「兵庫県立総合射撃場」見学してきました。

兵庫県立総合射撃場
 播磨の山間、三木市に完成した「兵庫県立総合射撃場」見学会に参加してきました。

 各地でクマやらイノシシやら野生動物が街中に出没するニュースが増えたと思っていました。北海道を震撼させたヒグマOSO18のいつのまにやら捕獲も、まだまだ記憶に新しいニュースです。
 北海道だけの話で無く、野生鳥獣の生息域拡大のひとつの原因が狩猟者の高齢化・減少。こうした現状を踏まえ、野生鳥獣の捕獲「狩猟」の知識や技術を習得する機会を提供し、担い手育成の施設が必要です。
 兵庫県立総合射撃場はこうした目的と併せ、射撃競技者の拠点を目指す施設だそう。

 車で到着すると、なにやらデッカイため池でも作るのか?とも思えそうな、すり鉢状の射撃場が目の前に拡がりました。大きいものを見ると、意味もなく興奮気味。ホォ〜〜〜。
 見学会の本来目的は併設の木造管理棟なのですが、そちらはソコソコ。どうしても、初めて観る射撃場というものに、ただただテンションが上がります。

管理棟
管理棟。木造平屋建て。事務室・会議室・ロッカールームの他、狩猟後の処理加工室が備わっています。イノシシやらシカやら、ジビエ料理を楽しむための調理室も。
管理棟ホール
中央ホール。競技の際は受付けスペースになるのだそうです。
展示されていた「わな」いろいろ。

 会議室で1時間ほどの講義を受けた後、管理棟内の見学。
ここからが本番? 楽しみにしていた射撃場の各施設見学に出陣。

ライフル射撃場
ライフル射撃場。遠くの的で100M。近くの的で50M。吊られて動く標的も出てきます。
壁や天井の板張りのように見えるところは、実はすべて105ミリ角の柱材。誤射などの際、コンクリート壁のままだと跳ね返りで被弾の恐れがあるため、100ミリ以上の木材を張るのが規定にあるのだそう。
ライフル弾とスラッグ弾
ライフル弾とスラッグ弾。的中心は5センチの円。
エアライフル射撃場
エアライフル(空気銃)射撃場。こちらは競技中心です。高校生の部活利用も想定されているとか。そんな部活もあるところにはあるのね。とちょっと驚き。
ビームライフル射撃場
ビームライフル射撃場。参加者全員に体験射撃をさせていただきました。
 私も3回撃たせてもらいました。80点、70点、最後は真ん中100点。まぐれ当たりでも、指導の方に上手いですね〜、と褒められ少しばかり有頂天。明日からアスリート目指そうかな。
クレー射撃場
クレー射撃場。左に射撃スペースがあり、右の山壁まで約230M。クレー射撃はショットガン(散弾銃)を使いますが、散った弾のうち最大飛距離がそのくらいだそう。
射撃スペース
射撃スペース。コチラに立って、下から飛んでくるクレー(円盤)を撃ち落とします。
クレー発射装置
クレーの発射装置。競技者は側に設置されるマイクに向かって「ハイ」と声掛ければ、どれかから自動で発射されます。クレー自体が飛ぶのは3分の1ぐらいの距離までとのこと。
クレー発射装置裏
クレー発射器を裏から見るとこんな感じです。
クレー射撃場お掃除車
散らかったクレーやら散弾のための、やたら可愛らしいお掃除車。ルンバではなさそう。ここを掃除するには、ちょっと小さすぎないかと心配します。
射撃の弾は鉛製のため、鉛処理施設も揃っています。
兵庫県立総合射撃場
こんな広いところに立つことは、なかなかありません。
(オマケ)上の画像をクリックすると、パノラマ画像が見られるかも。

 はじめてづくしの見学会に、興奮さめやらぬ一日となりました。
 それにしても広い施設でした。相当な事業費も掛かっているでしょう。しっかり鳥獣被害対策に繋げて欲しいものです。
 この施設は、世界的な大会も対応可能な設備も揃えているとのこと。そうした大会が行われるなら、また一度訪れたいものです。
 もしや出場している時には応援にお越しください。

朝来市旧生野鉱山職員宿舎

 朝来市に行く機会があれば、行ってみたいと思っていたのが此処。朝来市旧生野鉱山職員宿舎です。以前に生野銀山へ訪れた時は車で横を通り過ぎてしまい、そのままずっと気になっていました。
 ですが今回、昼ご飯を食べ損ねたまま辿り着き、施設近くで食事を先に済ませようと目論んでいたところ、閉館時間まで後一時間ほどと告げられ、そのままお腹を空かせ慌てて見て廻る事になってしまいました。

 朝来市旧生野鉱山職員宿舎は、生野銀山が繁栄した明治から昭和初期にまたがる官舎・社宅5棟が復元保存されている一画になります。行ってみたいと思っていながら、分かっていたのはその程度。
 見学の後からパンフレットを見直すと、一様に復元されている訳ではなく、明治期・大正期・昭和初期を想定した復元になっていると分かりました。しかも形状の近い3棟はそれぞれ違った建て物と思われていましたが、調査によって元々は同じ間取りの住まいであることが判明。時代につれ改修を施されていたのです。その過程を丁寧にくみ取り、それぞれの時代に相応しい修復を行ったとのこと。
 そんな裏話に気がつかず、見学の時は単にそれぞれ違った建物と思っていました。

 始めに分かっていればも少し頭を動かし、時代時代の変遷を感じ取りながら見て回れたと思うのですが、なんとも勿体ないことです。
 なにも分からずとも、もちろん充分に雰囲気を楽しめます。元々は上級技官などの住まい。素朴に見えながらも、とてもゆったりとした贅沢な時間を感じる住まいです。解説には、今見れば特別な建物ではないかもしれないが当時にすれば斬新な建物であっただろう、とありました。ですが、むしろ今の時代だからこそ、此処にはしつらえや空間の豊さがあるように感じます。

