思い込み〈木の知識〉

思い込みとは恐ろしく罪なこともあります。本日アマゾンから届いた本をパラパラとめくりながら、あ〜ナンテコッタ。と思うのは僕だけではきっとないハズ。(そう思いたい)

そこには例えば、年輪は南側ほど広い、、、のはウソ。と書いてある。そんな書き方ではありませんが、え、何それ?。山や森で方向を見失った時は切り株を見れば分かると、基本中の基本のようなこのサバイバルの基礎知識を誰に教えてもらったかは定かでないけど、きっとそう習ったハズ。(そう思いたい)
もしそれ(年輪は方向と関係ない)が本当なら、 昔の大工さんは木の生育を見極めて、柱を南には南向きの面を、北には北向きの面を向けて使っていた。といった話は、実はどこまで信憑性があるのだろうと疑ってしまいそうになる。製材されて四角くなってしまった柱を、カンナを掛けてゴロゴロ(でないけど)引き回した木材の年輪以外に何を見ればよいのだろう? 節の様子? 枝の生育も東西南北は関係ない。と書いてある。う〜手触り? いやいやまさか。伐採から製材まで生育方向を管理するなんて、今だろうが、昔だろうがちょっと現実的な気がしない。でもやっぱり昔の大工さんはスゴイと思いたい気持ちも半ば、いったいそうした話はどこから湧き出るのだろう?

思い込みとは少し違うけど、木は生きてるとか呼吸してるとか。これもウソな訳で、木材は科学的、生物的には死んでいる。ケンシロウが言う間も無く、立っている最中からそのほとんどは死んでいるのだ(そうだ)。科学的根拠はともかく、誤解を生むような言葉を自分自身も発している。プロとしてこれはどうか?直接に材木を売る商売をしてる訳ではないが、エンドユーザーに対して噓も方便で済ませられるだろうか?なんだかな、と思い始める。

木材の話だけに限らず、いっぱいいろんなところで、思い込みの知ったかぶりを撒き散らしている気がしてならない。罪をコレ以上積み重ね無いようにするには、盲目的にならずただただ勉強するしかなさそうだ。という前に、まだ読み始め。。。!?

プロでも意外に知らない〈木の知識〉– amazon

TOYOTA Camatte 〜 未来の大人へのデザイン?

「東京おもちゃショー」でトヨタが発表した子供のが乗れる自動車が話題のようです。ネットで見つけて、こりゃかわいい。これ、乗りたいな。と素直に思った。で、併せて懐かしさを感じたのだけど、何故かと思えば、子供の頃にプラモで作ったドイツ軍の軍用車キューベルワーゲンとかにそっくりだからと納得した。そう考え始めるとなぜか不思議な感覚に捕われる。
子供の頃はなんにも考えずに軍事兵器に憧れをもって、プラモを買いあさった。全部作りきれる訳でなくでも、机上の棚につみ上がるプラモの箱を眺めて嬉々としていた。最近ならゲームにしかり、多くの男の子の軍事ものへの興味は今も変わらないだろうし、大人になった今の自分も実のところ嬉々としている。兵器ものの話に詳しい友人の話を、身をのりだして楽しんでしまう。これは、ウラ返せば平和って事なのだろうか。昔のことだと割り切れる自信は自分には無い。。。

もうひとつ思ったことは、なんとなく今の「デザイン」がみな懐古、回帰趣味に偏りすぎているように思えてしまうこと。デザインの流行が循環する事とも違うように思える。映画にしてもリメイク版が多いのとなんら変わらない。ネタ切れと言ってしまうと、同じようにものつくりをしている身としては辛いのだけど、自動車という一番未来を想起させるプロダクトには、次なるデザインを期待をしてしまっている。懐古趣味はマニアなところにとどめておいてほしい気がしてならない。単にあまのじゃくな自分は、右に習えが嫌なだけかもしれませんが。
言うは易しでも、未来の大人向けのデザインが、デザインのリサイクルでは寂しくはないだろうか。違う解答も併せ持っておいて欲しい気がする。

自分の事は棚に置いて書いておきながら、この「Camatte」が公道走れるなら、マジに考えてしまいそう。もはや意志薄弱。

 

「 Artree 」人にあげたくなるアプリ

artree

 

もう半年前になるが、iPod touch を「ポイント」を使ってただ気分で手に入れたのを皮切りに、iPad 2 と Macbook をほぼ同時に揃えた。ただ、CADを描いたりといった実務は PowerPC 旧マックのまま。要は、新しい Intel Mac を買ったもののCADソフトを新しく出来ないままでいる訳です。それでも iPad を手に入れて俄然仕事がしやすくなりました。図面のデータを入れて現場に出たり、カタログで製品を探したりするのもコンピュータをいちいち開くといった煩わしさがなく使えるだけで、どれだけ労働が軽減された事か。

昨日に友人が来てPC談義になった。その彼は Windows を使っているが、iPad を使い始めてその使い勝手の良さにMac に乗り換えようかどうか悩んでいる。データをやり取りする周囲の皆は無論 Windows で、なにを今更と冷たい視線らしい。ただ彼は、Windows であっても使っているソフトのアップグレードに高額を払うのも癪だし、こんな仕事してるんだから道具はカッコいいほうがイイに決まっている。と。

単純だけど、本当にそれは正しいと思う。それだけで、どことなくテンションもあがる。もちろん Mac にすればすべてが解決される訳でもなんでもなく道は険しい。あくまで道具だから、自分が使いやすいようにアプリを揃えたりカスタマイズするのが実は一番大変。でもそうすれば、それこそ iPad ひとつで仕事ができそうに思えてならないから、故スティーブ・ジョブズを本当にすごいと思える。

脈絡はないけど、つい最近見つけていれたアプリがお気に入り。人にプレゼントしたくなるアプリです。

ARTREE for iPhone & iPad – Hansol Huh

 

白熱電球への想い?

