展覧会「数寄屋大工」

しばらく前の事になりますが、竹中大工道具館で開催されていた「数寄屋大工」展と同時開催されていたセミナーに行きました。
展示されていた実物大の茶室構造模型はさすがに迫力があり、外から観るだけでなく内部にも入れるので、ふ〜むふむと顎をさすりながら小さな空間を幾度も往復。規格にはまった材木を使い、金物だらけにしている普段の設計とはまるっきり違います。あ〜なんて軽やかなんだろう。目的が違うと言ってしまえばそれまでですが、こんなにも自由に考えられるのか〜と、ため息。ついつい枠にハマってしまって固くなった頭をほぐす必要があるような気さえしてきます。
もちろんひとつひとつの材料も違えば、隅々に至る手仕事の掛かり方も違います。それをそのまま自分の仕事に置き換える事はままならぬことですが、そこにあるエッセンスみたいなものを少しでも加える事ができれば。

先日に書いた料理家の辰巳芳子さんしかり、今回書いた数寄屋建築を支えた名匠しかり。どちらも自分の立ち位置をしっかり見つめて本物を作られています。決して小手先ではない。違う世界ではあっても、根底にあるものは変わりません。

ちょっと仕事が落ち着き間が空いて、ボヤっとしたところに喝を入れられました。何をするでもよいのだけども、常に自分の立ち位置を見つめて仕事をしたいと感じているところです。

セミナー「規矩術入門」

昨日、竹中大工道具館のセミナーで「基礎から学ぶ規矩術 入門編」となる講座を聴きに行きました。規矩術、広義では建築全体に及んだ設計術のような話ですが、狭義で行けば曲尺(サシガネ)を使った墨付け(加工上の線引き)の技術を言います。立体では3次元に捻った形状も、材料(主に木材)を切ったり削ったり加工する時には2次元にしないとどうすれば良いかが分かりません。ただ単純に上から見たとこ、横から見たとこと言う訳にもいかず、斜め向こうに上がって行くラインを再現するにはその材木上ではどう切り込めば良いのか?になります。分かりやすく?言えば幾何学の世界。数学の授業が眠たくなる人はつらいかも。
ところで、曲尺とは90度に曲がりのある定規です。大工さんがいつも片手に持っているイメージが出来るあの定規です。ウラオモテに寸法が刻まれていますが、ウラの一面には、ルート寸法が刻まれているのだそう。も、逃げたくなる人いませんか。
講義後半は、 曲尺の使い方と幾何学上の関連を解きながら話が進むのですが、ココがこうなるからこうなって、ソレがそうなる訳です。分かりますか?と先生の問いに、会場にいる皆さん(僕も含めて)、ビミュうなニガ笑いに包まれます。久しぶりに落ちこぼれ学生の気分を味わった感じです。放課後の補習が無いので助かりました。
まずは入門編と題されたこの講義、次回応用編があれば間違いなく行くでしょう。ただし、さらにチンプンカンプンなことになりそうです。

規矩術 – Wikipedia

セミナー「阿保昭則 – 大工が教える本当の家づくり」

今日午前中は竹中大工道具館「技と心のセミナー」に行き、 日本一のカンナ削り名人の大工・阿保昭則さんのお話を聞きにいきました。表題の通り、「大工が教える本当の家づくり」。千葉で耕木杜という工務店をされている人気の大工さんと言って良いでしょうか。と書きながらも、実はあまり知らずにいたので昨晩にネットで予習し、初めて知ったところです。

一時間半の講演でいろいろと考えさせられました。
と言え、特別な話が聞けた訳ではありません。内容だけを羅列してしまえば、ごくごく普通に当たり前な話だと思います。物件への取り組みの方法や姿勢、施主さんとの付き合い、健康に気遣う建物を目指し、喜びを分かち合う。普通(と言ってはいけないかも知れませんが)の大工さんと一線を画すのは、単に職人の域を超え、建築家や設計士以上に現在あるべき住い・建物のあり方を探求する心と思います。

伝承や決まり事、現場で疑いもなくそういうものだと言ってしまう事ひとつひとつに疑問を投げかけ、自分のものになるまで諦めない。それを淡々とやってきたことで自信に溢れたひと言ひと言であったように思えます。その自信ある言葉に、実は打ちのめされた感じです。

