枚方宿(ひらかたしゅく)

くらわんか船
くらわんか船

小学生の頃の一時期、「東海道中膝栗毛」が愛読書のひとつでした。毎週、読書の時間があったのですが、図書館に行く度この本しか手に取らなかったのです。その割にすっかりお話は忘れていますが、弥次さん北さんの繰り広げる顛末が気になって仕方がなかったのだと思います。

先日のすまいをトークで、はじめてその東海道が「五十三次」ではなく「五十七次」である事を知りました。太陽系の星がひとつ増えたような驚きですが、表題の「枚方宿」は五十六次。江戸から京都を目指すと五十三次になり、その先大阪まで目指すと間に四つの宿場町があり五十七次となるのだそうです。今回はこの枚方宿の町並みを見学。

宿場町であった街道沿い約1.5キロ程の地区が町並み保存として整備されています。また、この枚方宿を紹介する中心的施設として、当時の様子を残し文化財に指定されている旅館・鍵屋があります。
鍵屋は淀川沿いに位置し船待ちの宿として栄えました。枚方・高槻は淀川の往来を拠点に、名物「くらわんか船」が産まれました。京都と大阪を結ぶ三十石船に近づき「飯くらわんか、酒くらわんか、銭がないからようくらわんか」と口の悪さが風物詩となり、商魂逞しく乗客を引き止め繁昌していったそうです。地理的に見ても中継地点として抜群な立地であった訳です。鍵屋資料館ではそんな様子を、模型や映像を使って詳細に紹介されています。その他周辺にも当時をしのばせる建物や民家が多く見られます。

半日で見て回るには駆け足気味な見学会でしたが、もし当時に生きていたとすれば「くらわんか船」の様子は見てみたかったものです。帰りは京阪電車で本日開通の中之島線に乗り中之島駅を通って帰りました。この線の開通でまた大阪の町並みが変わるのでしょうね。今も昔も交通を拠点に街が形成される事は同じです。新しい名物がまた産まれるかもしれません。

 

すまいをトーク「木造住宅の構造入門・耐震診断」〜耐震診断に思うこと〜

構造金物
構造金物

昨晩は、すまいをトークで「木造住宅の構造入門・耐震診断」というテーマの座学を聴きに行きました。

講義の内容とは話がずれますが、他の設計事務所(もしくは施工業者)が設計または建設した住宅を診断するというのは、個人的には正直躊躇します。昔、一度だけ建売住宅の構造が適正かどうか診て欲しいと頼まれたことがあります。知人の話で断れずに行った訳ですが、一見すると正直怪しい。大阪の街中にはありがちですが、間口が狭く奥に深い住宅でした。耐力壁をしっかり取ろうとすれば、窓が小さくなり法的に必要な採光が取れなかったのでしょう。そんな住宅が並んでいました。見に行かせてもらった一軒でなく、その連なり並ぶ住宅の住民が皆不信感を抱いていたのです。事務所に帰って耐力壁の具合を念のため確認すれど、間違いなく確保できているる筈も無く。そのまま伝えるしかありませんでした。自分が設計した訳でもないですが、なんとなく気まずい。正すべき事は伝えるべきでしょうが、他の方の設計(施工)にケチをつけるようなもの。なので、そうした話は正直敬遠してしまいます。しかもまだ経験の浅い時期でしたから、自身の判断をどこまで伝えるべきかさえも悩んでしまいます。

講座はもちろんそんな話ではありません。一般的な木構造の話から、構造的な法規制前の住宅における耐震補強についての行政の取り組みや制度、耐震診断ソフトの実演など、短い時間の中でそれらの概要をお話されました。中でも耐震ソフトでのシュミレーションはヴァーチャルな感覚と言え説得力がありました。仕事柄、やはり興味を惹かれます。