先日、夏の節電に白熱電球の販売・製造の自粛のニュースが流れて、仕方が無い事かもしれないが寂しい気持ちになられた方は多いのではないだろうか?。僕はその一人。
白熱灯好きの設計士は多いと思うのだが、その理由として一番は暖かみのある明かりの色ではないだろうか。電球型蛍光灯が現れて白熱灯を蛍光灯に切り替えてみても、食卓を照らす色具合はやはり今なお白熱灯の方が自然に見える(気がしている)。白熱灯は熱くなるので仕方なく電球色の蛍光灯にしてみても、どことなく料理が美味しそうに目に映らない。科学的に言ってみればスペクトルの加減なのだろうが、人工的に調整した蛍光灯のスペクトルは白熱灯にくらべるとデジタルな感じなのだ。デジタルカメラで撮った料理写真を一生懸命画像ソフトで美味しそうに見えるよう調整している訳で、本物?にはかなわない。

とは言え白熱灯も言ってしまえば科学によって創られたもの。それが、蛍光灯そしてLEDに取って代わられるのは自然な成り行きと理解も出来る。でもしかし、単純な仕組みで光る白熱電球は一番身近に感じられる科学だし、このエジソンさんの大発明に日本の竹があってこそ成り得た科学史が、ネットで読むアーカイブの一端になってしまうはあまりに惜しい気がしてならない。お父ちゃんが子供に話聞かせるにも臨場感はまるでなし、LEDの仕組みなんて今度は口ごもるに違いない。アナログ人間のそんなロマンチシズムも節電にはかなわないのが、やはり寂しいと思ってしまう。

ただ一方で変な世の中に思えるのは、発光方式も変わり本当はこだわる必要もきっと無いはずなのに、人は電球の形をいまだに追いかけている事ではないだろうか。電球型蛍光灯、電球型LEDと、既存の器具の白熱電球と差し替えるのに見た目と操作性に違和感が無い様にする為も分かるが、商品には何の意味か「リアル」と冠されたり、フィラメント風に光るLED電球も開発されて、バーチャルなアナログを演出する事に面白いと思う反面、このまま突き進むとますます何が本物か分からなくなっていく様な危機感を感じるのは考え過ぎだろうか。

 

鬼に訊け -宮大工 西岡常一の遺言- とダークシャドウ

立て続けに魔物映画2本。1本はジョニーディップ扮するドラキュラ映画。1本は実在の人物、宮大工・故西岡常一氏のドキュメンタリー映画。これを並べて書くのもどうかと思いつつもですが、お許しのほど。

観た順序とは逆に、鬼と呼ばれた西岡棟梁の映画から。
このドキュメントは平成2年から3年半にわたって撮影されたインタビューを中心に、西岡棟梁の人間像に迫ったものです。
建築に携わっていながら、知った大工さんの名を挙げろと急に言われれば、この西岡棟梁とお弟子さんの小川三夫さんのお名前ぐらいしか、恥ずかしくも思い出せないかもしれません。大学時代に少しばかり興味を持って著書を読ませていただいているが、それもほとんど頭に残っていません。たまたまネットでこの映画の上映を知り、思い立つものを感じ観に行った訳です。
仕事の多くで木造住宅をやらせて頂き、やればやるほどに面白く思える反面、奥の深さや難しさを感じるようになってきました。しかしこの映画を観、宮大工の仕事とは次元の違うまるで机上の空論で建物を造っているのだと、分かってはいてもがっくり肩を落としそうな気分です。その次元を差し引いて想像しても、経験を積み重ねて時分の仕事に確信を得るのは、遥か彼方な行程に感じざるを得ません。
もっと仕事に悩み「訊ける」方との関わりを持つ事が大事な気がしています。

西岡棟梁が健在な時分、僕は小学生時代に斑鳩に少し住んでいました。法隆寺のスケッチもしたし、遊びに行っています。もしかしたら棟梁とすれ違っていたかもしれない。いま考えるとア〜もったいない。(ドウシヨウもありませんが)

西岡棟梁が鬼なら、ジョニーディップはドラキュラで。ティムバートン監督のダークシャドウはとても楽しめました。よくは知りませんでしたが、最後のエンドロールでテレビドラマのオマージュ版と分かり、映画の作りにいろいろ納得。この映画は自分と同じ40代以上の方の方が楽しめるのではないだろうか。
ところで物語の中で、主人公のバーナバス・コリンズ(ジョニデ)がまだ幼いころから、築造を始めたお屋敷は完成までに15年の歳月を要したと話していた。装飾の多いああした洋館は一体どのくらいの工程で建つものかと、どことなく思っていたので、15年という数字は物語の本筋とは全く関係なくひとり納得していた。まあしかし15年もやっていたら設計変更なんてきりが無いのかもしれない。計り知れなく続く工事に、きっと耐えられなくなりそうです。隠し部屋や秘密の通路の設計者はきっと、数奇な運命に終わるのでしょうね。ア〜怖い。

映画「紙兎ロペ」

なんツーか。この二つになんの因果関係もありません。あえて言えば、どちらも脳みそが白くなります。ヤベー。

ご存知の方も多いと思うのですが、東宝系の映画館に行くと開演前の頭がユルくなるショートアニメーション が「紙兎ロペ」です。やけに緻密な下町風景の背景画と究極に単純化された紙人形風2次元キャラの絶妙なコントラストに、どうでもいい様な会話がだらだらと流れるだけの、何も残らなさすぎが心地良いム〜ビ〜です。そのロペが映画になった?という事で、週末の晩に観に行ってしまいました。ケタケタと笑うべしか、クククっと息を押し殺すべしか、微妙な人の入りにどちらも出来ず、見応えがあるかどうかは賛否両論な事でしょう。もちろん個人的には楽しみました。
でもしかし、アニメならではの楽しさのあるアニメでは無いかと思います。「続く」とあったので、続編がもし製作されれば間違いなく行くかも。あればですが。

2次元と3次元を行き交うこの感覚は、ちょっとやみつきになりそうですね。

間取り図もこうすると面白い。Fantasy Floorplans

建築に興味を持つか持たない頃に、地図をモチーフにイラストを描いていた事があります。白い画面に道路やら鉄道やらどこにもない空想地図です。そこに繰り広げられるストーリーを想像するのがどことなく楽しかった記憶があります。ですが、それまで建築や住いに特別興味があった憶えがありません。小学生の頃は仮面ライダーやウルトラマンの怪人怪獣図鑑の解剖図を必死で眺め模写したり、中学生になれば宇宙戦艦ヤマトやらガンダムやらにもろ影響され、友達と空想の宇宙戦艦やらモビルスーツを考えてはその解剖図を、授業も聴かずに描いていた記憶は鮮明です。
住宅や建築に興味を持ち出した頃でも、間取りと言うものに興味があったかと問われるとかなり怪しい。いつになって人の住いに興味を持ち、毎日間取りを考え始めることになってしまったのか。そんな事を考えると、設計事務所をやっている事さえも不思議になってきます。