自分が仕事をしていく中で大切に考えようとする日々思っている内容と、阿保さんの話に大きな差異はありません。しかしあきらかに違うのは、それをやり遂げているか否かです。

セミナー「初期木割書の世界」

先週の土曜日に久しぶり、竹中大工道具館の技と心セミナーに行ってきました。「初期木割書の世界〜中世の建築設計技術を探る〜」と題された道具館の学芸員さんによる講演です。木割書とはなんぞ?分かりやすく言ってしまえば、建築技術書です。とは言うものの写真の通り、古文書です。漢字ばかりという訳でなくひらがなやカタカナのものもあります。文字が無い時代、道具と技術は五官を駆使して伝承されてきましたが、言語が発生発達し文字が誕生し、当然ながら技術の伝達はそれまでの口伝や見よう見まねから、媒体での伝達に変わっていった訳です。

世界には未だ五官だけの伝承が続くところもあるそうですが、それは技術を盗まれない為だそうです。そう考えると、日本はやっぱり平和です。どうやらこうした木割書は秘伝書から始まり公刊書に移り変わっていったようですが、ことの始まりは技の自慢にあったようです。俺んちにはすげぇ秘伝書があるからよ〜お前らには負けね。なんてやってたんでしょうか。やはり平和。
木割書の内容はどちらか言えば寸法体系(モジュール)の構築が主だったようです。 柱や梁、垂木のサイズを一定比率に現すことで、誰がやってもある程度に整った形を作り出せる(もちろんそれなりの技術あっての話でしょうが)。そうした俺んち流を伝えられるように、もしくは忘れないようにするのが一番の目的だったようです。中には観念的哲学的な人もいて、大工とは何ぞやと深みにはまっていくものもあったそう。なににせよ、世界に類を見ないほどに日本には建築書が多いのだそう。平和だけでなく、日本という国はそうした技術を育む土壌が自然にも思想にも羨ましい程にそろっていたのかも知れません。いや平和どころか、乱世を生きる術だったのかもしれません。

秘伝書がやがて流出し公刊書に移り変わっていくに従い、文書の中身はだんだん誰にでも分かるような内容になっていきました。小難しいことばかり書いてあってはベストセラーになれないのです。その技術の拡散の陰で秘伝書はなくなっていく。もしくはマニアな世界になっていく。結局今と変わりません。伝統を残す難しさは、今に始まったものではない気がします。

こうした木割書は当時の棟梁やその弟子によって書き連ねられ、改訂が重ねられたりもする。中にはアチコチの木割書を書き写して並べただけのものもあるそうです。棟梁の発生も頭と実力が秀で人心を掴み、乱世を生き残る為に段取り上手なプロデューサーが必要だったのです。話を聞いて想像している内、はじめ思い描いた建築家と言うよりもゼネコンの社長に近い存在だったのでは?と思えてきました。

それよりどなたか、今の乱世を生き残る術の木割書はどこかにないものでしょうか。

セミナー「ヨーロッパ大工の技」

先週末、竹中大工道具館で催された特別セミナー「ヨーロッパ大工の技」を聴きに行きました。講師はドイツの木工職人ヘンリヒセンさんという方で、日本での修復工事を行った経験もあるだけあって、流暢な日本語で冗談を交えた講義はとても楽しいものでした。講義はほとんどヨーロッパ大工の技の実演で、ドイツの土台の継手模型を製作しながら進みました。実演の合間に大工道具箱の伝統、墨付け方法、鑿や鋸を使った加工についての解説を、日本の道具との違いを加えながら説明していただけ、材料の違いなどもあって道具の発達の違いになっていった過程が少し実感できた気がします。

日本は桧・杉・松など針葉樹が材木の中心ですが、ドイツでは樫・楢など広葉樹が構造材・造作材の中心として使われてきたそうです。そして日本の桧のように扱われるのがこの樫だそうです。樫と言えば水や虫に強い材料ですが、反ったり、縮んだり、木がまっすぐ育たないので長ものの材料が取れないなど扱いにくく、また字のごとく硬い木の代表でもあります。これら硬い材料に立ち向かうには、日本のような繊細な道具では歯が立たないという訳です。ですから道具としては日本よりも単純で堅牢さが求められました。ヘンリヒセンさんは先進国なのに大工道具はとても原始的。と言われていましたが、それが理にかなった結果なのです。その逆に扱いやすい材料があったからこそ、日本は大工技術は高度に熟して行ったと思われます。