経験の浅い私でも、木造は構造的に一番判断のしにくいものである事だけはよくよく感じています。シュミレーションは数値的にソフトが判断し崩落の様子を再現してくれるのですが、それが全てでないとも思えます。それを覆す必要はもちろんないのですが、自分の考えの中で構造の安全を判断するのはまだまだ遠い道のりがあるように思えてなりません。木構造は古来から継承され発展してきたものです。現代的な鉄骨構造やコンクリート構造と違い、今もって確立した構造理論はあるようでないと言えます。金物でがんじがらめにされる今の法規制はその過程にあるのかもしれませんが、それだけ木構造は複雑で奥の深いものです。これだけは、ただただ、経験を積み勉強するしか無いのでしょうね。精進です。

ところで、ブログで書いた「すまいをトーク」のいくつか記事が会のレジュメに挟まれて配布されました。後で読み返してみると乱筆乱文やら、語尾がおかしいやら、お恥ずかしい。推敲もそこそこに載せてしまっていますので、会に来られて真面目に読まれた方には申し訳ないばかり。お許し下さい。文章もまた、ただただ精進が必要です。

大和ハウス工業総合技術研究所

大和ハウス工業総合技術研究所

大和ハウス工業総合技術研究所
大和ハウス工業総合技術研究所

大和ハウス工業総合技術研究所を見学に行ってきました。弱小な設計事務所を営む身としては、敵陣視察。(相手にされてない、と言う話もありますが。。。)

敵陣に着いて、まず案内されたのはシアタールーム。大和ハウス創業者である石橋信夫氏の功績を紹介する20分ほどの映像を拝見。これまで全く知りませんでしたが、軽量鉄骨やプレハブの基礎を築いたのは大和ハウスだったのですね。1950年大型台風によって関東の家屋は甚大な被害を受けました。しかし竹林の竹が倒れていない事に着目し、鉄パイプによる工業化パイプハウス「大和式組立パイプハウス」を考案したのが始まりだそうです。

併設されているミュージアムにその「パイプハウス」が展示されていました。運動会で見る様なパイプ式テントのテントの替わりにトタン板を貼ったような雰囲気です。ギミックな感じで個人的にはかなりインパクトを受けました(結構カッチョよい)。展示室に奇麗に展示されているので貧相な印象は受けませんが、今となると野原に建っていれば物置小屋ぐらいにしか見えないかもしれませんね。展示のものは状態の良い現存品を移築したものと思われ、へこみや傷跡が生々しく感じます。しかしシルバーの金属板で囲まれた外観は、現代的な印象も無くはありません。子供の頃なら是が非でも基地にしたい感じです。

そしてパイプハウスの販売から4年後、勉強部屋の無い子供たちのためにと開発されたのが、3時間で建てられるという軽量鉄骨による「ミゼットハウス」。デパートで展開されるという販売戦略で瞬く間にブームとなったそうです。「ミゼット」と言えばダイハツの三輪自動車を思い出しますが、ちょうど同じころです。今だと仮設の現場小屋の印象ですが、庭先にこうした小さな小屋が建ててもらえるのは、当時の子供にとっては夢のような事かもしれません。僕自身からすれば、勉強せずにスム部屋かもしれませんが。。。

この後この軽量鉄骨造の技術で住宅建築へ発展していきます。その過程で映し出される映像に懐かしさを感じました。丁度小学校低学年のころ、3〜4年間だけ住んでいた父親の会社の社宅が庭付き平屋の団地だったのですが、映し出される住宅群の様子にとても似ていました。もしかして自分自身大和ハウスに住んでいたのだろうか?と気になっています。
そして映像は、大型建築物、リゾート開発などへも発展して行く様子を描き出し現代に至っていきました。

