展覧会「聖林寺十一面観音」

撮影可の、なら仏像館「金峯山寺仁王門 金剛力士立像」

 日曜日、奈良国立博物館まで終了間近の聖林寺十一面観音像展を観に行きました。コロナ禍になって初めてのイベントらしいお出かけです。しばらく、せいぜい近場の映画館ぐらいでした。

 薄暗い展示室に入ると、僅かな明かりにぼんやりと浮かび上がる荘厳な菩薩の数々。一堂に観せていただける展覧会は、ひとつひとつのお寺参りとはまた違った贅沢な感じがします。
 ただ欲を言えば、もう少し明るくして欲しかった。いろいろ制約もあるでしょうが、お堂の暗がりの中で拝むのとなんら変わらず、実のところヨ〜見えんかったのです。せっかく博物館へ観に来たのだから、もう少しジックリと観察してみたいところ。ワタクシ的には残念な気がしてなりません。
 結局、嫁さんと共に一番気に入って見入ったのは菩薩像でなく、大国主大神立像という70センチほどの小振りな木像。少々おとぼけたエエ感じな大黒天さんに心が緩む気がしました。

 観音像展の他、東大寺二月堂の「お水取り」の紹介展覧会。収蔵品修復を紹介した展覧会。それぞれ見ごたえ充分な内容があり、一日楽しめる行楽です。

 最後の駄目押しは、隣接のなら仏像館。これでもか!と言うほどに仏像が並んでいます。すでにお疲れモードでしたが、数ある仏像を見て廻ると案外楽しい。

 そうすると、小さな像になるほど親しみやすくデフォルメされた姿をしていることに気がつきました。仏像と言えど、漫画やアニメのキャラクターとまるで変わりません。ストラップにしてぶら下げたい気さえしてきます。さまざまな畏怖を身近なものへ変換する日本人独特な表現力は、万物自然の畏れを現す神さん、人の世の畏れを現す仏さん、とのうまい付き合い方から生まれたのでしょうか? 似たものはあっても他国のそれとは違って見えるのです。
 そう思い始めると、リアルな十一面観音さんもジャンルこそ違え例外でなくなって来ます。怖面の金剛力士立像も、どことなくスットンキョーで愛らしくさえ思えてきます。

 オタク文化は今に始まったことでは無く、長い年月を掛けて培った日本人の感性なのだ。と勝手な夢想に浸った一日となりました。

撮影可の、なら仏像館「金峯山寺仁王門 金剛力士立像」

見学会「農業研究開発センター・なら食と農の魅力創造国際大学校」

1週間ほど前、大規模木造の完成見学会に行って来ました。奈良県桜井市に完成した「農業研究開発センター・なら食と農の魅力創造国際大学校」というところです。主催は、こうした大規模木構造を多く手がけるSMB建材株式会社さんで、1時間ばかりの説明会付き。同日に3回あり参加したのは夕方の最後の回ですが、大勢の方が来られていました。

交流サロン棟

農業研究開発センター・なら食と農の魅力創造国際大学校
交流サロン棟

見学会メインの建物。楕円形平面の2階建て、延べ床面積 1351㎡ あるそうです。中心にある円形の越屋根(飛び出た屋根部分)が特徴的です。構造に使われているのは国産の唐松集成材。その他奈良県産杉集成材、ひのきなどが使われているようです。

現場管理棟や本館

研究農場に並列したこの現場管理棟は棟の使用上、外部に向かっての開口部が多いため、耐力壁の配置が難しかったそうです。家形なので、円形のサロン棟より木造らしさが素直に感じます。また、現場管理棟とサロン棟の間にある本館はRC造ですが、木ルーバーを外部に使うなどで、積極的に木質化をされています。

保育所に携わる機会もあって、大型の木造園舎などこうした大規模木造には興味があります。雑誌やネットで見かける海外物件にはカッコいいものもありますが、なかなか実際に見る機会がありません。

そんな気持ちでやって来た訳ですが、説明会の際にRC造ぐらいの予算が必要とお話しがあり、補助金の利用や、公共事業でのスケジュール管理がなかなか簡単ではなさそうな話を聞くと、安易に手出しできないこともよく分かりました。防耐火などの法的規制も含め、古来からある大きなお寺や神社を継承しながらの大規模木造や、木造住宅のような木の良さを全面に押し出した大規模木造が身近になるには、まだしばらくハードルが高そうな気がします。