 地元ボランティアと思われるおじさんが掃除の合間に時折現れ、口達者にイロイロ説明をしていただきました。が、実は半分も聞き取れなかった。スミマセン!。頭にもう少し知識があれば、楽しめたと思われます。機会があればちゃ〜んと下準備してから、何度でも訪ねたいと思える施設でした。

 棟の一つは、朝来市出身の名優・志村喬記念館にもなっています。この甲社宅が生家なのだそう。

 見終った後、お腹を空かせて近所のお好み焼き屋さんに駆け込みました。これがまた美味しかったです。
 この地域、冬は寒いだろうと思いましたが、聞くところ零下が続く日もあるのだとか。お好み焼き屋のおばさんは、ここの冬は好きになれない。と断言。冬の訪問には、根性も要りそうです。

旭マーケットと寿市場

 「播州織」で有名な西脇市は古くより織物業が盛んな地域ですが、昭和の戦後にそのピークを迎えたことで独特な街の風景が今に残っています。以前より仕事で来ることが多く車で通り過ぎながら、昭和レトロな建物群についつい目が向いていたにも関わらず、ゆっくり散策をすることなくいました。
 私事18年間仕事を共にした車を乗り換えることになり、最後にどこかドライブに行こうよと嫁さんを誘い、思いつき、西脇市にある日本最古と言われる木造アーケードを見に行ってきたところです。

 素人目で見たとしても現在の建築法規では、ほぼ再現のあり得ないだろう建築群です。一部家屋が撤去された様子のところでは、アーケードを支えるためだけの撤去家屋の柱が残っていました。別なところでは、崩れかけそうな家屋もあります。それでもまだ住まわれていたり使われているところもある様子。売家の貼り紙もありました。レトロ好きなひとでも、さすがに躊躇しそうです。

 懐かしさだけで残すことは難しいともちろん思いますが、時代を伝える風景がひとつひとつなくなってしまうことは、やはり惜しい気がします。
 ネットで検索してみると、つい最近でも紹介している記事や写真が見受けられました。にぎわいを取り戻すことが出来なくとも、なにか保存の手立てがあることを望んでしまいます。

 こちらもレトロカーと呼ばれるに後わずかなところでしたが、存続の手立てが立てられず、ああ無念。

「水車大工」展

仕事の合間に覗いてきた竹中大工道具館での「水車大工」展
圧倒的な細工もさることながら、純粋に円いものに惹かれてしまうのは、私だけでしょうか。

KHギャラリー芦屋(旧コシノ邸)|安藤忠雄

この日曜日、台風の接近間近に安藤忠雄設計のKHギャラリー芦屋(旧コシノヒロコ邸)にヨメさんと二人で行って来ました。4〜5年ほど前から、一般公開されています。
ギャラリーのHPで開催中展覧会の最終日と見つけ晴れている午前中のうちなら〜、慌てて到着すれば、エ?扉が閉まっている!
玄関先でオロオロしているところに、中の学芸員さんが気づいて出て来てくれました。実は展覧会は好評で会期延長、さらに台風接近で今日は休館のインフォメーションを告知していたのですが、、、と聞かされ唖然。そこをナントカ折角だからと、食い下がると学芸員さんは親切に開けてくださいました。スミマセ〜ン。

厳かに中に入らせてもらうと、まず和室と大階段。そのまま吹き抜けのリビングが続きます。なんと言えばよいのか、安藤建築に出会えた感触が湧き起こりました。適度に余裕をもって飾られるコシノヒロコ氏の作品。まさしく美術館。住まいであったことを感じさせません。素直に気持ち良い。
二人空間に浸り、促されながら安藤氏のスケッチが飾られた廊下を渡り、円弧の壁に囲われた寝室へ。そしてダイニング。どこに立っても時間の流れがゆったりと感じられます。
増改築を繰り返して今の姿となっていますが、初めから計画されたひとつの建物のようにしか感じられないことにも、ちょっと驚きです。

しばらくすると、我らと同じく休館を知らず来られたひと組がありましたが一巡してすぐに引き上げられので、ほとんど二人で小一時間、広いギャラリーの中を貸切で滞在させていただいた感じでした。
休館にお付き合いいただいた学芸員さんには申し訳ないばかりですが、よい経験をさせていただきました。本当にありがとうございます!

こんなトコ住んだら、感覚も変わるやろうな〜。羨望混じりのヨメさんのつぶやきはきっと誰もが感じるでしょう。建築の強さを久しぶりに感じるひと時でした。

後日、アンタダ講演会に当選したヨメさんは只今嬉々としております。

見学会「農業研究開発センター・なら食と農の魅力創造国際大学校」

1週間ほど前、大規模木造の完成見学会に行って来ました。奈良県桜井市に完成した「農業研究開発センター・なら食と農の魅力創造国際大学校」というところです。主催は、こうした大規模木構造を多く手がけるSMB建材株式会社さんで、1時間ばかりの説明会付き。同日に3回あり参加したのは夕方の最後の回ですが、大勢の方が来られていました。

交流サロン棟

農業研究開発センター・なら食と農の魅力創造国際大学校
交流サロン棟

見学会メインの建物。楕円形平面の2階建て、延べ床面積 1351㎡ あるそうです。中心にある円形の越屋根(飛び出た屋根部分)が特徴的です。構造に使われているのは国産の唐松集成材。その他奈良県産杉集成材、ひのきなどが使われているようです。

現場管理棟や本館

研究農場に並列したこの現場管理棟は棟の使用上、外部に向かっての開口部が多いため、耐力壁の配置が難しかったそうです。家形なので、円形のサロン棟より木造らしさが素直に感じます。また、現場管理棟とサロン棟の間にある本館はRC造ですが、木ルーバーを外部に使うなどで、積極的に木質化をされています。

保育所に携わる機会もあって、大型の木造園舎などこうした大規模木造には興味があります。雑誌やネットで見かける海外物件にはカッコいいものもありますが、なかなか実際に見る機会がありません。

