犬島『精錬所』

犬島〜精錬所〜
犬島〜精錬所〜

去年の夏に瀬戸内の犬島に行ったきり触れずままになっていたが、「犬島アートプロジェクト『精錬所』(設計:三分一博志建築設計事務所)」が2010年度 日本建築大賞となったニュースを読んで思い出した。これを機会にほんのちょっとだけご紹介。

この建築が建つ前にも「維新派」の公演を観に来ているので犬島訪問は2回目。精錬所跡地の残る荒々しいままの雰囲気に感動していた記憶が残っていたのだが、今はベネッセが直島に続いて手を入れているため島はずっときれいに整備され、普通な観光スポットに来てしまった感じでちょっとつまらなかった。大賞となった『精錬所』は環境エネルギーのサイクルを利用したエコ建築がひとつの売り。その仕掛けは面白いのだけど、周囲に馴染ませることを意図したデザインは恣意的なところが見え隠れする。嫌いではないけど、なんとなくパビリオン的な印象を受けたのが少しもったいない気もする。もうすこし削ぎ落した表現をしても良かったのではないだろうか。

エラそうな事を書いてしまったが、整備前の崩れそうな煙突の下から見上げた体験の方がどうしても印象的だったのです。新しく何かをした時に、記憶の遺産を乗り越えるのは難しいですね。

白鹿館〜後悔先に建たず〜

白鹿館

自宅近くにある「白鹿館」という昭和の名建築が今まさに無くなろうとしている。80年に渡って操業されてきたビン詰め工場だそうだ。以前、コンクリートと鉄骨の見事な架構が建築雑誌にも紹介されていたのを憶えている。

地元人であるヨメさんに昔から、アンタ建築家やろ、はよせな無くなんで!見学申し込んでや〜!と度々言われていたし(一度は見ておきたいと自分も思っていながら)ヨメさんの忠告を聞き流していたのが悪かった。しばらく前に解体工事の標識と工程の通知が貼ってある。あ。う。こりゃいかん。今朝、通勤に正面を通り過ぎようとしていた時に中からガシャンガッシャン、ガラスの割れる音が聞こえて来るでは無いか。あぁ、もうだめかも。。。手の込んだ正面の造形や時代を思わせるスチールのサッシが朝日に眩しい。

保存を訴える人や、解体前の見学会がそれなりにあった事を今頃になって知った。とても情けない。

いずれこの工場に代わって建ち上がるのは、味も素っ気も無いマンションだろうか?跡地の利用については知り得ないが、歴史・文化に残るものであってほしい。

閑谷学校と shamrock0306一年半振りの訪問

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日曜日。朝7時にスタッフと集合して、岡山の「shamrock0306」訪問に併せて、閑谷学校へ行きました。10年前に行ったときは直島旅行の後の強行軍、夕方しかも雨でした。今回は午前中、しかも秋晴れ。(今年は遅れ気味な様子ですが)紅葉の季節だったこともあり、 9時過ぎに着いたと言うのに駐車場は既に満車に近い状態。大勢の人が観光に来ていました。
閑谷学校は江戸時代に32年もの月日を費やし建築され、世界最古の庶民のための学校だそうです。 圧倒的なスケールのこんな場所で勉強するには、否応無く背筋をのばさなくてはなりませんね。背中が曲がりつつある身としては、時折来た方が良さそうです。

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駐車場脇で売っていた「しょうゆぶっかけソフトクリーム」+「ぜんざいがけ」。なかなか微味でした。。。

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午後から「shamrock0306」へ一年半ぶりの訪問です。到着すると、以前と変わらぬ様子。周りにの宅地はまだ家が建つ様子がなく、建築当時のままの様子で外観が見れました。正面の田圃は青々として、とても爽やかな感じです。施主様ご夫婦も変わらぬ様子でなによりでした。子供たちも成長し、家の中が少し賑やかになった感じがします。2階の筒型の子供部屋がこれからどんな風に変化していくのか、さらに楽しみです。
3時間余りの滞在でしたが、久しぶりに記憶が蘇りました。

道後温泉本館(愛媛県松山市)

Dogo Hot Spring

今年の正月は、ここ2、3年恒例の家族旅行で松山の道後温泉に行ってきました。瀬戸大橋を電車で渡るのも初体験。大晦日の夕方に松山に着いて、路面電車で道後温泉へ。久しぶりに乗った路面電車に大人げなくウキウキして、日も暮れた道後温泉のアーケードのお土産屋さんを眺めつつ旅館に到着。