シアターを出た後は、世界の住宅を模型で展示したミュージアムや石橋信夫記念館など併設される施設を案内されました。

その中のテクニカルギャラリーというコーナーでは、大和ハウスが現代の住宅や建築に生かしている技術を紹介しています。敵陣視察としてはもっとも気になるコーナーです。
まず、耐震構造と免震構造の違い体験をしました。地震体感装置のようなものです。機械の上に設置されたステージが淡路神戸大震災の揺れを再現するようになっています。
まずは耐震構造(地震の力を受けても壊れない頑丈な構造)での揺れを再現。係りの方の指示に従って手すりを握っていましたが、思った以上に揺すられ手すり無しに立てる状態ではありませんでした。 淡路神戸大震災は西宮で実体験しているのですが、その時間は寝ているところを起こされた次第で揺れを立った状態で体験した訳ではありません。起きて体験していれば、このぐらいの揺れを直に感じたのだろうと確かに思えます。
その次に免震構造(地震の力を受け流す構造)での揺れの体験。ステージ下の機械は先と同じ様に動いているのが分かりますが、揺れの伝達はかなり軽減され普通に行動出来る程度になっていました。原理は単純で鉄のボールをお皿2枚で挟んでいるだけですが、急速な衝撃を感じる事はありませんでした。斜めの傾きがない水上のボートに立っているような感覚でした。お皿は微妙な窪みになっていて、揺れが収まると定位置に戻るのだそうです。

その他、断熱構造や遮音構造、交通振動の軽減体感コーナーなどを廻りました。

最後に、研究棟を拝見。実大の熱環境試験室や各種の試験装置の設置された格納庫のような大型の施設です。実際の実験の様子などを見る事ができると良かったのですが、設置されている様子を見学する事が出来ただけでした。実験棟の中の様子も写真に少し撮ってはいるのですが、撮影禁止のマークもあった事なのでここでは加工写真でご容赦のほど。大和ハウス工業総合技術研究所のサイトにいくらか紹介されているので、そちらをご覧下さい。

見学を終え、ひとつひとつの技術は敢えて目新しいと言うものがあった訳ではありません。(本当はあるかも。。。)それよりも、メーカーという巨大企業の強みで実験や検証を繰り返し可能な限り不備の無い安全な商品を世に送り出す。当たり前に思えるそれらを、これだけの施設を使ってきっちりやれる事がやはりスゴい事かも知れないと感じました。個人の設計事務所にはとても太刀打出来ない所です。反面一律的、標準的なものにならざるを得ないでしょうし、中には過剰とも思えなくも無い配慮(あくまで個人的に)になっている様にも思えてなりません。それが、社会の要請なのかもしれませんが。。。
とは言え、全く参考にならなかった訳ではむろんなく、小さな積み重ねで少しでもより良い住まいを作りたい願いはメーカーも個人設計事務所も同じです。ここで勉強になった事はこそこそっとこれからの設計に忍ばせて、巨大な敵に立ち向かいたいと思います。(相手にされない、と言う話ですが。。。)

荒川木工株式会社

荒川木工株式会社
荒川木工株式会社

先週の土曜日はすまいをトーク3回目の参加でした。(前回サボってしまったので、本来4回目)

京阪淀駅からバスで3つ目、天然木のオーダーメイド家具や建具等の製造と販売をされている「荒川木工株式会社」さんの工場を見学させていただきました。当日は職人さんの多くが現場の取付け等に出られていて、実際の作業の様子はあまり拝見できなかったのが少し残念ですが、社長の荒川さんから熱意のこもった説明を聞き、実演を拝見しながら工場を廻らせていただきました。

普段の仕事ではほぼ完成した建具や家具が搬入されるのを見慣れていますが、そうしたアイテムが実際どんなところで、どんな機械や工程で作られているかは意外に見る機会が少ないものです。広い工場は作業台を中心に廻りには、ほぞを掘る角ノミの機械や、建具の小口(横の面)にメラミン化粧板を貼る機械、家具の棚受けのダボ穴開け、フラッシュ(四周枠に両面から面材を貼った建具)のプレス機など、いろいろな機械や道具が並んでいました。若い工員の方が実演される様子を見て、良く出来たものだなと感心します。

また荒川木工所では一般の建具もですが、社長さんの思いもあって天然木の建具や家具の製作に力を入れられています。工場の2階には、銘木が鎮座し材料がたくさん積み上げられていました。