そんな気持ちでやって来た訳ですが、説明会の際にRC造ぐらいの予算が必要とお話しがあり、補助金の利用や、公共事業でのスケジュール管理がなかなか簡単ではなさそうな話を聞くと、安易に手出しできないこともよく分かりました。防耐火などの法的規制も含め、古来からある大きなお寺や神社を継承しながらの大規模木造や、木造住宅のような木の良さを全面に押し出した大規模木造が身近になるには、まだしばらくハードルが高そうな気がします。

ですが、さらに洗練され日本の建築文化のひとつとして中規模や大規模の木構造建築が時を経ていまに根付くことができれば、衰退する林業の再生、放置された人工林の地滑り災害予防、二酸化炭素の削減など未来の社会や環境に大きく繋がるのでしょう。
自分がそんなひと役になれるかどうかは時の運として、こうした見学会や勉強会に参加する機会はできるだけ作りたいなと思うこの頃です。

それはそれで見学会中、荒川弘の漫画「銀の匙」をニヤニヤ想像してしまったのは、僕だけだったでしょうか。( アニメしか見てないのですが。。。)

みんなの森・GIFU MEDIA COSMOS

日曜日。岐阜の友人宅を訪ねた折、伊東豊雄氏設計「みんなの森・岐阜メディアコスモス」を案内してもらいました。

施設のメインは岐阜市立中央図書館。空のように大きくうねる木組の天井に大きなランプシェードが点在し、場を構成しています。なんともまぁゆったりした空間。はじめて来たので落ち着きなくウロウロとしておりましたが、好きな居場所を見つけて本を読みふける子供らの姿も多く、贅沢で羨ましいかぎり。
昼間の様子も気持ちよさそう。仕事さぼって入り浸りそうです。夢見にはいい空間。

そのあと友人と小さな居酒屋、つい現実の語り合い。。。終電で帰ってまいりました。

見学会「京都木材会館」

京都木材会館:外観

自分が手がける機会はなかなかありませんが、少しずつ増えている木造の耐火建築物はやはり興味があります。
大型木造建築の構造等を手がけるシェルターという会社からの案内で、京都の市街地に建った木造による4階建ての「京都木材会館」の見学会に参加してきました。1階店舗、2階事務所、3/4階は共同住宅になっています。目玉は2時間耐火の木柱。法的な要件では必要はないのですが、木材会館であることと日本初ということで1階部分に採用されているそう。

京都木材会館:正面通りから

京都木材会館:2時間耐火の柱断面

ご覧の通り、木の柱と言え法的に耐火性能をクリアしようとすればこんなにもなるのですね。ここまですれば、1000度の炎に2時間晒されても構造として必要な中の芯材は損傷なしなのだそうです。木造建築のイメージからはちょっとかけ離れてしまう気もしますが、木材利用と言う観点から考えればこうした技術は大事と思います。実感が伴いませんが。。。(汗)

京都木材会館:ルーバーのディテール

もう少し直接的に訴えかけるものがあると感動するのでしょうが、出来上がってしまうと分かりづらいのがちょっと残念。それでも、外壁に取り付くルーバーは採光調整に可動したりして、木の建築であることをアピールするためにも、いろいろ試みはされていました。

そうすると、行き帰りに寄ったJR二条駅にかかる木造屋根は素直に感動的です。

JR 二条駅

こちらはもう20年近く前に建て替えられた駅舎ですが、こうした木を使った公共建築・施設はもっともっと増えていくのが良いですね。久しぶりに寄りましたが、今なお感動的に天井を見上げてしまいました。こうした風景がもっと日常的に目に触れると、木造の中大型物件に対する理解も広まりやすい気がします。

ついでに。。。

志津屋「ヘレカツサンド」

二条駅の下でお昼した志津屋のランチセットが、一番感動的においしかったです。

びっくりポンやわ!KEIZO HOUSE

ともかくギョギョっと、スケールに圧倒された一昨日の休日。

石の彫刻家・牛尾啓三先生からのお誘いで、ドイツで参加された国際彫刻シンポジウムでの制作報告会に伺いました。会場は明治期の古民家で、先生の私設ギャラリー?です。

去年のうちから先生のフェイスブックで古民家を購入し、修繕する様子が時折紹介されていました。なにやらゴツそう。。。とだけ垣間見ていた訳ですが、この度晴れてお披露目?に参加させていただいた訳です。一緒に行ったヨメさんはテンション急上昇の様子。
何しろ報告会の会場は二階の100畳敷きの間? それを聞いただけで、なんじゃそれ?って具合です。元は両替屋?銀行?・・・商家との事ですが、スケールがデカすぎでした。頂いた資料に目を通せば、建坪120坪の母屋に蔵やらがくっ付いて延べ床だと300坪を超えています。二階の間は当時、今とは交通事情が違いますので旅籠がわりに使われていたそう。
いやいや土地の面積の間違いでは?と思いそうなぐらい大っきなお屋敷だった訳です。先生らしいと言ってしまうとそれまでですが、ともかくたまげました。

何よりこのお屋敷を所有しようと考える先生のスケールがデカすぎです。この後は、イベントの会場や海外からの来賓向けのゲストハウスにしたいのだそうですが、正月には一人で廊下を磨いていたとか、台風の時は心配で泊まりに来るのだとか。何とも気さくな人柄が、これからますますスケールを大きくする気がしてなりません。

熱海「起雲閣」に行ってきました。

お宮の松/貫一・お宮の像

正月のコトで恐縮ですが、熱海へ家族旅行に行ってきました。その際、熱海の三大別邸と称されるうちのひとつ「起雲閣」が開館していたので見学してきました。見応え十分です。NHK連続テレビ小説「花子とアン」で登場する九州の石炭王・嘉納伝助の屋敷として使われていたそうですが、見学のときは全く気づいてなかったです。(笑)

大正の間に海運王やら鉄道王によって、大きな日本家屋の別荘に始まり敷地の拡張ととも日本庭園を取り囲むよう洋館二つがその後に建てられました。戦後になって所有者も変わり旅館として使われてもいました。大正ロマンとでも言うのでしょうか、和・洋・中・その他イロイロのいろいろな建築様式やデザインが不思議な調和をもって混在しています。ぐるぐる廻っているうちに、なんとも言えないタイムスリップ感を味わえるのが魅力的です。
昭和の文豪が多く宿泊する名旅館でしたが平成11年に廃業、そののち熱海市が取得し有形文化財となって今は観光名所として公開されています。