上の写真は僕が描いたものではありません。ブランディさんというアメリカの女性アーチストの作品です。彼女は小さなころからテレビに映るドラマセットの住いの間取り図を想像して描くのが、どうやら趣味だったようです。その甲斐あって、今は空想の間取り図をプリントしてネット販売しています。しかも青焼き。マニアな感じです。例えば、セックス・アンド・ザ・シティのミランダやキャリーのアパートとか。。。
建築を介してそんな生業があったのかと感心。彼女が日本に生まれていたら、サザエさんの家やムーミンの家や、寺内貫太郎一家の家の間取りを描いて売っていたとしたら僕は買ってしまうかもしれません。

http://www.fantasyfloorplans.com/

シャーペンを買うのは何年ぶりだろうか。

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点5のシャーペンの先が少し曲がって、芯送りが悪くなり始めたのはいつだったろうか。そのまま気にもせずにずっと使っていた。というのも、シャーペンを使う機会がすっかりなくなったからだ。独立した時からほとんどマックで仕事。現場で使うことはもちろんあるが、どちらか言うとボールペン使い。プリントした図面に赤や青で訂正事項は書き込んで行くし、その場で図を描くような時もボールペンを使う事が多かった。スケッチもボールペンの方が多い。もちろんシャーペンが嫌いな訳でもなんでもない。
現場で使うシャーペンは点9。芯が太いので、木やベニア板やコンクリートにも直接印をするにも、現場で荒く使っていても折れずに便利だから。現場の監督さんが使っていたのを真似はじめたのがきっかけだが、事務所でファックスやらのときにも使うようになっていき、点5の影はすっかり薄くなっていった。

で最近、さすがにコンピュータばかりでやっていると目も疲れるし、飽きて来た?つまらない?気もしてきて手描きの図面を現場に持ち込むようにし始めた。大枠は相変わらずマックで進めるが、部分などの詳細図は敢えて手描きの絵を描くようにする。現場の大工さんは、手描きの方が分かりやすくて良いと言う。ただ手描きにすると訂正に手間取る。図面としてはCADの方が間違いは無いのだが、、、手描きの方が伝えたいところに力が入るのかどことなく伝わりやすいし、なににせよ印象が良い。不思議なものです。ただ、さすがにトレーシングペーパー相手でなく、A4コピー紙相手。15センチの三角スケール1本で描けるところまでのチョイ手描き製図。T定規使っての本格製図までは、さすがにまだまだ躊躇します。

それで昨日、別な用で入ったはずの文房具屋で製図用シャーペンについ目が行き、十何年振りにシャーペンを買ってしまった。〜長年使い慣れた感触を実現〜って書いてあるパッケージのフレコミについ負けてしまったのもある。よくよく考えると、設計屋なくせに。。。と思えなくもないわけです。

映画「ももへの手紙」

久しぶりの更新がアニメネタであったりして至極恐縮なのだが、先日久しぶりに映画館で観たアニメ「ももへの手紙」はとても良かった。瀬戸内の島を舞台に母娘と物の怪が出会い、亡くなった父親への想いから立ち直るまでのしばしの物語。細やかで丁寧な表現が嫌みなく、人物描写が島の風景や日常に溶け込みリアリティ溢れた豊かなものになっています。観賞後がとても爽やか。

映画を観た後、パンフレットを購入し一読。その中で、制作過程が紹介されている文面にアニメの中のリアリティについて書かれた一文が気になった。実写であると映像の中のものは衣服でさえ常に動きがあるが、アニメでそこまで表現してしまうと意識が散らかること。全速力で路地を走る少女が、通りに出る角で出会い頭にぶつかりそうになった老人を間一髪で避けるが、現実には到底無理な動きなのに観る人がさも実際に避けきったイメージを抱かせる動きなど。
アニメの中では日常的なことでも実際にはあり得ないことを、観客にごく自然な現実として受け止めさせる技術は、単に絵が動くだけで出来ることではなく、監督をはじめとしたアニメーターの方々の非常にきめ細かな観察力があってはじめて成立するものだろう。

これまで観たアニメに感じることの出来たリアリティとまた少し違った感触があり、観ながらもどことなく気になっていた。パンフに書かれた文面から、そこを気に掛けて制作したスタッフの思いなのだろうと推察してみたい。建築(特に住宅)を考え創るときも、そうした観察力があるなしではまるで違うものになるだろう。それをどう表現できるかが、きっと力量や個性に繋がるのだと思う。

古くて新しいものを見学:60坪と9坪の住まい

 

この間の日曜、そして今日土曜と、それぞれ別の見学会に行きました。どちらも古くて新しいものです。

日曜日に見学した物件は滋賀・宮内建築の手による伝統工法による60坪にもなる平屋。その構造見学会。ガツンとした構造材が縦横無尽のド迫力で迫ってきます。元にあった民家のイメージを壊さず、土壁も再生させてムクムクと甦るようなイメージです。

今日伺った住まいは、ある意味正反対に現代的な小さな家。ただベースにあるのは増沢洵という50年代建築家のモダニズム狭小住宅「最小限住居」というもの。それをリメイクし、9坪ハウスと名付けられた企画住宅です。大阪では第1号ですが、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。

同じ木造と言え、偶然続けて拝見した2つの住宅は大きさも作り方も、そして住まい方も対極にも思えそうな違いがあります。設計者も施工者もきっと相容れないぐらいの違いがありそうに思えるその一方で、不思議に共通するものも感じ無くありません。面白いものです。

さて、自分ならどちらに住みたいと思うか? ・・・正直、どちらも極端で難し過ぎです。

 

半年間の非常勤講師を終えました

友人からの誘いで半年間、京都の美術大学で非常勤講師をやらせていただいた。今日は受持ち授業の最終日で、週一度通った通学路?にしばらく来なくなる。幾度と誘いに仕事の兼ね合いを理由でずっと断っていたのだが、一昨年とうとう折れ、去年の後半から一年生相手に授業をしていた。