また、日本の様に身体を使って木を押えながら作業をすることも少ないそうです。向きを変える度にもしっかり作業台に固定しつつ,作業を進めます。当たり前に思っていた足で押えつつ作業をする姿は、実は日本独特なものだそうです。差し金のような物差しも同じ様にありますが穴がいくつか開いてあり、そこに鉛筆を差込みケビキ(線引き)をしたりもできます。ひとつひとつは合理的な感じがします。しかし日本のような削ぎ落されて進化した道具と違っており装飾も多いので、怒られそうですがどことなくプロっぽく無かったり感じてしまいました。

それぞれ良し悪しはあるでしょうが、やはり日本の道具は優秀な気がします。三木や小野の刃物メーカーさんはドイツでもとてもポピュラーだそうです。ヘンリヒセンさんがドイツの道具を本国から送ってもらうと、日本のノコギリが入っていましたよと笑って紹介されました。

藤井厚二「聴竹居」を訪問しました。

「住まうの座」でお世話になった紡ぎ家さんの計らいで、藤井厚二「聴竹居」を訪問しました。建築関連では人気の見学スポットの一つで、今まで二度ほど見学会に申込しながら抽選モレで行けずまま、ようやく機会を頂いた感じです。先日の大山崎山荘美術館とは程近く。樹木に囲われ暑い夏の最中にも涼を感じる自然豊かな環境の地にあります。

「聴竹居」は環境共生住宅の原点と言われ、環境工学を専門とした藤井厚二の自邸の「ひとつ」になるそうです。実家は造り酒屋のお金持ちで自邸を繰り返し作っていると聞き、なんとま羨ましいばかりですが、光や風を存分に取り入れ「夏が過ごしやすい」住まいを目指し、当時のモダンな住宅の実践を試みた建築家の実験住宅だったと言っても良さそうです。

だからでしょうか、勉強不足で詳細について下調べ無くこれまで感覚的な造形を勝手に期待していたのですが、実際に観た「聴竹居」は、むしろ理論的な住宅のひな形を観るような空気が漂い、そうした期待に対する感動はむしろ少なかったのが正直なところです。逆に積極的に電化も行いながら環境工学と時代の先端を進む意欲こそが造形にも現れ、その想いが漂う空気を読み取る事こそが「聴竹居」の見所であった気がします。その面からの覆されたイメージの部分は十分に楽しく拝見し、設計者としての立ち位置を学ぶべき印象を受け、また考えさせられもしました。

セミナー「古代東アジアの木塔」

ホント倒れそうなくらい暑い日が続きますね。駅前でイチローも水浴びさせてもらって気持ち良さそう。

久しぶりに竹中大工道具館のセミナーを聴きに行きました。日本や韓国・朝鮮、中国の塔のお話。演台の箱崎先生が、この話は「話すのが難しい」と最初に言われただけあって、何をどう書けばよく分かりませんが、とりあえず。

塔と言えば法隆寺の五重塔。しかし、その設計法や施工法の技術はその当時どのような伝来であったか、まだまだ謎の多くが解明されていない様です。日本には他に比べると現存する木の塔は多く、遺跡も数知れずあるそうです。その遺跡の中には、法隆寺の塔が6〜9つぐらい入りそうな大きなものもあるのだそう。そんな塔が今も残っていたら、世界遺産だらけになるに違いありません。それに比べると、中国朝鮮の木塔は片手程しか無く、現存する塔はどちらか言えば石やレンガのもの組石造だそう。もしくはその混構造になるようです。また塔と言うよりも堂と捉えられるような建物が多く、日本の状況は世界的にも類を見ない木塔乱立国と言ってよいのかも。

ただ特に朝鮮の木塔が現存しない理由のひとつとして、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に多くが焼き尽くしたのだとか。なんちゅう事をするのでしょう。もし現代でそんなことしたら、日本は間違いなく四面楚歌状態にです。丁度この間観たNHKの大河ドラマ「江」がそんな秀吉をやってたところ、岸谷五朗の顔を思い出してしまいました。北政所と共に止めさせるべきでした。であれば、今日の話はもっと面白くなったかも。