起雲閣 続きを読む

内覧会|伊礼智「自然につつまれる家」

自然につつまれる家

日曜日、設計仲間からのお誘いを受けて住宅の内覧会に出掛けました。
設計は伊礼智氏。小さな住宅を数多く手がける建築家さんです。雑誌や本では良く拝見していますが、実作を拝見するのは初めて、とっても気になっていた建築家さんの一人なので、楽しみにしながら伺いました。

この日はお天気も良かったので、いつまでもぼ〜っと出来そうな居心地でした。
今回拝見した住宅は、施工された松彦建設工業さんのモデルハウスとして建てられています。左官を得意とされるだけあって、内も外も多くは左官仕上げ。併せて吉野の杉や檜がふんだんに使われ、久しぶりに爽やかな落ち着いた住まいを拝見した気がします。
写真で見たイメージと実際にうける印象はなかなかピタッとはいかないものです。想像以上に良く感じるときと、がっかりしてしまう時があります。今回は前者でした。こうした機会を逃さず実物を体験することは、やはり大事ですね。ようやく伊礼氏の手がける物件を実感できたこと、且つがっかりしなかった事で、後に本で拝見する時にはずっとリアルに想像できそうです。

楽しみが増えた気がします。

NEXT21公開見学会「第4フェーズ居住実験」

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今日は午前中に検査を済ませ、お昼から、大阪ガスさんからお誘い頂いた見学会に参加しました。
大阪ガスさんが1994年から、社員さんとその家族を実際に住まわせて居住実験をしている「NEXT21」という集合住宅(竣工1993)が大阪上本町付近にあります。既に、3期ほどの実験を進め、今回第4期の居住実験に当たっての改修が終了し、その住戸が7月末頃まで公開されています。この建物は骨組みになる構造とその他部分を分離し、その時折に改修が容易な作りになっています。実験段階を含める最新の設備を使い、主には生活にまつわるエネルギー関連の実証を行っていくのが目的になっています。 続きを読む

金丸座〜正月のこんぴら詣り〜

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西宮のえべっさんも終わってしまい、そろそろ正月気分も正さないとついついだらだらとしてしまいそうな軟弱者なのですが、この正月に家族と「こんぴら詣り」に行ったので、今年始めのブログはまずはそこらから。

石畳の階段が本宮までだと785段、さらに奥社までだと1368段あることで有名な金刀比羅さんですが、そのふもとに「金丸座(旧金比羅大芝居)」と言う日本最古の芝居小屋があります。実はそんな事も知らず愛ある家族に教えてもらい金平に着いた日の夕方、さっそくに見学に行きました。建築されたのは天保6年だそうなので、およそ175年前くらい。昭和45年に重文指定、その後に現在の場所に移築され復元、耐震工事が4年を掛けて行われたそうです。

大屋根の掛かった外観は結構大きく、ちょっと低めな木戸の入り口から中に入ってみると、歴史を感じる玄関ホールがまずいい雰囲気です。思わず高揚し観劇気分に浸りながらそのまま観客席に向かうと、天井が高く思いの外の大空間にさらに感動です。格子に区切られたぶどう棚と呼ばれる客席を横目に、正面の舞台までそのまま進んで役者気分。袖から奥の楽屋を一巡して、さらに舞台下に。幾重にも連なる柱梁の中に、廻り舞台とセリの仕掛けが目に飛び込んで来ると思わずはしゃぎそうになります。2階の客席から優美な舞台を見下ろせば、一度はここで生の芝居を観てみたくなってきました。見所満載!

案内のおじさんの話では、移築当時実はそうしたイベントを行えるようにする予定は無く、あくまで文化財の保存・移転が主で、演劇など興行に向けての設備その他の対応はされていないとの事。なので、当時のままの仕様、江戸時代ままの姿が基本となっている訳で、夏は暑いし冬は寒い、釘は打ってはいけないなどなど。一般の演劇公演はまず無理、裏方も文化財の使用を心得ている方で無いととても使えないのだそうです。特に電気工事はエラい事になりそう。確かに時計ひとつ梁間に板を挟んで直接釘を打つような事はされていません。そんな訳で今は唯一、年に一度だけ歌舞伎の興行が行われているだけだそう。

さて年に一度の興行、この4月に市川猿之助の襲名披露があったりするのだけど、行くか行かぬか迷っているところに、先日NHKで市川中車(香川照之)の番組を観てしまいやっぱり大阪松竹座にしとこかな、と新年早々の浮気者です。

古くて新しいものを見学:60坪と9坪の住まい

 

この間の日曜、そして今日土曜と、それぞれ別の見学会に行きました。どちらも古くて新しいものです。

日曜日に見学した物件は滋賀・宮内建築の手による伝統工法による60坪にもなる平屋。その構造見学会。ガツンとした構造材が縦横無尽のド迫力で迫ってきます。元にあった民家のイメージを壊さず、土壁も再生させてムクムクと甦るようなイメージです。

今日伺った住まいは、ある意味正反対に現代的な小さな家。ただベースにあるのは増沢洵という50年代建築家のモダニズム狭小住宅「最小限住居」というもの。それをリメイクし、9坪ハウスと名付けられた企画住宅です。大阪では第1号ですが、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。

同じ木造と言え、偶然続けて拝見した2つの住宅は大きさも作り方も、そして住まい方も対極にも思えそうな違いがあります。設計者も施工者もきっと相容れないぐらいの違いがありそうに思えるその一方で、不思議に共通するものも感じ無くありません。面白いものです。

さて、自分ならどちらに住みたいと思うか? ・・・正直、どちらも極端で難し過ぎです。

 

藤井厚二「聴竹居」を訪問しました。

「住まうの座」でお世話になった紡ぎ家さんの計らいで、藤井厚二「聴竹居」を訪問しました。建築関連では人気の見学スポットの一つで、今まで二度ほど見学会に申込しながら抽選モレで行けずまま、ようやく機会を頂いた感じです。先日の大山崎山荘美術館とは程近く。樹木に囲われ暑い夏の最中にも涼を感じる自然豊かな環境の地にあります。