ゴ〜セ〜な夕食をたらふく食った後もたれた腹をさすりながら、まずは道後温泉本館へ。明治27年に建てられ重要文化財でもあるこの湯殿の中には、又新殿と言う皇族専用浴室があります。今は使われていませんが見学が出来ると言う事で、お風呂に入る前にひと回り。昭和天皇が浸かられたという庵治石の浴室は、石材だけで1億5千万円だそうです。ひえ〜。って感じですが、見た感じはどちらか言えば質素。実際に使われた時にはさらに、桧の板でわざわざ囲われたそう。天皇様が普段桧風呂だったので気を効かせたつもりが、質素倹約に努められる思いからすればいらぬおせっかいだったそうな。と、案内の方がおっしゃってました。
見学の後、プライベート感覚?な霊の湯(たまのゆ)で、ボ〜っとひと息。ちょっと深めの浴槽で、長く浸かるにはちょっと微妙でしたが、落ち着いた雰囲気の浴室でした。
湯から上がった後に、夏目漱石が宿泊したと言う「ぼっちゃんの間」を見学。ここに来て文才の差はご勘弁のほど。障子の隙間から覗ける街並は、当時と違っては想像力で補うしかありません。さすれば、街行く人がタヌキやマドンナに見えぬ事もありませぬ。
元旦の朝、もうひとつの神の湯(かみのゆ)に入りました。こちらは銭湯気分満喫の大浴槽。柱梁の行き交う脱衣場もなかなか風情があります。今時のスーパー銭湯では味わない良さが充分楽しめます。と言う事で、泊まった旅館のお湯には浸からぬまま。

道後温泉を後にちょっとだけ松山巡りをして、今回の正月旅行は終わりです。それにしても、行きの電車からずっと食ってばっかりの2日間。身体がほぐれるより腹がつかれました。

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箕面観光ホテル

HOTEL MINO OSAKA

「みの〜おんせん、スパ〜〜ガ〜デン!」と関西ローカルなコマーシャルソングが耳について離れない人は、関西地区の同年代の方なら大勢いる筈。

子供の頃さんざん聞かされたのだけど、このスパーガーデンに行った事が実は無かった。とは言え箕面には紅葉狩りに数回は行っているのだけど、こんなどでかい施設が山の中にあるとはつゆ知らず、想像さえもしていなかったのです。たまたま、今進めている現場の近く。今になって山の上にそそり立つホテルの存在に気がつき。一回覗いてみようと思っていた。そんな矢先、この箕面観光ホテルが建築家・坂倉準三の作品だと言う事を知り、現場帰りに早速行ってみたのです。坂倉氏は既に亡くなられていますが、東京帝国大学を出てフランスに渡り、ル・コルビジェの元で修行し日本に戻ってからは日本のモダニズム建築を牽引する建築家の一人として活躍されました。そんな訳で見に行かない訳にはいかなくなりました。

近づいてみると、ひえ〜。久しぶりに圧倒する「大」建築に興奮しました。うわ、スゴ、ナニコレ?と、想像を遥かに越えたスケールにビックリ。古い何処かの市庁舎にも似た外観は、柱梁を強調し日本のイメージを表現した当時のモダニズムの流れでしょうか。山間から見る様子は、京都清水寺を思わせるような気がします。展望エレベータもスゴい。阪急百貨店メンズ館(ナビオ阪急)のシースルーエレベーターなんか目じゃないって感じです。

これは一度、温泉浸かりにお泊まりに来ないといけませんね。

HOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKAHOTEL MINO OSAKA

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HOTEL MINO OSAKA

西宮砲台の中を見てきました。

Nishinomiya battery

昨日、秋分の日は、自宅そばの香櫨園浜の浜辺でイベント「海辺のひろっぱフェスタ」が催されていました。自宅の窓からも写真の西宮砲台が垣間見れるのですが、この日はイベントの一環として砲台のガイドツアーがあり、中に入る事が出来るので行ってきました。

幕末動乱の最中アメリカ・ロシアなどの軍艦の来航から大阪湾防備のために設けた砲台だそうです。国指定の史跡になっています。
外壁は漆喰塗りですが、基本の構造は石積みです(ひとつひとつはかなりデカい)。昭和になって内部から鉄骨の補強工事がなされていますが、崩れる危険性もあるかもしれないので外周にはフェンスが張られ、普段は側に近寄る事ができません。積み上げられた石は、花崗岩が使われていますが残念ながら神戸の御影石ではありません。神戸山手の石切場から切り出した石を運ぶには無理があり、岡山のナントカ島(失念…)から瀬戸内海を渡ってイカダで運んだそうです。
浜辺の砂地に建築するにあたって、石積みの砲台が砂浜に沈まない様にするため当時の技術者は1200〜1500本の松杭(3〜5M)を砂浜に埋込むことしました。という事は、今もこの砲台は松杭の上に建っていると言うコト。ヨメさんに腐らんのか?と聞かれましたが、土に埋もれて空気に触れないから直ぐには腐らんのだろう、と適当に答えてしまったが、如何に?ネットで調べてみたら、適当に言った事は間違いなさそうで水に漬かった松は腐敗しないそうです。古ビルの解体現場から45年前の松杭が青々と出て来たとか、80年前の松杭が出て来たとか、ベネチアの待ちは干潟に数十万、数百万本という松杭で築かれた街だとかの記事が出てきました。そうだったんだ〜スゴいですね。現在も使用される工法の様で、こんな事を書いているのが実はお恥ずかしい。