教えていた内容は建築の専門課程でなく、デザイン学科の基礎演習みたいなもの。相手のフレッシュさんもデザイン学科全体の混合チームである。友人が統率する授業の補助役みたいなもので、実のところ気楽な感じでこの半年間過ごした。ただ週の一日を取られるので常勤の先生には申し訳ないが、この非常勤講師の日が自分にとっては「若者と触れ合う」どちらか言えば休みのようなものになってしまった。それもしばらくお休みとなる。

今時の学生は、と爺くさいことを言えば、2〜3割はコンピューター持ち込み。見かけたのはすべてMac。そして全員近くイヤホンをして、音楽を聴きながら制作をしている。黙認していたが、今思うとやはりどうかと思うところもある。3〜4年生になり、専門課程の制作をコツコツやる頃になると、自分たちの時代でもそんなものだったが、1年生時分はもうすこし初々しかったのではと、振り返ってしまう。

帰ってきてたまたま読んだ香山リカ氏の文面に、今の学生は問題に対し、悩みを抱え、それを分析し解決に至るメカニズムを求めて対処をせず、どこかにある「処方箋」に頼ると言うようなことが書かれていた。どこかとは書籍であったり、ネットであったり。処方箋を提示しない先生は、結局のところ見切られていたのかも知れない。問題提議で終わっただけではハッピーエンドにならないのだ。

そんなことを感じつつ、ともかく半年が終わりました。かと言って、嫌な気は全くありません。むしろ良い機会であったことに間違いありません。学生ともう少し深く付き合う姿勢をもっておいた方が、自分にとっても身になったのだろうなと少しだけ反省。また今年の秋からお世話になるはずなので、そのところ次は生かしたいと思っています。

今年もまた「えべっさん」

えべっさん

西宮の「えべっさん」も今日で終わりです。ようやく正月気分が抜けるような気がします。

今年は宵宮の晩にお参りに行きました。どエラく寒い。例年は好んで混雑する本宮の晩に行くことが多いのですが、今年はどことなくそんな気も湧かず、マイペースで参拝と言った感じです。お参りを済ませ、おみくじ引いて、福笹買って、軒を連ねた屋台のひとつを選んでラーメン屋に入ってみましたが案の定、期待通りにはならず。帰りに駅前の人気たこ焼き屋で口直し。

それにしても今年もまた屋台の数は減っていました。コワい方排除運動や震災の影響でしょうか?参拝するにはスムーズでよいと言えばよいのですが、どことなく祭り気分にかけてしまって正直さびしいです。お約束に期待をはずす屋台でも、まだしばらく商売は厳しい時代なのかもしれませんね。

和倉温泉

今日は年賀状を出せる状態になって、ようやく正月から”解放”された気分です。

年末年始は庄司家家族で恒例の温泉旅行。先の記事に書いた通り、前日もぎりぎりまで仕事が終わらず年賀状も書かず、潔く諦めひと風呂浴びに「和倉温泉」出掛けました。和倉温泉と言えば老舗旅館加賀屋さんが有名ですが、残念ながら加賀屋さんではありません。と言いますか、加賀屋さんが此処にあることを目の前にやっと思い出した程度でして、はじめから分かっていればちっと調べてから、、、でもきっと諦めていたことでしょうが。

和倉の街は元旦に少し回ってみました。到着した時も海岸沿いにホテルが建ち並ぶ様子に驚きましたが、小さな波止場の先から振り返ってみると、海からニョキニョキ建物がそびえ立ちエラい風景やな〜と言う気がします。それらは現代建築というよりも、ひと時代過ぎたようなホテルばかり。全盛期のホテル建築ラッシュは、それこそすごい勢いだったのでは?と思えます。個人的にはもちろん面白いのですが、街としての新陳代謝はどことなく難しそうな気がしました。詳しく知らないので間違いな想像かもしれませんが、加賀屋さんが「おもてなし」を海外まで持ち込み展開されている背景には、ハードよりもソフトを武器にしなければならない現状と思えなくもありません。もちろん、それに関わらず「おもてなし」を大事にされてきた加賀屋さんの伝統は、きっと学ぶべきものが多いのだろうと思いますが。「おもてなし」の下手な自分こそ、奉公に行かねばならんのかもしれません。

 

そんなことはなににせよ、嫁さんは和倉温泉のゆるキャラ「わくたまくん」にゾッコンだったようです。お土産にわくたまくんミニぬいぐるみのストラップをようけ抱えておりました。

謹賀新年2012

あけまして おめでとう ございます

年始早々、お詫びからスタートです。年賀状が実はコレから。仲間内で締めた忘年会以後の年末年始まったく頭が冴えず、 年賀状を頂いた皆様になんとも申し訳ない有り様。是が非でも抽選会までにはお届けしますので、今しばしお待ちください。

ブログの方もすっかりご無沙汰で、年賀にコメントを頂いたのを読む度に申し訳ないばかりです。ここまで間が空くと、なんとも書きづらいですね。(去年も同じ様なスタートだったな。。。トホホ。)書きたい事は都度あったはずなのですが、どんどん忘却の彼方へ。。。今年はそんな事にならぬようヒト言でも、ヒトリ言でも途絶えないようお伝えしたいと思います。

ともあれ近況ですが、暮れに完了検査を受けた鉄骨住宅が外構を残しています。去年内から木造住宅の現場が2件始まりました。ひとつは既に上棟。ひとつは地鎮祭を終えたばかり。そして、計画が終わって今年早々に見積を始めるちょっと大きな物件がひとつ。今はありがたく仕事をさせて頂いています。