ですが、さらに洗練され日本の建築文化のひとつとして中規模や大規模の木構造建築が時を経ていまに根付くことができれば、衰退する林業の再生、放置された人工林の地滑り災害予防、二酸化炭素の削減など未来の社会や環境に大きく繋がるのでしょう。
自分がそんなひと役になれるかどうかは時の運として、こうした見学会や勉強会に参加する機会はできるだけ作りたいなと思うこの頃です。

それはそれで見学会中、荒川弘の漫画「銀の匙」をニヤニヤ想像してしまったのは、僕だけだったでしょうか。( アニメしか見てないのですが。。。)

久しぶりの慈光院

慈光院

久しぶりの投稿です。今年こそは、こまめにアップしようと年始に書いておきながら、前の投稿から2週間以上が経っています。気がついたら2月になってしまいました。どうにも落ち着きない日々を過ごしている感じがしています。仕事がと言うよりも、自分が。今日は、奈良の住まいでプチリフォームの相談を昨年末に受けていたのですが、その下見を午前中に済ませた後、都合いいいい訳で落ち着きを取り戻そうと、慈光院に行ってきました。

この慈光院がなんか好きで、もう5〜6度か来ています。どうでも良いのですが、久しぶりに来たら拝観料が上がっているような気がしました。石州ゆかりの慈光院は、お寺と言ってもほぼ茶室のようなところ。書院の座敷に庭を眺めながら座を陣取り、菓子を頂きながらお茶を啜って、ひと呼吸。土曜日と言ってもこの時期ですから人気は少なくて良いのです。低く抑えられた天井と鴨居。水平に拡がる借景が、なんと言うか落ち着きます。しばらくじっと。席を移して、違う空気を楽しみ、またじっと。

さらにどうでも良い個人的な印象ですが、同じ参拝でも、お寺は一度行くと「もう行った」気分になり、神社は時間を置くと「また行きたい」気分になります。慈光院はお寺ですが、何度も来ています。と言って神社ではありません。ここの空気が、なんか好きなだけです。
割引の回数チケットがあれば、きっと買うかもしれません。

慈光院2

曽爾の獅子舞とススキの高原

夏の終わりから何がと言うわけでなくせわしなく、スッカリ篭りっぱなしの毎日でした。ようやくこの日曜日は、久しぶりに行楽を楽しみました。予定外のハプニングもあり、満足度120%です。二日経った今も脚が痛いです。

高原一杯に青々としたススキのたなびく様子がテレビに映し出されたのは、その夏の終わりの事でした。曽爾高原と紹介されていました。行ってみたいな~と思うその時は時間が取れず、悔し紛れに時折ネットで調べていたところ、高原のある曽爾村の獅子舞が奈良の伝統芸能として紹介されているのを見つけました。その秋の催しが良いタイミング、夫婦共々併せて行ったわけです。

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と言うものの獅子舞の催しは朝8時から。ひ弱な夫婦は早起きする気力が足らず、なんとか9時に到着。石段の上、境内から囃子の音が聞こえてきます。上がってみると、大勢の人が取り囲む輪の中に、派手な色の着物姿の踊り子?がチラホラ。プリントされた演目次第をいただいて見てみると、ちょうど中盤のようでした。
歴史も古く演目の豊富さもあり、奈良の無形文化財にも指定されているとだけ分かっていましたが、あまり情報がなく、正直よく分からずままやってきました。早よ終わってたらどうしようもありませんが、後半が十分あるようです。親切に、獅子舞に関する解説のプリントもちゃんと用意されていました。
プリントを拝見すると、舞は体系的に6種類ぐらいに分かれます。それを村の3つの地域が保存をしているとのこと。記録では280年以上も前から続いているとあります。また曲芸的な要素も強いことが特徴のひとつのようです。
獅子、天狗、道化と観客を引き込み大勢が入り乱れながらの踊りや、獅子のみの厳かな舞、アクロバットな曲芸。幅広い芸能なのだと知りました。

獅子舞と言うと、正直なところ祭りの添え物的なイメージがありました。ですが、後半の演目を拝見しただけでも舞の表現の豊かさに驚きます。そして、獅子舞を守り、受け継ぐ地元の大人と子供、それを応援し暖かく見守っている村の人々。鎮守の森に囲まれた境内の中で、さわやかな一体感がなによりも印象的でした。