「聴竹居」は環境共生住宅の原点と言われ、環境工学を専門とした藤井厚二の自邸の「ひとつ」になるそうです。実家は造り酒屋のお金持ちで自邸を繰り返し作っていると聞き、なんとま羨ましいばかりですが、光や風を存分に取り入れ「夏が過ごしやすい」住まいを目指し、当時のモダンな住宅の実践を試みた建築家の実験住宅だったと言っても良さそうです。

だからでしょうか、勉強不足で詳細について下調べ無くこれまで感覚的な造形を勝手に期待していたのですが、実際に観た「聴竹居」は、むしろ理論的な住宅のひな形を観るような空気が漂い、そうした期待に対する感動はむしろ少なかったのが正直なところです。逆に積極的に電化も行いながら環境工学と時代の先端を進む意欲こそが造形にも現れ、その想いが漂う空気を読み取る事こそが「聴竹居」の見所であった気がします。その面からの覆されたイメージの部分は十分に楽しく拝見し、設計者としての立ち位置を学ぶべき印象を受け、また考えさせられもしました。

大山崎山荘美術館「睡蓮」の見方

名神高速で仕事の帰り道。大山崎付近でまだ昼過ぎだったものだから、そうだ大山崎山荘美術館に行ってみようと思い立ち、そのまま高速を降りた。ずいぶん前だが新館は安藤さんの初期の美術館。実はまだ行った事が無かった。印象派モネの「睡蓮」が飾られていることで有名です。

その以前、庄司事務所に来ていた美術好きなバイトの女史が、あれはダメですよ〜。絵の前が狭くて引いて見ようと思っても、ちゃんと見れない。光もイマイチ、私は嫌です。モネがかわいそう。とまで言っていた。その記憶だけで実際どんなだろうと思って、モネの飾られていた新館(と言っても古い訳ですが)に入った。ちなみに展示室は円筒状のコンクリート外壁に囲まれ、真ん中は白い壁で囲った空間があります。その四角い空間の上にはトップライトがあり、適度に円筒の展示室にも光が漏れるような感じになっています。それほど大きくはありません。
足を踏み入れて女史の言っていた事が分かりました。今日は関西の椅子作家の展覧会が併設されていたので、なおさら動けるスペースが少ない。たまたましばらく一人で鑑賞する事ができたので、窮屈感はないが、曲面に飾られた4枚のモネと正対して向かうと確かに近い感じがします。敢えてのモネファンでもなかったのですが、もうちょっとあればねと思いつつ、併設の椅子に目が移りはじめました。

ちょっと若めな警備員さんがコチラの鑑賞を邪魔しない様に一人で立っています。展示の椅子は触っても良さそうなコメントが付けられていたのですが、念のため聞いてみた。どうぞ座ってみて下さい。それまで黙っていた警備員さんが、あちらの椅子は座られましたか?気持ちいいですよ。と促される。面白い人だな。と思っていたら、後から入って来た学生らしき若者達に、この絵はコチラから見てみて下さい。と話しかけている。つい、耳をそばだてると的をついた意見が聞こえ興味が湧く。改めて、モネを見始めてしまった。

鑑賞者が少なくなって、絵に興味を持ち出した僕を捕まえ、今度はモネの見方について持論を語り始めてくれた。あの絵はモネが白内障になった後でのものです。絵は大きいですが、モネが見ているのは小さな世界なんですよね。此処から見ると睡蓮が浮かんできませんか?丁度、今の明かり具合が良いです。…確かに。真っ正面から見ようとしていた時よりも斜めになった今の位置の方が映り込んだ光も無くずっと奥行き感を感じるし、睡蓮が浮かんで見える。この絵は階段を2段上がったところで左の角をみるような感じです。額の奥に池が広がるように見えませんか?…うむ、確かに。

私は絵は実はよく分らないんですが、此処に来て2年間、絵を観られる方の様子を見て自分で確かめたり、考えたんです。絵が好きそうな方なら、私なりのポイントをお伝えしてみるんです。結構喜んでもらえて嬉しいんですよ。以前は測量の仕事をしていたせいかも知れませんが、観る方向がなんとなく気になるんです。やっぱり一番奇麗に見える位置が良いでしょう。なので意見はありますが、この空間がとても好きなんです。

警備員さんを前に、目からウロコ状態です。適度に美術をかじった僕は、こんな当たり前で素直な見方をした事は無かった。警備員さんは絵の見方が対峙しようとする西洋的な感じでなく、空間全体で捉えたとても日本的な見方ですよね。と感想を伝えてみると。モネは日本趣味だったからでしょうか。
しばし警備員さんと美術談義となった。学芸員さんからは絶対に聞く事が出来ない、すばらしいレクチュアにごっつ得な気がした。私も大阪ですから、ちょっとでも得したいんです。

モネの見方だけに留まらず、安藤建築の見方まで教えてもらった気がしました。次回は是非に秋頃に来て下さい。新しく出来る新々館はまだでしょうが、絵が変わってますし光がまた違いますよ。既成概念を取り払って、自由に使えば良いのですよ。なんて施主さんに言う自分がすっかり恥ずかしくなってきました。

open! architecture:高島屋東別館・南海ビルディング

イベント好きな親父の案内から、建物公開イベント「オープン・アーキテクチャー」という催しに昨日は参加して来ました。午前中は「高島屋東別館」に、午後からは「南海ビルディング、なんばパークス」を見学させていただいた。この「オープン・アーキテクチャー」は、ヨーロッパで行われるような建物公開のイベントを定着させ、一般の方にもっと建物や建築に関心を持ってもらおうとするグループが主宰しています。「つかい手、つくり手」の普段は聞く事の出来ない話を交えながら、通常は行く所の出来ない場所を案内していただけます。そんなわけで、ひとりで行ってもなかなか撮れない貴重な?写真を撮ることができました。(話し聞きながらの団体行動なので、そんなうまくは撮れませんでしたが。)