本年もよろしくお願いいたします。

隣りのレーンは蒼く見える

お盆前、打合せ帰りの高速で渋滞に巻き込まれたと書いたのはついこの間のコトなのに、昨日もまた渋滞に捕まってしまった。
視線の向こう3車線のずいぶん先で、テールランプをチカチカさせている様子が見えたのは恐らく夜の8時を過ぎたぐらいではなかろうか。神戸付近。その時、真ん中の走行車線を走っていた。左の走行車線は結構手前から車が停まっている。右の追い越し車線は少し先で停まっている様子が見える。左車線を横目に少しそのまま少し走って、追い越し車線に移るかどうかを迷った。ちょっとでも早いような気もするが、その浅ましさが祟って先で身動き出来なくなる事もある。う〜んう〜んどうしようと思っている間に、目の前に停車の車が迫った。もういいや、ここは無難に真ん中のままいとこ。あっと言う間、四方は車に囲まれた。後は運に任せよ。
停まってしばらく余裕しゃくしゃくに音楽を流しながら周りの風景を眺めていたが、んんん右の車線の動きが活発に見える、どうも真ん中の進みが遅い気がしてきた。後ろにいた筈の左のトラックにもなんか抜かされている。あのマークは見覚えがある。いやいや待て待て、きっと逆転する筈。気を鎮めてそうしてしばらく、さっき抜かされたトラックが近づいてきた。よしよし。一体ナニがよしよしなのだけど。やっぱりよしよしと思ってしまう。全く心持ちが小さい。
そんな浮かれ気分も束の間、また抜かされて。確実に真ん中が遅く思えてきた。バックミラーを覗いてみるとずっと同じ車が後ろにいるし、その後ろでも車線を変えようとする車の様子は無く、真ん中レーンはとっても真面目に並んでいるように見える。ここでどちらか車線に割り込もうとすれば、ずいぶんお行儀が悪く見えそうな気がしてしまう。
あ〜やっぱり右車線に移っとくんだった。馬鹿な後悔を始めて、うんんううん、車よりも自分の方が唸っている気がして来た。

その後高速を降りたのは9時を過ぎた。その時間なら普段は混まない事務所までの間も車が詰まっていた。高速の渋滞の影響だろうか。う〜んん、すっごいエネルギーの無駄使い。

清々しい気分で事故渋滞

打合せ先の周囲の風景は青々とした田圃が広がり、風にそよぎ波打つ様子で心持ち暑さが和らぎます。緑が広がる風景を目の前にすると、普段街中にいるからでしょう、つい足を止めて見入ってしまいます。小学低学年の頃はこうした風景に囲まれて過ごしていました。学校までの道のりは遠くて炎天下で隠れるところの無い田圃道はどちらか言うとつらいイメージがその時分にはありました。今日は車での通りすがりですから、同じ様な風景を目にしながら全く逆の気持ちが湧いてきます。面白いものです。

放射能のニュースを見る度少し悲しい気持ちになりますが、この美しい風景が一変した時に一体どんな気持ちで見る事ができるのか?正直、想像がつきません。

打合せの後ちょこっと写真を撮り清々しい気分でいたのですが、帰りの高速で事故渋滞に巻き込まれ一時間ぐらい余分に掛かりました。夕方にある事務所での打合せに間に合うかだんだんと焦りが積もりはじめると、頭の中は田園思考から街中思考に切り替わりイライラとしてきます。まるで洗い流した汚れが舞い戻ってきた気分。

盆休みの間、きっと大勢の人が同じ様なこの相反する気分を味わうのでしょうね。意地悪いですが、それを分って行動する人の所業は、想像するとちょっと面白い気がします。

 

映画「ちいさな哲学者たち」を観ました。

ヨメさんからの誘いで、映画『ちいさな哲学者たち』を観に行きました。フランスの公立幼稚園で行われた、先生が園児達と哲学のディスカッションを2年間に渡って行う革新的な教育プログラムを追ったドキュメンタリー映画です。とても面白かったです。

子供は時として大人を驚かす様な発言をします。とお決まりな文言がありますが、これは大人の屁理屈からの視点でしかないのでしょう。映画のスタートは素朴な質問に子供達も言葉が出てきませんが、後半になると大人顔負けの思考を展開しています。賛否もはっきりとした議論ができるようになっていきます。最後には、小学校にあがったら哲学の授業が無くなるから面白く無い。考えなくなってしまうかも。と子供達は嘆く程に成長を見せてくれます。

仕事に没頭し、いや、仕事を言い訳に考える事を失いかけている自分には、頭の下がる思いがします。この間友人と飲みに行った時も、デザインは何故そうなのか?理由をきっちり考えないといけないよね〜。なんて言っておりましたが、果たしてどこまで出来ているやら。

映画の中の子供の一人が、なんとなく爆笑問題の二人の掛け合わせにも見えて来たり。可愛いだけでなく、コイツはなんかオレに近い気がする。とファンになった子供の発言が気になったり。苦笑まじりの笑いが映画館で絶えませんでした。
文化も環境も違う日本の子供達に同じプログラムをするとどんな風になるのだろう? 自分を含め、ものを考えない大学生が増殖される前に、幼稚園からと言わずとも小中高でこうした試みは少し早くから始める方が、日本国力に厚みを持たせるためにもいい様に思えますし、自然と文化を愛する心も育つような気がしました。

 

大山崎山荘美術館「睡蓮」の見方

名神高速で仕事の帰り道。大山崎付近でまだ昼過ぎだったものだから、そうだ大山崎山荘美術館に行ってみようと思い立ち、そのまま高速を降りた。ずいぶん前だが新館は安藤さんの初期の美術館。実はまだ行った事が無かった。印象派モネの「睡蓮」が飾られていることで有名です。

その以前、庄司事務所に来ていた美術好きなバイトの女史が、あれはダメですよ〜。絵の前が狭くて引いて見ようと思っても、ちゃんと見れない。光もイマイチ、私は嫌です。モネがかわいそう。とまで言っていた。その記憶だけで実際どんなだろうと思って、モネの飾られていた新館(と言っても古い訳ですが)に入った。ちなみに展示室は円筒状のコンクリート外壁に囲まれ、真ん中は白い壁で囲った空間があります。その四角い空間の上にはトップライトがあり、適度に円筒の展示室にも光が漏れるような感じになっています。それほど大きくはありません。
足を踏み入れて女史の言っていた事が分かりました。今日は関西の椅子作家の展覧会が併設されていたので、なおさら動けるスペースが少ない。たまたましばらく一人で鑑賞する事ができたので、窮屈感はないが、曲面に飾られた4枚のモネと正対して向かうと確かに近い感じがします。敢えてのモネファンでもなかったのですが、もうちょっとあればねと思いつつ、併設の椅子に目が移りはじめました。

ちょっと若めな警備員さんがコチラの鑑賞を邪魔しない様に一人で立っています。展示の椅子は触っても良さそうなコメントが付けられていたのですが、念のため聞いてみた。どうぞ座ってみて下さい。それまで黙っていた警備員さんが、あちらの椅子は座られましたか?気持ちいいですよ。と促される。面白い人だな。と思っていたら、後から入って来た学生らしき若者達に、この絵はコチラから見てみて下さい。と話しかけている。つい、耳をそばだてると的をついた意見が聞こえ興味が湧く。改めて、モネを見始めてしまった。