吉村家住宅/寺内町・杉山家住宅

富田林 寺内町
富田林 寺内町

日曜日は、すまいをトーク2回目でした。羽曳野と富田林まで、重要文化財になっている民家と江戸時代の住まいが残る街並を見学に行きました。


羽曳野 吉村家住宅

羽曳野 吉村家住宅(重要文化財) 提灯箱
羽曳野 吉村家住宅(重要文化財) 提灯箱

午前中は羽曳野の吉村家住宅。昭和12年に民家として始めて重要文化財に指定された住まいだそうです。当時は国宝住宅(旧国宝住宅とも呼ばれる)としての指定になります。現地に向かう街並にも古そうな住まいが多く点在していますが、吉村家の門をくぐって始めて見たその外観は、茅葺きの屋根が重く見えず、民家というよりも洗練されたモダンな数寄屋と思えるシャープな印象です。水平に伸びたプロポーションに、思わず恰好いいと呟いてしまいました。納屋・土間、住居、接客のスペースが3分の1ずつ並び、東西に伸びる直線状の間取りになっています。

中に入るとダイナミックな天井の土間に黒漆喰で固められたかまど、宙づりになった使用人部屋があったり、と現代建築にも通じそうな構成が見られます。機能的に使い勝手も考えられた細かな部分が、外観と同じく自分が思う民家と違ったモダンな印象を醸し出していました。


富田林 寺内町・杉山家住宅

富田林 杉山家住宅
富田林 杉山家住宅

午後は、富田林に移動。食事後、寺内町(じないまち)にある杉山家を見学。こちらも重要文化財で、現存する町家のなかで最古のものだそうです。

先に、江戸時代からの古い民家が建ち並ぶ富田林寺内町という街ですが、1560年頃に浄土真宗のお坊さん証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が、庄屋さん8人とともに、戦乱の世で平和な街を作りたいと願い建設されたと言います。その後も幾度かの危機を乗り越え、今もその姿を多く残しています。もちろん、民家の改修は時代とともに行われ江戸・明治・大正・・・の建物が混在し全てが当時のままではありませんが、その様式を伝えようと今も街の方々が大切にされている、街全体が歴史博物館と言えるかもしれません。街の歴史を伝えるボランティアの方々の解説を伺いながら、杉山家住宅の見学の後に散策を楽しみました。

杉山家住宅はこの寺内町を創設した8人衆の内の庄屋さんのお宅になります。寺内町のなかでも一番立派な住まいの様です。こちらも玄関をくぐると太い大黒柱に囲まれた立派な土間になります。造り酒屋をされていた最盛期に70人ほどの使用人がここで当時は、カマヤ(台所)に9連ものかまどが並んでいたそうです。

また与謝野晶子と同人の詩人・石上露子(本名・杉山孝子)の生家でもあり、時代の変遷の中で増改築を繰り返す中、力強い民家風な表から奥へ進むと、洗練された数寄屋風な座敷も備わり、床の間には狩野派の壁画がありと盛りだくさんな住まいです。文化財に指定され改修に当たり石上露子が願って作られたと言う少し洋風な螺旋階段が残されているのも、また多様さを感じさせます。


 

話が戻りますが、初めの吉村家住宅の見学前に、現在の所有者である吉村さんから伺ったいくつかの話がとても印象的です。もちろんその当時もそこに住まわれていました。

文化財に指定された後に改修事業になった際、どのような姿に戻すか専門家方の意見が大きく分かれたそうです。昔の姿に復元するのか。継承されて来た今の姿を修復するのか。長年の生活の中で改修や修繕が進んで行くと建設時の棟梁の意図(設計趣旨)が失われて行く、仮定ではなく検証できる中で建物の原型・オリジナルのデザインに戻す復元こそが本来のあり方だ。という改修担当者の言葉に感銘を受け復元事業へと踏み切ったそうですが、いざ完成してみると、外観こそはスッキリとしたのですが、今まで使っていた住居部分はスッカリ変わってしまい、もうこれは住まいでは無い。ここにはもう住めない。と感じられたそうです。結果吉村さんは、長年住み親しんだこの家から住まいを別に移されたそう。