ところでこの砲台、換気設備が整っておらず試射をしたところ内部に硝煙が立ち込め、とてもじゃないが兵隊さんはいられない状態だったそうです。伺ったお話では実際に使用を考えていたと言うよりも、軍事施設があるぞ!と言う威嚇のためだったのだろう。と。それにしてはエラいものを作ったものです。大砲を突き出しそうな窓は2階あたり、木造の床が組まれていたようです。が、人力で持ち上げるしかないので、大した大砲が装備された訳でもないそう。中心には防火用の井戸が掘られているそうですが、使われた形跡もないそう。話を伺えば伺う程、西宮砲台に悲哀を感じてきました。しかも、火災に遭い内部は消失。なので、写真の通りガランドウな訳です。和田岬砲台と言う砲台が、三菱重工神戸造船所の構内に残っているので、コチラは内部が現存しているおかげで比較推測できるそうです。

ところで砲台という施設はこの建造物だけを差すのでは無く、周囲を囲む土手を含めた全体を言います。(下の画像参照)西宮砲台はこの土手の一部が残っています。そして、砲台のある場所を台場と呼び、全国には百をこえる台場と付く地名が実はあるそうです。東京のお台場は幕府に敬意を払った地名として御台場という事。

ちょっとお勉強になった秋のイベント参加でした。それにしてもお話をしていただいた西宮郷土資料館の館長さんは、メモ無しに、途切れる事無く30分ぐらいお話されていました。次から次に伺った話はどこも面白く、右から左に流れ出てしまったのが、ああ勿体ない。来年もあれば、もう一度聞きたいぐらいでした。

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Nishinomiya battery

その他にも写真あります。
Nishinomiya battery

慈光院

奈良へ行った帰りに、ちょっと寄り道して慈光院まで。
このお寺には、これで4〜5回来ています。
とは言え何年か振り。
この地の大名でもあった石州という茶人の建てたお寺で、
荘厳な寺院と言うよりも茶室の風情が漂っています。
参拝料を払えば、お茶と茶菓子がもらえるから、という訳でなく、
なぜか落ち着ける好きな場所の一つです。
平日なので人気もなく、赤い毛氈の敷かれた広間に一人座れました。
パノラマに見える借景の中に白いビルが見えてしまうのは致し方無しとしても、
勇壮に広がる庭を前に、贅沢な時間が過ごせます。
が、来る直前に掛かって来た電話で余韻はそこそこ、駆け足で現場へ。
ひと時でしたが気持ちが広がった気がします。

慈光院

苔庭:唐招提寺

lichen

今日は少〜し早起きをして、朝から下道を使って奈良まで。
昨日のエントリの通り申請の提出に行き、無事受け付けてもらえた。
後は無事に審査の降りるを待つのみ。
ひと息つけたので、そのまま帰るのはなんだか勿体ない。
道路地図を拡げてみたら、唐招提寺が最初に目についた。ココにしよう。
到着して大門に立つと、向こうにシルバーの折半にスッポリ覆われた金堂が見える。
あ〜そう言えば、しばらく前に平成の大改修を様子をテレビの特番で観ていた事を思い出す。
まあいいか、と拝観料を払ってしばし散策へ。
平日だから人気も少ない。暑くもなく木漏れ日がいい感じ。
昔遠足だかなんだかで、きっと来た事がある筈だけどまるっきり思い出せず、
はじめて来た様な新鮮さに、これは喜んで良いのか?
そんな事を考えながら、一番奥の鑑真和上御廟に辿り着いたら、
手入れの行き届いた苔庭に、一筋の光が差す様子にちょっと感動した。
今日一番の収穫。

殿様の御殿

見積中の現場近くに、勝山町という城下町があります。
昨日打ち合わせ前に、その町並みから外れた場所にある
「椎ノ木御殿」と呼ばれる勝山城主の住居を覗いてきました。

明治2年に建てられたそうですが、15年程前まで使われていたそうです。
ですがガラスの建具も無く、障子と雨戸の開口。
雪も積もるこの地では、軟弱な私にはとても住めたものではありません。
なので、庭の手入れをしている方に尋ねてみると、
実際には、今は駐車場になっている裏にあたる場所に、
小さな家を建てて住まわれていたと教えて頂きました。少し安心。
それにしても、その昔の姿のまま残っていることに感心しきりです。
街道にはまだまだ見所があって、思わぬ収穫をした気分でした。
写真の続きは。

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