鑑賞者が少なくなって、絵に興味を持ち出した僕を捕まえ、今度はモネの見方について持論を語り始めてくれた。あの絵はモネが白内障になった後でのものです。絵は大きいですが、モネが見ているのは小さな世界なんですよね。此処から見ると睡蓮が浮かんできませんか?丁度、今の明かり具合が良いです。…確かに。真っ正面から見ようとしていた時よりも斜めになった今の位置の方が映り込んだ光も無くずっと奥行き感を感じるし、睡蓮が浮かんで見える。この絵は階段を2段上がったところで左の角をみるような感じです。額の奥に池が広がるように見えませんか?…うむ、確かに。

私は絵は実はよく分らないんですが、此処に来て2年間、絵を観られる方の様子を見て自分で確かめたり、考えたんです。絵が好きそうな方なら、私なりのポイントをお伝えしてみるんです。結構喜んでもらえて嬉しいんですよ。以前は測量の仕事をしていたせいかも知れませんが、観る方向がなんとなく気になるんです。やっぱり一番奇麗に見える位置が良いでしょう。なので意見はありますが、この空間がとても好きなんです。

警備員さんを前に、目からウロコ状態です。適度に美術をかじった僕は、こんな当たり前で素直な見方をした事は無かった。警備員さんは絵の見方が対峙しようとする西洋的な感じでなく、空間全体で捉えたとても日本的な見方ですよね。と感想を伝えてみると。モネは日本趣味だったからでしょうか。
しばし警備員さんと美術談義となった。学芸員さんからは絶対に聞く事が出来ない、すばらしいレクチュアにごっつ得な気がした。私も大阪ですから、ちょっとでも得したいんです。

モネの見方だけに留まらず、安藤建築の見方まで教えてもらった気がしました。次回は是非に秋頃に来て下さい。新しく出来る新々館はまだでしょうが、絵が変わってますし光がまた違いますよ。既成概念を取り払って、自由に使えば良いのですよ。なんて施主さんに言う自分がすっかり恥ずかしくなってきました。

なでしこJAPAN

女子サッカーワールドカップで日本が宿敵アメリカを破り初優勝しました。夜中に放送された中継をご覧になられた方も多いのでは。コレまでは結果だけをニュースで観て、へ〜っスゴイスゴイと歓声を上げておりましたが、さすが今回は生で観てみたくなり、ピッチで死ぬまで走ると語る選手には申し訳ないですが、ゴロ寝のまま、たまに響く実況の声に揺り起こされ、(ほぼ)すべて見終え少々感激モードです。窓の明るくなった頃、PK戦の頃にはすでに起き上がっていました、でも今眠たい(笑)。

最後の最後まで諦めず前向きな戦いを挑んでいたなでしこの姿は、ホント良かったですね。今回の試合を通し観て、結果が全てなスポーツの世界でありながら、その経過の全てが彼女達の全てであったような気がします。もし優勝を逃していても、この感激感はほとんど変わらないでしょう。もちろん優勝に越した事ありません。

でなぜか、試合は施行中の現場で、アメリカチームが施工者、なでしこチームが設計者の姿に、どことなく重なる様に後から思えてきました。まったく例えが可笑しいのですが、様子を伺い仕掛けずにいると、先制し隙をついてどんどん攻めて来る大きな身体のアメリカ選手。これが、黙っていたらどんどん先に進めてしまう施工者と同じに見え。逆に、小さな身体でも諦めず相手のミスを取り込み自分のものとしたなでしこが設計者に思えて来た訳です。いや、もちろんコレはとてもご都合良い素晴らしいイメージの膨らみですが、一転して、ゴール前まで力を振り絞って走らなければ結果は出なかった訳ですから、むしろそれが設計者のまずい姿に思えた訳です。

むろん結果はどうであれ、余程の事がなければ建物は完成してしまうのが世の常。ですが設計・施工共、その経過にどれだけの諦めないストーリーを孕んでいたかで、建物が持つ良さも変わると思っています。経過が全てであり結果が伴う。その結果で人を感動に導けるかは、スポーツも建築も実は変わらないのだ。
そんな思いが、なでしこJAPANの優勝に重なりました。

デザインとユーザビリティ

つい最近、グーグルの検索画面とカレンダーがなんだかスッキリしたデザインに切り替わった。ぐっと見やすくなって、どちらか言うと機能に傾いたグーグルのイメージとちょっと違う。スケジュールの管理はほとんどグーグルのカレンダーを使っているから、なんとなく嬉しい。そう言えば、写真のサイト「picasa」もちょっとデザインが変わっていたな。それぞれ使い勝手も若干良くなった気がして、もう少し積極的に使おうかな。と言う気にさせてくれる。

まだベータ版だし試していないが、グーグルが今一番目玉にしているソーシャルネットワーク「Google+ プロジェクト」のデザインは本当に良さげな感じがする。Facebook よりも日本人の好みに向いた仕様になっていると記事を読んだけど、個人的にはそれよりもこのデザインに惹かれている。ちょっと使ってみたい気がします。Google+ の記事を探して読んでみると、どうやら元 Apple の方が関わっているそうだ。それでだけで、訳も分らず「ナルホド」と納得してしまう。

なかば趣味でブログやサイトのデザインも自分でやっているからよく分かるが、サイトのデザインは見た目だけでなくユーザビリティがとても重要。自分のサイトは、どんどん崩れて行くから正直目も当てられない。始めの内は良かったのに、アレコレしている内にプログラムはくちゃくちゃ、デザインもどこをどういじれば良かったのか訳が分らなくなってしまう。まさしく建築の設計も同じ。ものづくりには共通することだと思うけど、始めのコンセプトをしっかり見定めないと魅力は生まれない。

そんな訳で、Google+ に刺激を受けて、凝りもせずブログのリニューアルを目論んでいる。と言うか、チョロチョロ始めているところ。最終的には、物件の紹介サイトとブログを切り離して極力シンプルに読みやすく楽しんでもらえるサイトを目指そうと思っています。

壮観なご近所のひまわり畑

ひまわり

事務所ご近所のお宅の前が今ひまわり畑のようになっています。ひとつひとつは15センチにも満たない小さな品種のようですが、角地になった道路面を覆い尽くして咲き乱れているので結構壮観な感じ。格好良ささえ憶えます。