高島屋東別館は見かけはひとつのビルの様ですが、大きく3度の増改築を繰り返して1937年に完成しています。(実は未完のようですが。)手の込んだ装飾や造りに当時の設計者鈴木禎次氏のこだわりと関わった方全員の熱意が見られます。映画でしか見る事ができない様な懐かしい世界に戻ったような気さえします。また地階の倉庫は地下鉄の駅と壁一枚で区切られ、列車の音が響きさらに雰囲気が盛り上がりました。

南海ビルディングも再開発で現代的に改修されていますが古いターミナルビルです。1932年建設当時の階段が今も残っているとの事で案内していただきました。防火区画の扉を隔てて「今と昔」が背中合わせになっていることに参加者の皆が驚きます。

今回の建物探訪は、こうしたイベントでしか味わえない体験をさせていただきました。特に関係の方から伺える話は時折裏話もあり、普段携わることがない建物がもっと身近になったような気がします。

日本初・建物公開イベント「オープン・アーキテクチャー」 日本初・建物一斉公開イベント|open! architecture

公人屋敷(くにんやしき):大津市坂本

比叡山延暦寺の門前町坂本にある「公人屋敷」と呼ばれるお屋敷を観てきました。1864年に新築もしくは改築されている棟札が見つかっていることから、おおよそ150年くらいは経っている事になります。公人と言うのは、僧侶でありながら妻帯と名字帯刀を認められた坂本町を治めるお役人と言ったところでしょうか。なので、ここはお役人の家ですから、なかなか立派です
今日はちょっとお天気が悪くて中が暗く、写真が上手に撮れずでした。またいつか改めてご紹介したいと思います。

実はこの坂本で住宅を計画を始めたところ。坂本は見所の多い町なのでしばらく楽しめそうです。

犬島『精錬所』

犬島〜精錬所〜
犬島〜精錬所〜

去年の夏に瀬戸内の犬島に行ったきり触れずままになっていたが、「犬島アートプロジェクト『精錬所』(設計:三分一博志建築設計事務所)」が2010年度 日本建築大賞となったニュースを読んで思い出した。これを機会にほんのちょっとだけご紹介。

この建築が建つ前にも「維新派」の公演を観に来ているので犬島訪問は2回目。精錬所跡地の残る荒々しいままの雰囲気に感動していた記憶が残っていたのだが、今はベネッセが直島に続いて手を入れているため島はずっときれいに整備され、普通な観光スポットに来てしまった感じでちょっとつまらなかった。大賞となった『精錬所』は環境エネルギーのサイクルを利用したエコ建築がひとつの売り。その仕掛けは面白いのだけど、周囲に馴染ませることを意図したデザインは恣意的なところが見え隠れする。嫌いではないけど、なんとなくパビリオン的な印象を受けたのが少しもったいない気もする。もうすこし削ぎ落した表現をしても良かったのではないだろうか。

エラそうな事を書いてしまったが、整備前の崩れそうな煙突の下から見上げた体験の方がどうしても印象的だったのです。新しく何かをした時に、記憶の遺産を乗り越えるのは難しいですね。

白鹿館〜後悔先に建たず〜

白鹿館

自宅近くにある「白鹿館」という昭和の名建築が今まさに無くなろうとしている。80年に渡って操業されてきたビン詰め工場だそうだ。以前、コンクリートと鉄骨の見事な架構が建築雑誌にも紹介されていたのを憶えている。

地元人であるヨメさんに昔から、アンタ建築家やろ、はよせな無くなんで!見学申し込んでや〜!と度々言われていたし(一度は見ておきたいと自分も思っていながら)ヨメさんの忠告を聞き流していたのが悪かった。しばらく前に解体工事の標識と工程の通知が貼ってある。あ。う。こりゃいかん。今朝、通勤に正面を通り過ぎようとしていた時に中からガシャンガッシャン、ガラスの割れる音が聞こえて来るでは無いか。あぁ、もうだめかも。。。手の込んだ正面の造形や時代を思わせるスチールのサッシが朝日に眩しい。

保存を訴える人や、解体前の見学会がそれなりにあった事を今頃になって知った。とても情けない。

いずれこの工場に代わって建ち上がるのは、味も素っ気も無いマンションだろうか?跡地の利用については知り得ないが、歴史・文化に残るものであってほしい。

閑谷学校と shamrock0306一年半振りの訪問

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日曜日。朝7時にスタッフと集合して、岡山の「shamrock0306」訪問に併せて、閑谷学校へ行きました。10年前に行ったときは直島旅行の後の強行軍、夕方しかも雨でした。今回は午前中、しかも秋晴れ。(今年は遅れ気味な様子ですが)紅葉の季節だったこともあり、 9時過ぎに着いたと言うのに駐車場は既に満車に近い状態。大勢の人が観光に来ていました。
閑谷学校は江戸時代に32年もの月日を費やし建築され、世界最古の庶民のための学校だそうです。 圧倒的なスケールのこんな場所で勉強するには、否応無く背筋をのばさなくてはなりませんね。背中が曲がりつつある身としては、時折来た方が良さそうです。

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駐車場脇で売っていた「しょうゆぶっかけソフトクリーム」+「ぜんざいがけ」。なかなか微味でした。。。

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午後から「shamrock0306」へ一年半ぶりの訪問です。到着すると、以前と変わらぬ様子。周りにの宅地はまだ家が建つ様子がなく、建築当時のままの様子で外観が見れました。正面の田圃は青々として、とても爽やかな感じです。施主様ご夫婦も変わらぬ様子でなによりでした。子供たちも成長し、家の中が少し賑やかになった感じがします。2階の筒型の子供部屋がこれからどんな風に変化していくのか、さらに楽しみです。
3時間余りの滞在でしたが、久しぶりに記憶が蘇りました。

道後温泉本館(愛媛県松山市)

Dogo Hot Spring

今年の正月は、ここ2、3年恒例の家族旅行で松山の道後温泉に行ってきました。瀬戸大橋を電車で渡るのも初体験。大晦日の夕方に松山に着いて、路面電車で道後温泉へ。久しぶりに乗った路面電車に大人げなくウキウキして、日も暮れた道後温泉のアーケードのお土産屋さんを眺めつつ旅館に到着。