先日、友人の世界遺産についてのシンポジウムで聞いた話と、少し重なりました。文化財を残すと言う事はとても大切はことに違いありませんが、特にこうした民家など今もまだ実際に住まわれる環境を、昔の姿のまま維持を続けると言う事の難しさが、少し伝わって来た気がします。

最後に、寺内町にある富田林市道6号(城の門筋)は「国土交通省・日本の道100選」に選ばれています。

 

日本民家集落博物館

日本民家集落博物館
日本民家集落博物館

たまたま新聞で見つけ住まい関連の市民講座「すまいをトーク」なるものに、月一回参加することにしました。

今日はその第1回目。「日本民家集落博物館」見学会。
大阪は服部緑地公園内なのでその昔、学校の遠足かなにかできっと来ているはずな気がするのですが、全く思い出せませんでした。
ま、ともかく、大阪の街中に全国各地の12棟の民家が点在している野外博物館です。内、3棟は国の重要文化財。その他もなんらかの文化財指定を受けています。
好天に恵まれ2時間余りの見学会にちょっと疲れましたが、民家に詳しい方の解説を聞きながら順番に見て回り、なかなか勉強になりました。大勢で廻っているので落ち着いて写真は撮れませんでしたが、またゆっくり来てみたい感じです。平日なら、一人で廻れそうなほど空いていました。存分に楽しめそうです。

1950年代まで実際に使われていた民家ばかりだそうですが、たった50年ほど前までにそこで普通に人が暮らしていたと思うと、ちょっとビックリするものもあります。解説の方が言われていましたが、中には家のほとんどが土間の竪穴式住居と言える様な民家もあり、移築後、そこに住まわれていた方の廻りには突如として電化製品に囲まれ生活は一変しているはず。どんな風に感じて今は生活をされているのか、その変わり様に興味を抱かざるを得ません。

館を後にして、現代の大阪の普通の町並みを目にしながら、さてこの将来、ここに保存移築されるような現代の民家があるものだろうか?と感じます。
見学で廻った民家は、それぞれがその土地の風土や生活慣習のなかで時間をかけて技術や様式がゆっくりと発展し、かつ完成することなく改造や改修が繰り返されて根ざして来たものであり、さらにその時間軸のなかで過去のものではありません。その時点においてまさにスタンダードだったはず。ここに移築されているものは立派なものが多いので、どちらか言えばその集落の中で上の階層の家族の住まいかもしれませんが、それでもその周辺、集落においては基準になってくるものでありそうです。

今、自分自身が関わっている住まい。ハウスメーカーによる住まい。さまざまなスタイルの住まいがあるにしても、本質的に風土や環境、生活習慣をベースになったこれらの民家の延長にあるような気がしません。そうあるべきと考える訳でも、それを嘆くものでもありませんが、世界を見渡しても稀に見る四季折々の環境があるこの国に住んでいながら、今の住まい環境は何かを置き忘れたような勿体ない気がしました。
それが何か、答えが見いだせた訳ではありませんが、しばらくこの勉強会を続けて、ひとつぐらい真っ当な意見が言える様にしたいものです。

セミナー「大工棟梁の技と古典建築学」

竹中大工道具館
竹中大工道具館

神戸元町北にある竹中大工道具館の主催するセミナーに行ってきました。興味の湧くセミナーがあれば行く様にしていますが、実はかなり、久しぶり。。。

今回は、「大工棟梁の技と古典建築学」。名工大の先生の講義でした。大工棟梁や日本の建築がどのように後世に伝えられて来たのか。自分が知っていた以上に昔から学問的な体系があったのだと知りました。