スライドで紹介される中、やはり日本の職人の技はスゴい気がします。それは美意識なのか、どう考えても他に比べると複雑な構造を求めていたようにも思えます。ただ、何故だろうと正直思うのは、現存する最古の塔・法隆寺が一番美しいバランスでスマートに建っているように思えてなりません。聖徳太子の美意識は並々ならぬものだったのか?それだけでなく法隆寺の伽藍のバランスも、現代の美意識に一番近い気がするのです。その点だけ捉えて自分なりに考えれば、もっと後期なものであっても良さそうなもの。美意識の変遷がどのようにあったのか。そう言えばそうした時代のそうした建物にまつわる話はあまり聴きません。主観的になりそうで、難しいテーマだから?現存の資料が少なすぎるのでしょうか。そんな研究をされている方の話があれば、是非に聴いてみたい気がします。

 

緑も、人の都合で付き合わないコト:東野康仁商店

僕はガーデニングと言うと、NHKの園芸番組なんかをどちらか言えば思い出す口です。正直くわしくありません。ですが植物が苦手でも無く、どちらか言えば好きな方です。事務所にも鉢植えは少しは置いているし、家でも猫の額のような庭にコーナンで気まぐれに買って来ては植えてみたり、草刈はたまにしています。先日もゴーヤの苗をもらったので、育て始めたところです。で、にがうりのサイトを探して見ていたら、葉っぱも茎も食えるらしい事を知りました。知らなんだ。今は実よりもそちらに興味津々です。

それはそれで、今日は神奈川から来られた園芸屋さん?東野康仁景観調整事務所の東野さんと言う方の「住まうの座」での座談会を聞きに伺いました。とてもやんわりとした感じの方で、お話も楽しみましょう。好きにやりましょう。土なんか何でもいいんです。細かい事に捕われず、なによりも植物とのコミュニケーションを大切に、と言った具合でした。そうは言っても、持参された鉢植えやスライドで見る植物たちは、どれも素敵な感じです。鉢植えの鉢はほとんど古材や廃材利用の自作で楽しまれ、手を掛けてきれいに整った樹形がむしろスタイリッシュな感じさえします。やんわりとした話とうらはらに、結構シャキっとした感じがします。特別な樹種でもないのに、違って見えるのが不思議です。

草木も生き物。そう考えてみれば、好き放題に自然なままボサボサに放っとかれるより、たまには散髪してスッキリしてあげたが喜ぶのかな?話を聞きながらそんな気がしました。

HABITA:三澤 千代治氏に会いました。

「HABITA」という200年住宅をご存知の方は多いと思います。

今日、そのHABITAを企画するMISAWA・internationalの三澤 千代治社長(ミサワホーム創業者)に会いました。と書くとなんやエラい人とおおてんな〜ですが、なにかのメールマガジンに案内されていたHABITAの懇談会なるものに興味本位で参加してみたのです。このところ長期優良住宅とか200年住宅とか、実のところ実体が分るような分からない制度がありますが、その先導役として活動されている事を始めて知りました。

大勢の参加者の一人だろうと思いきや、会場に行ってみたらホテルの小部屋。7〜8人程の少数の参加者しかおらず、HABITAと事業提携への参加呼びかけが会の主旨であっただけに、なんだか場違いなところに来てしまった感じです。2時間の懇談会の間ほとんど三澤社長さんはHABITA創設の思いや理念を語られました。事業としてのあり方に個人の設計事務所と異なものを思う所はいろいろありましたが、お話には先導者としての強い意思が感じられます。ただ一番興味である設計としての具体的な所まで伺える時間が無かったのは、本音のところ残念な感じでした。(と言うか、そういう会では無かった訳ですが。。。)
しかし、70歳を過ぎた住宅メーカーの創業者に直に会えた機会は、若輩設計者の経験としては良かったかもしれません。(サイン本までいただいた。。。)

実はミサワホームは僕が建築に興味を持つきっかけのひとつになっています。正確には建築のケの字も知らないデザイン学科の学生時に、ミサワホームが主催していたコンペに無謀に出したら佳作になってしまった。これがひとつ引き金になってしまったのは間違いありません。そんな事もありミサワホームの名前が気に掛かり、今回の参加をした訳です。

それはそれとして「HABITA」という200年住宅は、これからの住まいのひとつのモデルになると素直に思っています。良いか悪いかは別とし、個人の設計者では成し得ない住宅産業のあり方を感じる良い機会となりました。