ゴ〜セ〜な夕食をたらふく食った後もたれた腹をさすりながら、まずは道後温泉本館へ。明治27年に建てられ重要文化財でもあるこの湯殿の中には、又新殿と言う皇族専用浴室があります。今は使われていませんが見学が出来ると言う事で、お風呂に入る前にひと回り。昭和天皇が浸かられたという庵治石の浴室は、石材だけで1億5千万円だそうです。ひえ〜。って感じですが、見た感じはどちらか言えば質素。実際に使われた時にはさらに、桧の板でわざわざ囲われたそう。天皇様が普段桧風呂だったので気を効かせたつもりが、質素倹約に努められる思いからすればいらぬおせっかいだったそうな。と、案内の方がおっしゃってました。
見学の後、プライベート感覚?な霊の湯(たまのゆ)で、ボ〜っとひと息。ちょっと深めの浴槽で、長く浸かるにはちょっと微妙でしたが、落ち着いた雰囲気の浴室でした。
湯から上がった後に、夏目漱石が宿泊したと言う「ぼっちゃんの間」を見学。ここに来て文才の差はご勘弁のほど。障子の隙間から覗ける街並は、当時と違っては想像力で補うしかありません。さすれば、街行く人がタヌキやマドンナに見えぬ事もありませぬ。
元旦の朝、もうひとつの神の湯(かみのゆ)に入りました。こちらは銭湯気分満喫の大浴槽。柱梁の行き交う脱衣場もなかなか風情があります。今時のスーパー銭湯では味わない良さが充分楽しめます。と言う事で、泊まった旅館のお湯には浸からぬまま。

道後温泉を後にちょっとだけ松山巡りをして、今回の正月旅行は終わりです。それにしても、行きの電車からずっと食ってばっかりの2日間。身体がほぐれるより腹がつかれました。

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箕面観光ホテル

HOTEL MINO OSAKA

「みの〜おんせん、スパ〜〜ガ〜デン!」と関西ローカルなコマーシャルソングが耳について離れない人は、関西地区の同年代の方なら大勢いる筈。

子供の頃さんざん聞かされたのだけど、このスパーガーデンに行った事が実は無かった。とは言え箕面には紅葉狩りに数回は行っているのだけど、こんなどでかい施設が山の中にあるとはつゆ知らず、想像さえもしていなかったのです。たまたま、今進めている現場の近く。今になって山の上にそそり立つホテルの存在に気がつき。一回覗いてみようと思っていた。そんな矢先、この箕面観光ホテルが建築家・坂倉準三の作品だと言う事を知り、現場帰りに早速行ってみたのです。坂倉氏は既に亡くなられていますが、東京帝国大学を出てフランスに渡り、ル・コルビジェの元で修行し日本に戻ってからは日本のモダニズム建築を牽引する建築家の一人として活躍されました。そんな訳で見に行かない訳にはいかなくなりました。

近づいてみると、ひえ〜。久しぶりに圧倒する「大」建築に興奮しました。うわ、スゴ、ナニコレ?と、想像を遥かに越えたスケールにビックリ。古い何処かの市庁舎にも似た外観は、柱梁を強調し日本のイメージを表現した当時のモダニズムの流れでしょうか。山間から見る様子は、京都清水寺を思わせるような気がします。展望エレベータもスゴい。阪急百貨店メンズ館(ナビオ阪急)のシースルーエレベーターなんか目じゃないって感じです。

これは一度、温泉浸かりにお泊まりに来ないといけませんね。

HOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKA

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HOTEL MINO OSAKA

西宮砲台の中を見てきました。

Nishinomiya battery

昨日、秋分の日は、自宅そばの香櫨園浜の浜辺でイベント「海辺のひろっぱフェスタ」が催されていました。自宅の窓からも写真の西宮砲台が垣間見れるのですが、この日はイベントの一環として砲台のガイドツアーがあり、中に入る事が出来るので行ってきました。

幕末動乱の最中アメリカ・ロシアなどの軍艦の来航から大阪湾防備のために設けた砲台だそうです。国指定の史跡になっています。
外壁は漆喰塗りですが、基本の構造は石積みです(ひとつひとつはかなりデカい)。昭和になって内部から鉄骨の補強工事がなされていますが、崩れる危険性もあるかもしれないので外周にはフェンスが張られ、普段は側に近寄る事ができません。積み上げられた石は、花崗岩が使われていますが残念ながら神戸の御影石ではありません。神戸山手の石切場から切り出した石を運ぶには無理があり、岡山のナントカ島(失念…)から瀬戸内海を渡ってイカダで運んだそうです。
浜辺の砂地に建築するにあたって、石積みの砲台が砂浜に沈まない様にするため当時の技術者は1200〜1500本の松杭(3〜5M)を砂浜に埋込むことしました。という事は、今もこの砲台は松杭の上に建っていると言うコト。ヨメさんに腐らんのか?と聞かれましたが、土に埋もれて空気に触れないから直ぐには腐らんのだろう、と適当に答えてしまったが、如何に?ネットで調べてみたら、適当に言った事は間違いなさそうで水に漬かった松は腐敗しないそうです。古ビルの解体現場から45年前の松杭が青々と出て来たとか、80年前の松杭が出て来たとか、ベネチアの待ちは干潟に数十万、数百万本という松杭で築かれた街だとかの記事が出てきました。そうだったんだ〜スゴいですね。現在も使用される工法の様で、こんな事を書いているのが実はお恥ずかしい。

