのだそうです。
板それぞれの側面は平滑でギュッと締め込む圧着だけで水を透さなくします。大事なのは板の密度や性質を見極めること。なかには水をもらしてしまう材料もあるので、一瞬でそれを選別 するのだそう。説明されれば分かりますが、流れ作業の中でそれをするのはやはり職人技です。
また、樽の上下のフタも締め付けで圧着するだけ。フタの加工はほんの少し楕円になっていて、締め付けられることでほぼまん丸になる訳です。
板は原酒を含んで少しは膨らむでしょうが、それだけで長いものでは50年も使うのですから、途中で修理することもあるとは言え、よく漏れないものだと感心します。
また、出来上がった樽の中は、銘柄によって焼いたり、薫製したりしもします。

ここに来てはじめて樽を使いまわすのだと知りました。お酒ができるまで一度きりのものだと思っていたからです。
出来たての樽は成分が出過ぎるので、スコッチには合わず、バーボンを作るのに使うのだそう。

修理中の古樽


一通り工場の見学の後、ウヰスキーの貯蔵庫も見せて頂きました。見た所、4階建てくらいの大きさでしょうか。搬出入のリフトが動く一直線の通 路だけに天窓がある巨大な暗い倉庫です。
立体駐車場と言うべきか、樽が整然と寝かされている様子は壮観です。出入り口付近に立つと、ウヰスキーの香りが、鍾乳洞の前に立ったときのように冷気と共に身体を包むような気がしました。

樽の生産量が減っている事を先に書きましたが、それでも「近江クーパレジ」さんは技術を絶やす訳にはいきません。
なので、現在は親元のサントリーさんの許す範囲のなかで、樽作りの技術を使って、新しい事業を展開されようとしています。
太鼓など楽器もその一つです。
また、廃棄処分される古樽を解体して出来た板材を、家具にしたり建材にされたりもしています。

貯蔵庫


ゆったりとした時間の流れを感じる半日でしたが、そこには確かな技術があり、なくてはならないモノがあるような気がします。ウヰスキーが出来上がるまで、短くても10年。現代の早い時間の流れの中で、先を読んで行くことはとても難しいことです。10年先にどんなお酒が好まれるのか誰にも分からないし、その時にどんなお酒がここで生まれるのかも分かりません。
ウヰスキーの消費量が減れば、技術を維持することも難しいと思うと、社長さんが柔らかく、みなさんにウヰスキーを飲んだもらいたいと言われるのが、身にしみるような気がします。私自身もお酒は嫌いな方ではありませんが、この時ばかりは、酒好きの親父にまだまだ現役でいてもらわないと、と思う限りです。

見学を終えた帰り道、貯蔵庫の前で吸ったウヰスキーの香りで、こころもちほろ酔い加減な気がしました。もしかしたら、電車のなかで顔を赤らめていたかも知れません。

材料となる樹齢200年くらいのオークの切り株


【案内】
近江クーパレジ株式会社
〒552-0063 滋賀県八日市市大森町字池谷863-1

【参考サイト】
リサイ樽・08-09.com
サントリー樽ものがたり
廃棄の樽を使った家具や小物の販売もあります。