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獅子舞はお昼に終わり、当初目的の曽爾高原に向かいました。休日かつ快晴、観光客が一杯です。高原に着く少し手前の休憩所に車を停めて食事。そこから30分程の自然道を歩いて、パノラマに拡がるススキの原っぱに到着しました。
言葉寂しい表現ですが、テレビで観たままに素晴らしい眺めです!。

曽爾高原のススキの群生が自然のものか人口のものか分からずいますが、この地域の茅葺き屋根の材料として使われていたようです。今は使用が減ったため一時は杉が植林され、そのまま放っておくと杉山に変わってしまいます。美しい風景を残そうと、春先には山焼きをするなどしながら地元の人々によって守られてきました。
と言うよりも、茅葺きの主な材料はススキだったのですね。恥ずかしながら知りませんでした。なんとなく「カヤ」って呼び名の植物があるのかとさえ思ってました。

実はハイキング気分で来たのですが、高原と言いながらもしっかり山。日頃運動不足な身には、十分な登山です。中腹になる亀山峠を回った一周コースで満喫気分だったのですが、ここで思わぬハプニングに遭遇しました。

その亀山峠でひと休み中、ご主人の肩に掴まる脚を挫かれた様子のご夫人がいらしたのですが、しばらくすると救急隊員の方々が4〜5人担架を抱えて下から登ってきました。にわかに周りが物々しくなり、隊員の一人がトランシーバーで現在地を伝えている様子。横ではご夫人を担架に寝かせつけている。
さらに風速を伝える隊員の声。もしかしたら?と思ったら、やはり、救急ヘリが直に出動してくると隊員から伝えられ、危ないからと少し離れたところまで降りるように言われました。それから20分程でしょうか。北側の空からヘリがやってきました。現場上空で停止するヘリから、さらにロープを使って隊員が降りてきます。ヘリの風でススキが空高く舞散っています。またしばらくすると、ご夫人を乗せられた担架がロープで引き上げられヘリに収容されていきました。いや〜ビックリ。ご夫人には申し訳ないですが、すっかり見入ってしまいました。
山裾には救急車と消防車が見えます。ススキ野原で視界は良好ですが、山道は意外に勾配があります。人一人降ろすのも簡単な話では無いのでしょうね。

興奮気味に意気揚々と下山するとすっかり暗くなっていました。休憩所の饅頭屋さんが気になっていたのですが、あ〜閉まってます。残念。

秋晴れのなか、充実した一日になりました。

最後に、曽爾の獅子舞(動画)を少しご紹介。

人と木 〜 坂口製材所「吉野サロン」を訪ねて

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昨日は、桜ではなく杉?を見に行きました。とても活動的な製材所があるから見に来てください。設計仲間からのお誘いを受けて、日帰りハイキング気分で奈良県吉野まで。お天気も良く久しぶりに行楽気分を味わってきました。

伺った先は、吉野で天然乾燥の杉材を中心に取り扱かう坂口製材所さんが、敷地内で地域にも開放している「吉野サロン」と、隣接するモデルハウス「吉野STYLE」です。それぞれに違った印象を持ちながらも、木の家の良さをとても心地よく表現された住まいになっています。坂口さんは、此処を基点に大阪方面や名古屋方面の建築家さんや工務店さんとネットワークを活発に組み、少しでも広く吉野の材の良さを知ってもらい、もっと身近に使ってもらいたい、と地元製材業にとどまらず、販促事業にも率先した活動をされています。3時間近く話にお付き合い頂きましたが、「木は余すところなくすべてを使い切る事ができる。でなければ木に申し訳ない」その熱い思いが視線からヒシヒシ伝わるといった印象でした。

自分自身は、木造の物件が増えて来たこともあって、徐々に「木」そのものに興味を持ち出したところぐらいです。特に始めの頃はデザインアイテムとしての「木」でしかありあません。色味のイメージだけで選んでいたと言っても過言でありません。正直なところ、今でさえ製材され仕上がった木を見て材種を答えられるのはわずかでしょう。(ヘタすれば0点かも。。。)それでも、現場に塗装の予定で据えられた材が時には美しく、時には迫力があり、色を塗る事に躊躇する事はしばしばありました。たまたまな機会で少し木の事を勉強しはじめ、もっと思慮深くなければ、坂口さん風に「木に失礼」になると、ようやく分からないなり悩むようになったところです。