ところでこの砲台、換気設備が整っておらず試射をしたところ内部に硝煙が立ち込め、とてもじゃないが兵隊さんはいられない状態だったそうです。伺ったお話では実際に使用を考えていたと言うよりも、軍事施設があるぞ!と言う威嚇のためだったのだろう。と。それにしてはエラいものを作ったものです。大砲を突き出しそうな窓は2階あたり、木造の床が組まれていたようです。が、人力で持ち上げるしかないので、大した大砲が装備された訳でもないそう。中心には防火用の井戸が掘られているそうですが、使われた形跡もないそう。話を伺えば伺う程、西宮砲台に悲哀を感じてきました。しかも、火災に遭い内部は消失。なので、写真の通りガランドウな訳です。和田岬砲台と言う砲台が、三菱重工神戸造船所の構内に残っているので、コチラは内部が現存しているおかげで比較推測できるそうです。

ところで砲台という施設はこの建造物だけを差すのでは無く、周囲を囲む土手を含めた全体を言います。(下の画像参照)西宮砲台はこの土手の一部が残っています。そして、砲台のある場所を台場と呼び、全国には百をこえる台場と付く地名が実はあるそうです。東京のお台場は幕府に敬意を払った地名として御台場という事。

ちょっとお勉強になった秋のイベント参加でした。それにしてもお話をしていただいた西宮郷土資料館の館長さんは、メモ無しに、途切れる事無く30分ぐらいお話されていました。次から次に伺った話はどこも面白く、右から左に流れ出てしまったのが、ああ勿体ない。来年もあれば、もう一度聞きたいぐらいでした。

Nishinomiya batteryNishinomiya batteryNishinomiya batteryNishinomiya batteryNishinomiya batteryNishinomiya battery

Nishinomiya battery

その他にも写真あります。
Nishinomiya battery

慈光院

奈良へ行った帰りに、ちょっと寄り道して慈光院まで。
このお寺には、これで4〜5回来ています。
とは言え何年か振り。
この地の大名でもあった石州という茶人の建てたお寺で、
荘厳な寺院と言うよりも茶室の風情が漂っています。
参拝料を払えば、お茶と茶菓子がもらえるから、という訳でなく、
なぜか落ち着ける好きな場所の一つです。
平日なので人気もなく、赤い毛氈の敷かれた広間に一人座れました。
パノラマに見える借景の中に白いビルが見えてしまうのは致し方無しとしても、
勇壮に広がる庭を前に、贅沢な時間が過ごせます。
が、来る直前に掛かって来た電話で余韻はそこそこ、駆け足で現場へ。
ひと時でしたが気持ちが広がった気がします。

慈光院

苔庭:唐招提寺

lichen

今日は少〜し早起きをして、朝から下道を使って奈良まで。
昨日のエントリの通り申請の提出に行き、無事受け付けてもらえた。
後は無事に審査の降りるを待つのみ。
ひと息つけたので、そのまま帰るのはなんだか勿体ない。
道路地図を拡げてみたら、唐招提寺が最初に目についた。ココにしよう。
到着して大門に立つと、向こうにシルバーの折半にスッポリ覆われた金堂が見える。
あ〜そう言えば、しばらく前に平成の大改修を様子をテレビの特番で観ていた事を思い出す。
まあいいか、と拝観料を払ってしばし散策へ。
平日だから人気も少ない。暑くもなく木漏れ日がいい感じ。
昔遠足だかなんだかで、きっと来た事がある筈だけどまるっきり思い出せず、
はじめて来た様な新鮮さに、これは喜んで良いのか?
そんな事を考えながら、一番奥の鑑真和上御廟に辿り着いたら、
手入れの行き届いた苔庭に、一筋の光が差す様子にちょっと感動した。
今日一番の収穫。

殿様の御殿

見積中の現場近くに、勝山町という城下町があります。
昨日打ち合わせ前に、その町並みから外れた場所にある
「椎ノ木御殿」と呼ばれる勝山城主の住居を覗いてきました。

明治2年に建てられたそうですが、15年程前まで使われていたそうです。
ですがガラスの建具も無く、障子と雨戸の開口。
雪も積もるこの地では、軟弱な私にはとても住めたものではありません。
なので、庭の手入れをしている方に尋ねてみると、
実際には、今は駐車場になっている裏にあたる場所に、
小さな家を建てて住まわれていたと教えて頂きました。少し安心。
それにしても、その昔の姿のまま残っていることに感心しきりです。
街道にはまだまだ見所があって、思わぬ収穫をした気分でした。
写真の続きは。

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ミホ・ミュージアム

GWの最後に少しだけブログ。
昨日は、MIHO MUSEUM に行ってきました。
山の中にあるので、小さな美術館を想像していたら、トンデモナイ。
おかげで、ほぼ一日この美術館に費やしてしまった次第です。
下調べの無さが原因なだけですが。

ミホ・ミュージアム

ミホ・ミュージアムはI.M.ペイという世界的に著名な建築家が建てた、
某宗教団体が運営する世界の古美術を中心とした美術館です。
だからと言って良いものか、よくぞこれだけのものが集まった。(集めた?)
朝10時半には着いて、結局美術館を後にしたのが午後4時。
中にある喫茶店で昼食を取ったものの、(結構イケマス)
最後には膝がガクガクとヘトヘトになりましたが、
展示品には見飽きないだけの内容がありました。
建物もアプローチから始まって、ずっとスケールが大きく、一見の価値有りです。

GWは終わりますが、オススメ美術館でした。
圧倒されてあまり写真を撮れていませんが、少しだけご紹介
続きはミホ・ミュージアムのサイトのギャラリーで。

織田廣喜ミュージアム


織田廣喜ミュージアムに行きました。
安藤忠雄設計の弧を描く小さな美術館。人工照明は無く日が暮れると閉館する。
外円の弧に沿った床から天井までの曇りガラスの廊下、
対称に内円に沿った曇りガラスの天窓の展示室。
一旦建物に入ると一番奥にある休憩場所まで外を見る事は無い。
曇り空であったが穏やかな光が空気の様に身体を包み、
人気の無い空間にゆったりした流れを感じさせる。
故織田廣喜氏の朝に昇れば絵を描き夕に暮れれば寝る。
その生活観に呼応した安藤さんの答え。

下調べ無しに行くと館はテーマパークの中にあり、
入園料と入館料を二重取り?されたけど、元は取れた気がした。
気を良くして、帰りに少しタカゲなそば家に入った。
元が取れた程では無かった。