師匠から弟子への口伝、見て盗め的な世界が近代まで続いていたのだと勝手に思っていましたが、体系的な(教科書的な)建築技術の文書での伝承は室町末ごろからスタートしているようです。いわゆる秘伝書みたいなところから始まっているようですが、面白かったのは、それが弟子育成のための教科書というよりも、営業目的のポートフォリオみたいな存在にも変遷していくという話です。
もちろん始めは、自分の会得した技術のメモ書きみたいな物から始まっていますが、溜まってくれば整理整頓。折角作ったそれらを、ただ自分や弟子らが見るだけでは勿体ない。今も同じですが、建築の営業をするのに現物を持って歩く訳には行きません。完成物件の見学に現地へ来てもらうのも、お客さんの都合もあるしで、やっぱり大変。なので、写真にしたり図面にして営業ツールにしたくなる訳です。

ウチはこんなスゴい物をしっかりやってるんだぞ。って自慢の書になって、広まって行く。
そして公刊本が産まれる。しかもブランド価値を高めるために、その発生がホントかどうかは別に流派を勝手に名乗る。その時代もナニナニ流、ナンヤラ流とあったようですが、比べるとよ〜分からん違いだったり。

人の考える事は、今も昔も変わらんのだな。別な次元でついつい感心してしまいました。1時間半ぐらいの講義でしたが、眠気も起こらず来て良かったです。道具館に所蔵されている当時の巻物が、講義の為に本日限りの公開もあったオマケ付き。400年も昔の図面が並んでおりました。筆で描かれた図面と言うには、製図ペンで描いたんじゃないの?って思いたくなる精緻な絵です。
ホ〜とか、ハ〜とか、ヘ〜とか、見ている皆さんのため息が聞こえていました。こんな伝承では全くあきまへんが、頭に残っているうちにまたメモっておきます。

西洋でもそうであったように、日本の建築も美術、哲学、数学といった分野と密接な関係を持っていました。大学での西洋建築の講義はそうした関連が強く意識されて、話が展開していたように記憶しますが、今回伺った話で、日本の建築もそうであった事がよく分かります。

数学。日本の建物は西洋のものと違い、柱、梁と言った線で構成されている建築と言っても過言でないと思いますが、随分古い建物でも、きっちり垂直・水平、直角でもって建っています。その点、日本人は古来からきっちりしているみたいです。
ピタゴラスの定理で3・4・5の辺の三角形が直角を生成することは、大工さんたちは経験的に伝わっていますが、正五角形の作り方なんかも、先の秘伝書に紹介されていました。しかもごく身近な方法で。

建築の体系化が進んでいけば、様々な形を種類分け、分類分けしたくなるのは今も昔も変わりません。寺社に見られる跳ね上がった屋根の形状も、幾何学的に分類されていたりします。正直もっと感覚的なものかと思っていました。
一人の棟梁が頭の中の設計図で工事を進めるだけならまだしも、時代が進み請負工事といった組織的な建築工事が発生すると、そうした図面化の必要性がさらに強まります。大勢の人に説明するのに、こんな感じ、そんなぐらいなど、感覚的な説明だけでは伝わりませんし、設計者はどの業者が請け負っても思った物が出来ないと困る訳です。

また工事金額の相見積りをするには、それぞれの請負業者に図面を渡さなくてはなりません。
よって、昔の棟梁は仕事を得るためには数学もできないと金勘定もできない。如何に安く工事が出来る様にするか頭を悩ませるのは、これまた今と全く変わらないわけです。秘伝の教科書には、ちゃんと積算(見積)についても書かれていますし、どれだけの人工(にんく)でどれだけの仕事ができるか、そうした事も記述されているそうです。しかも例題付き。う〜ん、頭が痛い。。。
なので、和算の学者さんが建築設計や工事に関わっているのも当たり前のようですし、複雑な建築様式が発達すれば、数学も伴って発達していったそうです。
建築って、トータルな感覚が本当に必要なんですね。建築道は険しい。

ところで、正五角形の作り方。お分かりになったでしょうか。
初詣でおみくじを引かれる方も多いかと思いますが、大凶なんかが出た日には、真っ先、木の枝なんかに結んで帰りますよね。そこで、きっちりきれいに結ばれたおみくじを思い出して下さい。
その結び目。五角形になっていませんか。言われてみればその通り。講義の最中、ホ〜と感心のため息が漏れてしまいました。