このところ雨が続いて鬱陶しい日が続くと思えば、晴れれば晴れたでジメっとしながらやたら暑くなるわで、やっぱり鬱陶しい。なんとかしてよと言う感じですね。抱えている作業も思う様に進まずブログも進まずなんやらかんやらジメジメとしているここ最近、このひまわり達ぐらいパッと行きたいところです。ちっと見習おう。

日曜日は事故に注意しましょう。

昨日は日曜日でしたが、夕方から施主さんに打合せをお願いしたので、午後から事務所に来てなんやらかんやら雑用をしたり過ごして、打合せの1時間ほど前から印刷を始めていた最中、ガシャガシャガシャ〜〜〜〜ンンン!!!。なにやらエラい物音が外から聞こえて来た。トラックがひっくり返って資材をまき散らしたのか、どこぞのシャッターを引きずったのか。そんな感じの音が響き渡った。

思わず外の様子をチラチラと覗き見してしまう。打合せが間近なので、印刷もしたい。でも不謹慎にも誘惑に負けて外に出てしまった。国道沿いにあるマンションの玄関脇に乗用車が突っ込んでいた。空き地になった隣地のフェンスがなぎ倒されている。あの音はアレか、見て直ぐに分った。にしても、事故の車は対向車線を横切り反対側のマンションに大破して止まっている。なぎ倒したフェンスとマンションの間には植え込みもあって、車はその植え込みを飛び越えマンションに突っ込んだ様子なので、相当スピードが出ていたのではないだろうか。フロントガラスは割れて、ボンネットがひしゃげている。運転手は大丈夫だったのだろうか。近所の人が総勢集まったころ消防車と救急車がやって来た。意外に警察は遅い。対面から見ていたが人身事故の様子は無く、派手な割には落ち着いた様子が見受けられたので、なんとなく安心。

そうしている内に、施主さんから携帯にメールが入った。すぐ近くで渋滞に捕まってます。。。事務所の側で事故になってます。。。パトカーのチカチカが見えます。。。気をつけて来て下さい。

普段では考えられない場所での事故を見て、どこにいてもあんな事故だと気を付け様が無いよな。他人事のようなニュースが一気に身近な事に思えて来る。

ひとの前で話すのはムズカシイです。「 住まうの座 」

とたん、ばたん

2週間ほど前の土曜日に講座のゲストとして、住まいや設計の話やこれまでの自作の話、施主さんとのエピソードなどを、およそ2時間に渡って話をする機会を頂きました。こっそりと。

人前で話すのはいやはや冷や汗ものですね。なにしろどなたも真面目に聞いてくれますから。友達と話すとも学生に話すとも、まるで違います。あ、いやいや友達や学生がいつも不真面目だと言う訳ではありません。こちらがもし勘違いした事をしゃべってしまっても、世間知らずな事をしゃべっても、間違ってるよと話を止めてもらえるとは限らないし、過ぎた後では言い直すことは出来ない訳です。人間ウソはいけません。なんてことも言えないわけで、会場でテーブルに出して頂いたコーヒーにひと口もつけずまま過ぎてしまったのでした。

コレまでの作品の正面からの写真をいくつかをスライドに映し、来て頂いた方が興味を持たれたものを話して行くというスタイルで進みました。どんな事になるか分らないので、コレだけあれば大丈夫だろうとやたらと揃えたスライドも実は半分も使わずじまい。なので、なんとか話しで持ちこたえられたのでしょうか。気がつけば終了時刻。そんな恥ずかしい時間を過ごしたに関わらず、主催の「紡ぎ家」さんに素晴らしい講演録を残して頂きました。

住まうの座

第2回 « 住まうの座 < こちらに講演録をまとめられています。

 

台風一過に緑を購入

アジアンタム スノーフレイク

昨日事務所に着くと、玄関先のトネリコの鉢が台風の風で倒れてしまい鉢が割れて横倒しになっていた。お隣のおじサンに道に転がっていたところを軒下に避けて頂いたので、お礼をしておく。鉢が割れてしまったまま放っておくわけにもいかず、昼からコーナンに替わりの鉢を探しに行く。

ついでにこの間ゴーヤの苗をいただいたので、プランターを購入。こちらは自宅で家庭菜園に挑戦。折角なので、事務所にもひとつなにか買って行こうと思ってアジアンタムを買う。2年ほど前に自宅の庭先にも植えたのだけど無精な手入れでもそれなりに育ってくれていたので、たぶん大丈夫だろう。たまにはこういうのも良い。プラス土やらなにやら揃えて気がつくと、それなりの金額になってしまった。コーナンを舐めていた。う〜ん、まあいいか。

住まいに緑があるのは、やはりいい感じがします。緑が添えられると、どことなく家の姿もよく見えてくるから不思議です。

 

open! architecture:高島屋東別館・南海ビルディング

イベント好きな親父の案内から、建物公開イベント「オープン・アーキテクチャー」という催しに昨日は参加して来ました。午前中は「高島屋東別館」に、午後からは「南海ビルディング、なんばパークス」を見学させていただいた。この「オープン・アーキテクチャー」は、ヨーロッパで行われるような建物公開のイベントを定着させ、一般の方にもっと建物や建築に関心を持ってもらおうとするグループが主宰しています。「つかい手、つくり手」の普段は聞く事の出来ない話を交えながら、通常は行く所の出来ない場所を案内していただけます。そんなわけで、ひとりで行ってもなかなか撮れない貴重な?写真を撮ることができました。(話し聞きながらの団体行動なので、そんなうまくは撮れませんでしたが。)

高島屋東別館は見かけはひとつのビルの様ですが、大きく3度の増改築を繰り返して1937年に完成しています。(実は未完のようですが。)手の込んだ装飾や造りに当時の設計者鈴木禎次氏のこだわりと関わった方全員の熱意が見られます。映画でしか見る事ができない様な懐かしい世界に戻ったような気さえします。また地階の倉庫は地下鉄の駅と壁一枚で区切られ、列車の音が響きさらに雰囲気が盛り上がりました。

南海ビルディングも再開発で現代的に改修されていますが古いターミナルビルです。1932年建設当時の階段が今も残っているとの事で案内していただきました。防火区画の扉を隔てて「今と昔」が背中合わせになっていることに参加者の皆が驚きます。