吉野の清々し空気に触れ、ちょっとした癒しのひととき(人と木)を過ごし、近頃は出不精になっていた自分への良い活性剤にもなりました。

阪口製材所 | 吉野サロン・吉野STYLE

* * *

話は逸れますが、先日の地震には驚かされました。18年経った阪神大震災を思い起こす揺れに、布団の中で暗闇に眼を見開き、さすが身が縮まった思いがしました。その日の夜と翌日の夜、震源に近い洲本市でお世話になった施主さんや工務店さんに、安否の連絡を取り、みなさんが怪我無く無事でまずはひと安心ししたところです。
そして、今回の地震は知られていなかった断層が原因とのニュース。地震に対する備えは設計のなかでも、ますます必然になってきたと感じてしまいます。

斑鳩の思い出の小川

ヨメさんと初詣に行った4日。奈良・慈光院へ行きたくなって、その道中のこと。車で法隆寺インターを降りると斑鳩町になります。小学校の前半をココで過ごしました。住んでた辺りに行ってみる?とヨメさん誘って、そのまま望郷の旅に。。。

その当時の住まいの近く関西本線(現・大和路線)の北側に平行して走る小川があります。この小川に、小学生のころランドセルを流してしまいました。確か新学期になって真新し教科書が詰まっていた筈です。その頃まだ写真のような堤防ではなく、土手になって川まで降りる事も難しくありませんでした。悪ガキだった友達3人と橋のない所をわざわざ渡ろうとしていました。その一人一番体格の良かった友達が、僕のランドセルを向こう岸まで放り投げてくれる筈が。。。ズルズル。ボチャン。。慌てた友達は拾おうとしてくれましたが、意外と流れが早く、流れる僕のランドセルを3人で見送るハメになってしまった訳です。

あっけらかんと手ぶらのまま帰った僕は、もちろんお叱りを受けたわけですが、なんとその晩に、友人のお母さんが川を下ってランドセルを探し出し、引き揚げてくれたのです。ずぶぬれになってくしゃくしゃの教科書を僕はしばらく、反省そこそこ自慢気に開いていたのですから、今考えるとお恥ずかしい限り。

別な折この小川で、大量のザリガニを救って持ち帰った記憶、その他いろいろ思い出が詰まっています。。。僕には良き思い出も、母親にはかなわん思い出の原因であったことでしょう。

奥の千本

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しばらく前から吉野の桜を見に行ってみたいと思っていた矢先、
NHKの番組で、吉野の桜が危機的状況にあるのを知りました。

かんさい熱視線 サクラに何が起きているか ~吉野山からの報告~
全国有数の桜の名所「吉野山」。その桜に異変が起きている。病気や寄生植物に冒され、立ち枯れてしまう木が、ここ数年急増しているのだ。

近年の気候変動の為に桜の成長過程と雨の降る時期が合わなくなり、土壌に残る余分な水分が原因で細菌が桜を浸食するのだそうです。
そう聞くとますます行っておかないと思い、日曜日、吉野まで出かけました。
電車で近鉄吉野まで2時間半、着いてみると大勢の人で賑わっています。
吉野の桜は山脈に沿って、下の千本、中の千本、上の千本、奥の千本と三万本の桜が大きく4つのエリアに分かれています。奥に行くに従い高度があり開花時期が遅くなります。
日曜日は最後の奥の千本の満開手前でした。なので、駅からさらにバス2本を乗り継ぎ、ようやく目的地近くまで。
下調べが全く足りませんでした。バスを降りれば桜に囲まれると思いきや、そこから険しい山登り。吉野は全国の桜の名所とは違って、山岳宗教や密教に結びついた信仰の桜として自然の中に保護されています。
ハイキングコース程度の山道と言え、前日の雨で道はほとんどヌカルミ。同じ様に知らずに来たと見られるパンプスで歩くお母さんにとっては、最悪の状態でした。
30分程歩いて目的の「奥の千本」に到着。
五〜七分咲きぐらいでしょうか。色の淡いシロヤマザクラが山波の中に咲き乱れていました。
雄大な風景の中に咲く様は今まで見た名所の桜とは全く違いました。満開のタイミングで来たかったです。
(ちなみに吉野桜情報だと今日はもう「散り始め」の様です。)
先の番組では、地元の有志の方たちが吉野桜の保全に乗り出したところ。1300年になる自然と人で造り上げたこの景観をどうすれば守れるのか。
ひとつでも出来る事をしておかないと、後悔しそうな気がします。

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