川島織物

今日の午後は京都市左京にある川島織物へ社会見学。
古い染織品の復元について講義を受けたり、
20Mを越す大型の織り機から織られる劇場などに掛る緞帳(ドンチョウ)の製作風景や、
昔ながらの織り機で作られる着物の帯の製作風景などを見学したり、
博物館に展示された織物やその下図を鑑賞してきました。
川島織物と言えば織物業会では大手ですから、実は行くまで、
機械化された工場の風景を見るのだと思っていたのですが、
実際見学した工場は、美術工芸を中心とするまさしく匠の手作業の現場でした。
もちろん一方で機械化された工業製品もあり、先端の技術の紹介も受け、
また一方で、正倉院に納められている古代の美術品の復元作業など、
伝統を守りつつも現代にその技術を生かす巾の広さに驚きました。
凄いもの作りの現場に出会えた気がします。
3時間の見学があっと言う間でした。

辻和金網【京金網】

看板も金網で囲われています
看板も金網で囲われています

京都に金網の伝統工芸があると知った時、正直ピンと来なかったのですが、よくよく考えてみると生活に密着した工芸品が京都には数多くあるので当たり前だったのかも知れません。
地下鉄の烏丸御池の駅から堺町通を北へ少し上がったおおよそ10分ほどのところに「辻和金網」さんのお店があります。周辺はマンションが立ち並びはじめ京都らしさが消えつつある一画ですが、近くには「キンシ正宗・堀野記念館」など酒所もあり、あまり知られていない京都の一面 が見られる界隈です。(地ビールもあったり。。。)

「辻和金網」は創業70年にもなる金網細工の老舗。2代目店主の辻善夫さんは50年になる職人技で茶こしや湯豆腐杓子、水きり網など、料亭から一般 家庭に愛される金網製品を手作りで制作されています。 永年の創意工夫で手作りだからこそできる、丈夫で長もちする生活用品を地道に作り続けられています。
当然オリジナルですから単に商品として規格の物を作るのではなく、持込まれた急須に合わせた茶こしや食器に合わせた水きりなど、板前さんやお客さんの細かな要望にも応え、修理を頻繁に行い、使い捨てでは無い味わいのある道具が生み出されていくのです。


銅やステンレスの細い針金を規則正しく編み上げていくだけ。道具も少なくたったそれだけのことなのですが、思いもよらない美しい造形があります。特に器形の製品は底の中心から花びらの様に編み目が拡がり、万華鏡のように間で継ぐ事も無く上口まで一気に、一本一本の針金が編み上がっています。商品を手にとって思わず見愡れてしまいました。
手にもすごく馴染む感じがし、普段見慣れた機械製品とは違った温もりがあります。

手作業であみ出される幾何学模様
手作業であみ出される幾何学模様
実習まえの実演
実習まえの実演

修学旅行の学生などに体験実習を受け付けるなど、伝統技術を広める努力もされていますが、この日、私も湯豆腐杓子の網掛けをさせて頂きました。
実習前に辻さんのご長男泰宏さんにお手本を見せていただきましたが、手慣れた指さばきで何気なく整然と編み目が出来上がって行きます。いざ挑戦するとそうはいかない、力の入れ具合や気持ちの乱れがそのまま出るかのよう、あらぬ 方へ網目が崩れてしまいます。 出来上がった杓子は自宅の台所に並んでいます。
帰りに茶こしも購入し事務所で使っていますが、とても使いでが良く満足しています。何よりも豊かな感じがします。まだ真新しい光った銅線が、時が経ち味わいのある色となっていくのが楽しみになっています。

店と作業場の様子
店と作業場の様子

 


【案内】
辻和金網
ツジワカナアミ 辻善夫
京都市中京区堺町通夷川下る亀屋町175
TEL:075-231-7368

【参考サイト】
DigiStyle京都
・・・京都情報。ネットショッピングも出来ます。
朝日マリオン・くらしの良品探訪
京都小売商業支援センター

左側は私が編みました
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