今回の建物探訪は、こうしたイベントでしか味わえない体験をさせていただきました。特に関係の方から伺える話は時折裏話もあり、普段携わることがない建物がもっと身近になったような気がします。

日本初・建物公開イベント「オープン・アーキテクチャー」 日本初・建物一斉公開イベント|open! architecture

働けど働けど、出費は増えるばかり。。。

働くバーチャルおじさん

先日夜遅くの帰り道にばったりと建築仲間の一人と出くわし、仕事のお連れもうひと方とと3人でそのまま駅近くの居酒屋に入ってしまった。おそ〜まで何やってんの、最近どう?とお互いいつもながらの挨拶はそこそこに、友人は昨日買ったばかりというiPodをカバンから取り出した。やっぱイイな〜。マック好きのコチラとしてはウラヤマしい。

しかし悲しいかな話はいつしかCADソフトの事になり、OSが変わってウインドウズも難儀よ〜。買い直すのは高いしホントどうしよ〜。ね〜どうしてんの?3Dはどう?ホント悩んでんのよオレ!と友人は言うので、最近お気に入りグーグルの無料3Dソフト SkechUP の話をしたら、何々それ?早速、iPad で検索。すごいじゃんコレ?しかも無料?やってらんない!明日ダウンロードするぞ!と盛り上がった。が、果たしてどうなったかな。

人事ではなく、OSのバージョンアップでアプリケーションの話しはこちらも同じである。ハードは手に入れやすくなったけど、ソフトはどんどん高くなっている気がする。しかし今以上の機能はほとんどいらない。なのでCADソフトは新しくするつもりはサラサラ無いのだけど、どことなく自分のマックの調子がイマイチな感じがして実は気が気で無い。不安が現実になる前に、いっそ中古マックでも買った方がいいんじゃないかと思っている。発売当時買えない様なハイスペックなマシンが十分に狙える。だけどな〜いいのだろうか、そんなで。

世の中の変化について行くには、いつまでも出費は止まらない。お陰で、ため息も止まんないです。

 

横尾忠則はやっぱり違う

雨降りが続くとホントかないませんね。今日はそんな事を言う場合でなく、西脇方面のとある物件のプレゼン続きで概算見積持って打合せに。新境地に向かって?精一杯頑張ってみたので、さあ後は運任せです。

その後、西脇にある大きな保育所へ。その保育所さんとは10年近くのお付き合いをしています。こちらは10年前に新園舎のプレゼンをさせて頂く機会があったのですが、じつはあえなく落選。なのですが、変わった設計士と、どう言う訳だか園長さんには気に入って頂いており、その後送った年賀状がきっかけで、工事中から他社の設計内容の相談を受け。竣工後もチラシのデザインやら内装の変更、記念写真の額縁の選定など細かな事があると呼んで頂けるようになりました。面白い園長さんなので、こちらもへいへいと伺うようになりだらだらと時間の過ぎることもあります。面白いものです。

その保育所に行って時間のあるときはいつも、すぐ近く日本のヘソ公園にある岡之山美術館に立ち寄ります。ここは画家(元デザイナー)横尾忠則氏の小さな美術館で、磯崎新という大建築家の設計です。今日も同じ様に立ち寄ると「横尾忠則いまどうしてる?西脇展」なんとも気の抜けたタイトル。何が飾ってるとかそんな事は気にせず、いつもの様に受付の呼び鈴を鳴らします。よくこんなんでやれるよな。と思いつつ、いつものようにぶらぶら廻り始めると、今回はツイッターのつぶやきと絵が一緒に並べてありました。なるほど。その一言一言が結構面白い。やっぱ違うよな〜。別室で絵を描く横尾さんのビデオが流れていたので、ついついそのまま眺めていると。個展は2年後まで詰まっている。。。とテロップが!やっぱ違うかも。。。そのビデオの一場面で、昔の絵に絵筆を入れています。どこだったかの美術展の図録にこの作品は載ってるんだけど、もうその絵はこの世に存在しないの。。。と、ひと言。やっぱ違います。

ポスター1枚買って帰りました。

近くにすべきか?遠くにすべきか?

六湛寺川のこいのぼり

遠近両用眼鏡を使いだして数日、残念ながら思った程に使いやすい訳ではなく、音を上げた。遠近だと基本は遠用で正面だと近くのものを見るには焦点が合わない。目線を下にすれば下側にある近用レンズでもって近くが見やすくなる訳だが。。。普段のパソコン使いにはどうも相性が悪く、えらく疲れだした。一日頭の後ろをつままれている様で、肩が凝りだす。早々に諦めて、パソコン用にもうひとつ揃えてしまった。使っていなかったフレームがあったのでレンズをはめ変え、ほぼパソコン専用に。こちらはすこぶる具合は良い。ただし本当にパソコンだけ。目線を少しはずすだけで、視界がちょっとグラつく。自分の眼がなんとも不便なもののような気がして来た。

連休に友人二人と夜中に飯を喰いに行った。とうとうエンキンになったよ〜。ホント、歳だわ。みたいな話しをするなかで、じいちゃん達が近くを見る時に眼鏡を頭に載せたり、ばあちゃん達がひも付き眼鏡をぶら下げたり、その気持ちが分かる様になった。と言うと、ホンマホンマめっちゃワカル。と返される。二人は美大時代の友人なので正直言ってどちらも年齢不詳、年相応に見えない業界人みたいなのが三人集まって歳の話か。今度は自分がなんとも不便なもののような気がして来た。

映画「英国王のスピーチ」でGWはおしまい。

六湛寺川のこいのぼり

ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか?

と聞いておきながら、毎年恒例の家族のひととき以外はほとんど普段と変わらない日常を過ごしていました。あまりにそれでは勿体ないと、往生際悪くオープンしたばかりの大阪駅見物兼ねて映画に行きました。ただ、ほ〜すごいね〜とひと言で終わる程度しか廻ってないので、行っておいたという程度です。

でも、映画はとても良かったです。「英国王のスピーチ」お話も感想も素直に、あ〜よかった。主人公の王様の気持ちはよ〜分るし、ヒトゴトではない。誰にだって置き換えられるお話だと思うので、それだけにとても良質な映画ですが、もう少し癖のある仕上になればもっと印象に残った気がします。でも、観た後はちょっと頑張ろうかなと思えるので十分にお薦めです。